アジサイの声が聞こえる。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
アジサイの時期に父も黄泉の世界にと願ってもいました。
父が植えていたガクアジサイはそれほど 心惹かれるものではありませんでしたが
父がアジサイに心寄せる思いに一筋の涙を誘うものでもあります。
この時期になると 手を合わせたくなるアジサイです。
何気ない会話の一コマもうれしい思い出です。
明るいタイプの人でしたので
楽しい思い出の中のガクアジサイでありたいものです。
暑さに向かってまっしぐらの日々となります。
【朝晴れエッセー】紫陽花の蕾・6月21日
「朝晴れエッセー」を読むのが好きだ。でも、読むたびにいつも思っていたことがある
。それは、亡くなった人の話が多いということ。朝晴れなのに、なんで亡くなった人の
お話が多いんだろうって。
でも、たった2歳年上の親友を失って、書きたい人の気持ちが沁(し)みるほど分かった
。ごめんなさい。
私の友人は、少年野球で知り合ったママさんだった。毎週土日祝、朝から晩まで一緒に
グラウンドで過ごして、ママ友というより、親戚のような存在だった。私たちが野球か
ら離れても連絡をとりあっていたが、昨年あたりから、返信が届きづらくなった。「も
しかして、私嫌われることしたのかな」と思ったが、縁を失いたくなくて、迷惑のない
頻度で連絡を試みていた。
末期の病気で心配かけまいと、家族以外は知らせず、一生懸命闘っていたことを知った
ときは、もうすでに遅かった。
向日葵(ひまわり)のような人だった。いつも大きな声で笑って、料理が上手で、ランチ
で喉が痛くなるまで話した最後は、いつもお決まりのセリフ、「今日の晩ご飯何する?
」だった。レシピを教えてもらうのが楽しみだった。すてきなご主人と、3人のお子さ
んを立派に育てていた道半ばのことだった。
ここ数日、彼女を一日中想(おも)って外を歩いていると、道端にもうすぐ開きそうな紫
陽花(あじさい)の蕾(つぼみ)がずっと並んでいた。向日葵の彼女が、紫陽花に変身した
のかなと思った。彼女に私のことを忘れられないよう、紫陽花の咲く頃は、訪ねに行こ
うと思う。これからずっと。