人の思いやりに気付ける人でありたいもの。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今日の誕生化はむくげという。

日本列島待たれる花の一つでもあります。

小さな白い花がまとまって咲いています。

花言葉は友情とか…

厳しい寒さが身をすくめます。

9時ごろの日差しは明るく温かいものがあります。

暗く沈み切っていないで

見た目だけでも明るくいたいものです。、

 みこちゃんもちらし寿司もどきを作り堪能しました。

 父は思いやりなどかんっじることも少なかったのですが

 父のチイサナ思いやりにも気づけていなかったことに反省しています。

 今では、お月様となり後になり前となりして

優しいにこやかな顔で応援してくれています。

人の何気ない思いやりに気づける人でありたく思います。

【朝晴れエッセー】幸せのちらしずし・3月4日

郷里から父が訪ねて来るという。届いたはがきには用件は書いていなかった。私は定職

に就いたばかりの22歳で、1つ年上の彼女と同棲をしていた頃のことである。

その日、彼女は早朝からちらしずしを作り始めた。錦糸卵が華やかで酢がきいてうまい

。特別な日に作る得意料理である。

父は昼過ぎにやってきた。私はいぶかしい気持ちで狭いアパートに迎えた。そのとき、

何を話したか覚えていないが、突然父が「お前たち結婚しろ、式は段取りする」と言っ

た。私はいきなりゲンコツをくらった気がした。そして黙ってうなずいた。台所に立っ

た彼女の顔は見えなかった。

小さなテーブルにちらしずしが並んだ。静かな食事が終わって、父は用事は済んだとば

かりに帰っていった。帰り際に「ありがとう、ごちそうさん」の言葉を残して。

その後、私たちは籍を入れた。結婚式は郷里の古い旅館であった。窓の外に少年の頃泳

いだ琵琶湖が春の光に輝いていた。

太平洋戦争の戦地から生きて帰り、病気知らずで偉丈夫だった父が74歳で亡くなった

心不全だった。あるとき、母が父の思い出話をした。「父さんは好き嫌いはなかった

けど、お酢はダメやったね」と。

私はあの日、静かにちらしずしを食べていた父を思い浮かべた。そして「ありがとう、

ごちそうさん」の言葉は彼女への思いやりだったのかと。

以来、彼女は幸せの数だけちらしずしを作ってきたようだ。子供の誕生日、孫たちの節

句祝いに。私には酸っぱい思い出の味だが、その食べる姿が天国の父と似てきたような

気がするこの頃である。

草野弥平(69) 東京都国分寺市