ランドセルの思い出。
ごきげんいかがでしょうか、
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
良くも悪くも一日はあっという間に過ぎていきます。
今日の朝の空気はピリッとしていてストーブが欲しいほどでした。
アツアツの味噌汁の味が恋しいお仲です。
ウクライナのプーチンによる充血による軍事行動を 誰も止められはしない。
木に登ったサルは降りることもできないでいるのかも
我々も誰もが貧しい生活を
体験してきたとは思うが
ランドセルを買ってほしいなどと言える環境もなかったのだと
涙でした。
今日の貧しさも耐えて生きなければと言い聞かせたものでした。
【朝晴れエッセー】ランドセル・4月29日
葉桜になった下の通学路を多くの子供たちが学校に向かって歩いていきます。お兄ちゃ
ん、お姉ちゃんに引率されて、新1年生と思われる子供が緊張した顔で続いていきます
。新1年生の背中の真新しいランドセルは太陽の光を受けて輝いています。そんな新1
年生の姿を見ていると、70年ほど前の思い出が蘇(よみがえ)ってきます。
私が小学校に入学したのが昭和28年。敗戦のショックから立ち直り、明日に向かって
進んでいましたが、まだまだ貧しい時代でした。入学式が近づいてきて、同じように入
学する遊び仲間は、新しいランドセルを見せ合って喜んでいましたが、わが家にランド
セルはやってきませんでした。生後8カ月で父が戦病死し、母は姉、兄、私を育てるた
めに昼夜を問わず働いて家計を支えていました。そんな姿を見て「お母ちゃん、ランド
セルどうなってんの」とは言えませんでした。
入学式の前日、母と私が外出から帰ってくると、玄関口にきれいに包装された荷物が置
いてありました。家に持ち入り、開けてみると黒光りするランドセルが出てきました。
「誰がプレゼントしてくれたのやろう」と母は言いましたが、私は「小林のおっちゃん
や」と大きな声を出しました。
おっちゃんは父のいない私を孫のようにかわいがってくれていました。早速、お礼に行
き「おっちゃん、ランドセルありがとう」と言うと、普段は無口なおっちゃんは「一生
懸命勉強してお母ちゃんを喜ばしてやりや」と頭をなでてくれました。ふっと振り返る
と、母はハンカチで目頭を押さえながら何度も頭を下げていました。