いつまでも超えられない母の思い。

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

寒くてポカーンとしていると半月などいつの間にか通り過ぎてゆきます。

今日は大韓です。

この時期らしい気温です。

一汁一菜のお仲は空腹です。

家は埃で積みあがってもいます。

 いつまでたっても母を乗り越えることなどできはしない。

近所の人がお金を借りに来れば、お金癖の悪いその人にまで

母は気持ちよくいつも用立てていた。

 近所の幼稚園も雨が降れば気持ちよく車で送ってもいた母

近所のこっまりごとを 引き受けていた母。

 人に物を差し上げるときには一番良いものを 

差し上げていた母…

その偉大さは、葬儀の時 何かと知らされることにもなった。

【朝晴れエッセー】母の流儀・1月19日

子供のときに家族で潮干狩りに行った。バケツ一杯ほどの貝が採れて、ご近所の3軒に

も配ることにした。

早速、弟と2人で貝の選別を始めた。それを見た母が、何をしているのかと聞く。自宅

で食べる分として大きな貝を選んでいると答えた。

すると母の顔は険しくなり、そんな卑しいことをしてはいけないと注意する。仕方なく

大小の貝を均等に分けて、4等分にした。

朝早くに出て、家族でせっかく採ってきた貝である。好意で配るのだから、自分に選別

する権利はあるだろうと子供心に思い、母の考えに釈然としなかった。

だが母は、自分だけ得をすればいいという行為を嫌っていた。そして、それを実行して

いた場面を、いくつも思い浮かべることができた。

後日、近所のおばさんが、他の人から貝をもらったことがあるが、あのように大きな貝

をいただいたのは初めてだ、おいしかったと私に礼を言った。

その笑顔を見て、母の言うとおりにしてよかったと実感した。

台所で貝を料理する母は、呪文のように何かつぶやいている。耳を澄ませると「ごめん

なさい、ごめんなさい」と聞こえた。

母に近づいてのぞいてみると、貝を手に取り、わびて鍋の中に入れていた。

亡き母のあの日の声と姿は忘れられない。

仲川友康(59) 東京都杉並区