父の思い。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「初恋列車」が流れています。

手が凍えそうな寒さです。

それなりの健康の中 今日のスタートを迎ええています。山々は静かに世の中の行方に 関心を寄せてもいます。

 ウクライナ問題は、ロシアが軍事行動を撤退の方向に動くのだろうか??

ウクライナは、若者が自国のためには行動もやぶさかではないと言い張る。

 日本の若者にどれほどそのような若者が存在するといえるのか

 突風に身を知事めて過ごしております。

 みこちゃんも4年前に父を亡くしました。

 家に帰りたがった父を家に連れて帰るべく

迎えに行きましたが 病院のほうで「あなたにはお世話は無理でしょう」と言って

兄に連絡し連れて帰ることは無理でした。

命は短くなっても家で暮らしてやらせたいとの思いは強くありましたが

断念した経緯があります。

【朝晴れエッセー】ヒヤシンスの咲く頃・2月16日 

父が亡くなって今年で丸4年になる。

4年前の1月半ば、終末期医療専門病院に転院となり、遠くはない「その日」を迎える

覚悟をしなければならなかった。

足が重くなりがちな病院までの道に産直市場があった。まだ堅い蕾(つぼみ)のヒヤシン

スの鉢植えが並んでいた。

特にヒヤシンスが好きなわけではないが、きれいに咲けば奇跡が起こる気がして購入し

、自宅の玄関に置いた。

しかし、ヒヤシンスの蕾が膨らみかけた頃、父は日に日に衰弱していった。朦朧(もうろ

う)としていく意識の中で、自分でトイレに行こうとパジャマのズボンを脱いで立ち上が

ろうとする。

転倒事故を防止するため、小柄な父は女性用のピンク色の花柄ツナギの病院着を着て横

たわっている日が増えた。私が父に最後に言われたのは「もうここに来なくていい」だ

った。

父は高度経済成長期を支えたモーレツ社員の世代だが、マイペースで多趣味、そして、

とにかくおしゃれだった。あの花柄の病院着を着て衰弱していく姿を娘には見せたくな

かったのだと思う。

そして、ヒヤシンスが満開の花を咲かせた頃、奇跡は起こらず、寒くてよく晴れた日に

父は逝ってしまった。

ヒヤシンスの花は悲しい思い出の花となるはずが、なぜか私は毎年鉢植えを探し、玄関

に置いている。

今年も真っ白な花が咲いた。

年月がたち日々の忙しさの中で忘れがちになる私に、ヒヤシンスの花は、父と過ごした

日々を思い出させてくれている。

池内ゆかり(57) 大阪府摂津市