母の味は妻の味に…
ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
赤とんぼが飛び交いけいとうからコスモスにと確実に初秋が静かに訪れています。
にらの花も咲き少し早すぎるのではと小首をかしげたくなる今日この頃…
関東のあるスーパーではレタス一つ300円という。
母の味が下に残らなかったことで
妻の味が最大級になっていった幸せも
傍らにはあるのでは…
闘病日誌が6年を迎える妻のがんと素敵な家庭生活がうらやましくも奥様のお優しい
お気持ちに感動しました。
お母様の円とは薄くても素晴らしい奥様との出会いはご苦労を埋めるに超えるばかりの
誤嚥にうらやましい限りです。
【朝晴れエッセー】妻の味は母の味・8月29日
正直、以前は「母の味」という言葉に反発してしまうこともあった。
私は母の料理を知らないからだ。離婚した母は、3歳になる前の私を残して出ていった
。味どころか顔も覚えてない。直後に父も亡くなり祖母に育てられた。
だが祖母は料理が嫌いだったので、出されたものをただ食べただけで味は記憶にない。
境遇からすれば、食べ物に不自由せずに済んだだけでも幸いだったのだろう。
縁あって結婚した妻は、食へのこだわりも好き嫌いもない私に、37年間も料理を作り
続けてくれ、何を食べても比較のしようがない私は「おいしい」と言い続けた。妻はい
つも笑っていた。
その妻は還暦を迎える前に、長いガンとの闘いの日々を迎えた。
そして私の書いていた妻の闘病日記が6年目を迎えようとしたとき、妻の料理をメモり
始めた。もう台所に立てる日は少ないと思ったからだ。
「ほうれん草、ウインナー、玉ねぎのグラタン。トンテキに焼きリンゴ添え」
最初のメモは精一杯の手料理だった。
それから20日後、緊急手術の1週間前。立っているのもつらいのに「アスパラの肉巻
き、高野豆腐炊き合わせ、ハムサラダ」を娘の助けで作ってくれた。
それで宝物の料理メモは終わっている。
今日が最後かもしれないと、毎日かみしめて食べた味は私たちの体の一部になり、その
味は私にとって子供たちと同じように、とっくに母の味になっていた。
妻は置き去りにされた私を、迎えに来てくれた母だったのかもしれない。