先祖に合唱の一つも…

  ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。当地も時折激しい雨を 交えながら

雨は降り続いております。

大地には水があふれています。

お見舞い申し上げます。九州方面は、記録的な雨量です。

気が付けば早オボンです。暑い暑いと悲鳴を上げていれば8月も三分の一を過ぎてしまい

ました。

比一日とあの世への階段は近づいています。

 先人たちに感謝する気持ちもなくしている若者たち

それは親も死者に感謝する気持ちを継承してこなかったことも

原因しているのではなかろうかと思えます。

 みこちゃんは34歳の甥が家を新築したことから仏壇を引き取ってくれて

ありがたく思っています。

 101歳のお方が外地に行き島に取り残され

食べるものもなく草をおかゆにしてしのいだお話に愕然とさせられました。

そして今なお戦争の語り部としてかくしゃくとして

おられることに最敬礼です。

命の重みを実感させられもしました。

【朝晴れエッセー】祖母の祈り・8月13日

私が物心付いたときから、家族は5人なのに食事はいつも6人分、食卓に用意されてい

た。

それが陰膳と呼ばれることを知ったのは、随分大きくなってからだった。戦争に行った

まま帰ってこない伯父の分だった。

長男の無事帰還を待ち続けた祖父は亡くなり、祖母は毎日地元の氏神様に通っていた。

幼い頃、祖母についてお参りするのが楽しいお散歩だった。それは私が生まれる前から

何十年も続けられていて、時には家族総出で千度参りをしたこともある。

だが私が中学生の頃、とうとう伯父の戦死を受け入れ、お葬式をすることになった。

遺骨はなかったが、伯父が出征前に残していった頭髪が見つかり、それを納めた。

頭髪は、「アケルナ」と書かれた木箱の中から、軍の書類とともに見つかった。ほんの

一つまみを丁寧に紙に包んで「頭髪」と表書きがしてあった。

伯父の覚悟を知り、家族で泣いた。

享年23歳。軍服を着た伯父の遺影はあまりに若かった。英霊墓地に石碑が建ち、陰膳

は姿を消した。

あれから40年。祖母も亡くなり、父もまた両親の元へ旅立った。毎年終戦記念日が近

付くとよみがえる、伯父を待ち続けた家族の記憶。

私も祖母にならって、毎日地元の氏神様にお参りし、家内安全をお祈りしている。コロ

ナ禍の今、離れて暮らす娘たちの無事を祈るとき、祖母の想いが胸に迫る。

いつの世も、わが子を想う母の祈りは変わらない。