愛犬との別れ。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「ホタル」が流れています。

 今日が少しでも良き日でありますように…

照りて理の太陽は 真夏に向かってまっしぐらです。

内輪も用意しなければと引き締めております。

捨て犬を何年かかっていて その犬が 突然いなくなり探しましたが見つかることはあ

りませんでした。

二週間後にその犬は我が家に帰り

突然亡くなり

悲しすぎて それ以来犬は買ってはいません。

 動物は確かに癒しもありますが

その分の別れのつらさも伴います。

【朝晴れエッセー】いつも相手がいた・5月23日

覚悟はしていたが愛犬との別れが来た。これまで何度もつらい別れを体験してきた。5

年前、息子、夫を、ひと月に相次いで亡くした。身を切られるような厳しい別れを堪え

た私を自分で強いと思ってきた。

だが、今度ばかりは違った。これまで耐えてきた堰(せき)が切れたのか、あふれ出した

涙が何日たっても収まらないのだ。やがて、こんなにも悲しいのは思い出話のひとつも

分かち合う相手がいないからだ、と納得すると同時に昔恩師から贈られた色紙の言葉が

思い出された。

「話す時には相手がいる 喧嘩(けんか)するには相手がいる 笑う時にも相手がいる 

生きてゆくには相手がいる」と書かれていた。本当にその通りだわと思い、そらんじて

いるうちに、一人で生きてきたつもりでいたが相手がいてくれたことに気がついた。

思い起こせば愛犬がいつも傍らにいてくれた。朝夕の散歩、餌の用意、世話事は私の日

々暮らしていく中で「生きてゆく相手」となってくれていたのだった。視力聴力を失い

一日中寝てばかりの頼りなさではあったが、今、その姿も見られず気配さえも消えてし

まった。今度こそ本当に一人。そう思うと寂しさが加わり、どうすればよいのかと思い

巡らした。

しばらくしてはたと思い当たった。愛犬との別れは、生きていく相手は人だけではなく

動物であってもなってくれるということを教えてくれたのではないか。そう、いまだ一

人ではないと。この先は植物たちを相手に育てる喜びをもらい、つらいことはため込ま

ず涙の栓も時々ゆるめて生きていこうと思うと気持ちが軽くなった。

金城月子(76) 大阪市天王寺区