いただく好意

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

寒波予報依頼、車の通りは極めて少ない

総理の支持率は457%のしじりつとこうちょうです。

オムロン政策が公表とか…

弱い日差しもありがたや。

 みこちゃんはいつもmysunデイの日々でまるで平坦そのもの。

これがチイサナ幸福なのかとも思える。

我慢いっぱいの暮らしも、その手のぬくもりまでもありがたい。

みこちゃんは人からいただくと返すとが気がかりとなり

何かと高価なものを買って返却するタイプです。

それは日常の手助けがままならないためでもあります。

 従妹と旅行をしても、その往復料金はもとより

ランチ代 それに土産まで買ってあげるお人よしぶりです。

 日常のゴミ出しも面倒見ていますが

何一つお礼などありません。

従妹の家付近の草取りまで担当しますが

これに対する反応などまったくありません。

もう 腰が痛くて限界近くまで来ています。

このようなお人よしもいるのではないかとも思えます。

従妹が少しでも人の気持ちがわかってくれたなら後思うひっびでもあります。

車代金も倍くらいには払っているつもりです。

従妹にありがとうのテープが切れたならと思っています。

いつも何かモノを「もらえる」人の意外な共通点 稲垣 えみ子

さて、地味にお気付きの方もおられるかもしれないが、この「もらって暮らす」という

夢のような生活を実現する方法を解説するシリーズを当コラムで始めて以来、毎回、冒

頭の写真は私が実際に「もらった」さまざまなモノたちで飾らせていただいている。

で、改めて自分でもビックリしたんだが、いやはや私、ホントもらいまくってますな!

だってこれは「去年もらった」とか「以前もらった」とかの古い資料写真を引っ張り出

しているわけではないのだ。どれもこれもリアルタイムに、昨日今日もらいたてホッカ

ホカのものをせっせと撮影しては、インスタで鼻高々に自慢するかのごとく、当コラム

にせっせと投稿しているのであります。もらっているのが食べ物ばかりなのは、私がも

らってうれしいモノといえば一にも二にも食べ物だからである。モノのない暮らしを満

喫しているので、食べ物以外のモノをいただいたところでほとんど持て余してしまう…

…ということを、わが周囲の皆様はちゃんとご存じなのだ。つまりはですね、私は今ま

さにこの時を、自分が本当に必要としているものを、何でもかんでもお金で買うことな

く、日常的に「もらって」生きているのだということを、わが写真がきっちりと証明し

ているのであります。いやー、かえすがえすも奇跡ですな。だってちょっと考えてもみ

てください。例えばある日の夜。珍しく外で1日仕事があり、夕方にややヨレヨレになっ

て帰宅してみれば……なんと、ドアノブに紙袋がブラーンとかかっているじゃありませ

んか!?中を見たら、なんと揚げたてホカホカの天ぷらがっ!(←実話)……てなことが

、数日に一度は勃発しているわけです。もうほとんどね、親切な妖精に囲まれて生きて

いるような感じです。っていうか、これはまさしくあの、子供の頃によく見ていた「日

本むかし話」ではないか?そう「正直者のおばあさんはいつまでも幸せに暮らしました

とさ」というやつだ。良い行いを身につけたものには、半永久的に幸せが保障されてい

るという、子供心にもそりゃさすがに作り話だろうとしか思えなかった教訓的ストーリ

ー。でも今になってみれば、あれはもしかすると、作り話でも眉唾でもなくて、実は本

当のことだったんじゃないかと思うのである。心がけ次第、やり方次第で、誰でもあの

「正直者のおばあさん」になれるのだ。まずは「あげる」から始まるというわけで、こ

こからはいよいよ、そのための最後のポイントをお伝えしたい。この「卒業論文」とも

いうべきゴールテープを切ることができたなら、あなたには間違いなく新しい人生の扉

が開かれるであろう。何度も言うが、お金だけに頼って暮らす生き方から脱却できるか

どうかは、これからの「金のない」時代を真の意味で元気に生き抜くために絶対に欠か

せぬスキルである。となればまずはやってみること。小さな一歩を踏み出すこと。いつ

の日か、それがあなたの人生を救う大きな転換点だったことに気づく日が必ず来るはず

だ。で、改めて、これまでの復習であります。・まずは「あげる」ところから始めるこ

と。・あげるのはモノでなく言葉でもオーケーなこと。・モノをあげる場合は、相手を

よーくよーく見ること。・さらには「もらっていただく」という姿勢を忘れないこと。

――ここまで来ればもう「あげる」に関しては完璧といえよう。で、そうなればもう、

これといった行動を起こさずとも自然に「もらう」がスタートするのだ。これは不思議

なことでも何でもない。誰しも「もらいっぱなし」というのは居心地が悪いものなので

ある。もらったら、何かをお返ししたいと思うのは人の自然な感情なのだ。ってことで

、これでもう大丈夫!?あとは黙っていても寝ていても夢の「もらう生活」が待っている

のみ……と、言いたいところだが。「人生はもらい方が9割」残念ながらそういうわけに

はいかない。はっきり言えば、本当の勝負はここからだ。ただ「もらう」だけではダメ

なのである。どう「もらう」のか。そのもらい方によって、お金じゃないやりとりが延

々と展開される「地下経済」へのアクセス路は、どこまでも太くもなれば、たちまち枯

れもするのである。つまりはですね、「人生はもらい方が9割」なわけです!というわけ

で、これから書くことをとくと心して読んでいただきたいと思う。まず一般的に言って

、「あげる」よりも「もらう」ほうがラクだよねと思う人が多いかもしれない。だって

、あげるとなれば、何はともあれまずはあげるものを用意しなけりゃならないですから

ね。でももらうとなれば、失うものは何もない。ただただ「アリガトウ」と、差し出さ

れるものをニッコリ受け取れば良いだけではないか。……と、思うでしょ。でもこれが

案外そうじゃないんですよね。ちょっと想像してみたらわかると思うんだが、実は「あ

げる」ほうが、「もらう」ほうよりずっとずっとカンタンなのだ。だって、あげるとな

れば、「もらっていただく」という謙虚な気持ちを忘れずに臨んだとしても、やはり「

あげる」んだから「いいことしてる」感しかないわけで、気分的にはとてもラクである

。それに、モノを無駄にせず、家の中に余分な者を抱え込まずに済むというメリットも

ある。つまりはですね、ほぼ良いことしかない。あとは実行に移すのみである。ところ

が「もらう」となると、コトは一気に複雑になってくる。まず、もらった限りは、もれ

なく「お礼」を言わねばならない。これをまさに「礼儀」という。もちろん、いただい

たものが本当に必要なもの、ノドから手が出るほど欲しいものだったなら何も考えずと

もお礼の言葉が口をついて出てくるに違いないが、そうじゃない場合は、これはなかな

かの心理的負担だ。顔で笑って心で泣いて。つまり心の中では(いやーこんな要らんも

んもらっちゃって……困ったな……)などと思いつつ、そんな心中は一切悟られぬよう

、間髪入れず「あらうれしい!?ありがとうございます」などと口走るのは、どう考えて

も相当な集中力と演技力を必要とするのであって、要するにかなり疲れる事態である。

さらに、もらった限りは「お返し」をせねばならぬというのも、自分がその立場になっ

てみればかなりの負担だ。もらったものを値踏みして、それと釣り合うような値段のも

ので、かつ相手にもそこそこ喜んでもらえるものはハテ一体何か……などと頭を悩ませ

るのは、まあまあ心の重い作業である。いやいやこんなことに労力を使うくらいなら、

フツーに自分で自分の好きなものを買ったほうがずっと早くて確実じゃん!……などと

つい考えてしまった経験は、あなたも身に覚えがあるんじゃないだろうか。もちろん、

私にも身に覚えがある。それに何度も繰り返すが、現代は「モノ余り」の時代なのだ。

誰しも、大概のものはすでに持っているのである。っていうかむしろ「持ちすぎて」い

るんである。そんな中で、もらって本当に心からうれしいモノなんてそうそうないんで

ある。……てなことを総合すると、もらうってことはかなり面倒臭いことでもある。と

なれば、そもそも「あげたりもらったり」して暮らすなんてこと自体が、非合理で、面

倒で、そもそもそんなことやる必要ないじゃん!?という身も蓋もない結論になりかねな

い。結局、あなたはまたお金だけに執着する人生に逆戻り……ってことにならないため

には、ここが踏ん張りどころなのだ。まず何よりも肝心なのは、「もらう」ことを、真

に心から楽しめるかどうか。まずはそれさえできたなら、遠くない将来、あなたの周囲

には「良い妖精」がわらわらと集まってくることは間違いない。正直者のおばあさんあ

るいはおじいさんとして、死ぬまで幸せに暮らしましたとさ、という結論がもれなく付

いてくるのであります。ということで、またもすっかり前置きが長くなったが、いよい

よ「もらう名人」になるためのコツであります。自分をつねに不足させる「もらう」こ

とを楽しむ最大の鍵は、言うまでもなく「もらってうれしいもの」をもらうことだ。う

れしくないものをもらってうれしいフリをするというのも時と場合によっては大切なこ

とだとは思うが、日常的にそれを繰り返すのは常人には無理である。幸せを手に入れる

どころかストレスとゴミだけがたまり、本末転倒なことになってしまう。とはいえ、そ

んなこと本当にできるのか??と思いますよね。何しろものをくれる相手は他人である。

でも自分が本当に欲しいものを手に取るようにわかっているのは、究極のところ自分だ

け。つまりは、本当に「もらってうれしいもの」を他人様からもらえる確率など、どう

考えても天文学的に低いに違いない。ところがですね、その確率を飛躍的に上げる方法

がちゃんとあるのだ。それは「ものを持ちすぎない」こと。言い換えれば、絶えず何か

が不足している……という状態に、つねに自分を置くことである。冒頭で、私が食べ物

をよくもらっていることをご紹介したが、私がこれを心からありがたくうれしくホクホ

クといただいているのは、一にも二にも、わが家ではいつも食料が不足しているからで

ある。あ、いや不足していると言っても餓死しそうになっているとかそういうことでは

なくてですね、冷蔵庫のないわが家では、同じく冷蔵庫のなかった江戸時代の一般庶民

と同様、一年中「一汁一菜」という質素な食事を旨としているということである。ご飯

と味噌汁と漬物を来る日も来る日も食べ続けて十分満足という暮らし。なので、そんな

地味すぎる食生活になんだかんだと「おかず」がやってきてくれることは、これはもう

どれもこれもパーティー気分のうれしさなのである。カレーやらおでんやらマリネやら

もらった日にゃあ、もう本当に心から「わーうれしい!」と叫び、いそいそとお燗をつ

けたりするのは誠に自然なことなのであります。「地下経済」は不足している者へと流

れるつまりはですね、質素であること、不足気味であることというのは世間一般から見

ればもうまったく歓迎せざる事のように思われているわけなんだが、この「もらう」暮

らしにおいては、間違いなく最大の財産と化すのである。もちろん、食べ物だけのこと

に限らない。私の友人はアパレルの仕事をしている関係上、やたらと服をたくさん持っ

ているのだが、クロゼットが溢れてくると、これを親戚の20代のムスメにせっせとあげ

ているそうだ。なぜなら20代のムスメは服が不足しているのである。不足しているから

キャッキャと心から喜んでそれを受け取るのである。だから友人もせっせと着ない服を

あげるのである。先日は私もそこに便乗して着なくなったワンピースをキャッキャと受

け取っていただいた。つまりはですね、水が高きから低きに流れるように、余っている

者から不足してる者へと回っていくのが「地下経済」の基本なのだ。なので、自分を低

い状態においておくことこそが、最大の「もらう」コツなのである。いやー、これって

なかなか凄いことじゃないですかね?だってもしこれがホントならですよ、持っている

こと、持たざることの意味合いがどうもよくわからなくなってくる。だって、持ってい

なければ、持っている人から自動的にモノが「降ってくる」かもしれないんである。っ

てことは、持っていないからといって悲しんだり嘆いたり惨めに思ったりする必要なん

てないってことになる。で、私の経験によれば実際に「降ってくる」んである。つまり

はこれはホントのことなんである。となれば、金持ちとか貧乏とかいうことのもつ意味

合いもよくわからなくなってくるではないか。そう考えると、地下経済とは実は、資本

義経済において革命的パワーを持つものなのかもしれないですな。それはともかく、

あらためて確認しますとですね、「もらう」ことを心から楽しむ最大のコツは、持ちす

ぎないこと。これはもう間違いのないところである。これであなたも「もらう名人」へ

の仲間入りえ、じゃあ「持ちすぎている」人はどうしたらいいのかって?うん。それは

良い質問ですね。確かに持ちすぎている人は、心から喜んでモノをもらうことは決して

できないであろう。でも心配することはない。そのような方々にも、ちゃんと道は開か

れている。そのような方は、まずは「あげる」に徹することである。そう、これまで縷

々述べてきたように、相手をよく見て、必要な人に必要なものを「もらっていただく」

という気持ちを忘れずに、今のあなたが持ちすぎているもの、持っていても使わぬもの

を、惜しみなく差し上げることである。あげてあげてあげまくることである。さすれば

、いつかは念願の「不足している」状態がやってくるはずだ。はい。やりました!?おめ

でとうございます!?これであなたも「もらう名人」への仲間入りである。念のためいう

ておくが、これは冗談でも皮肉でもなんでもない。これは私の体験である。持ちすぎて

いた私が「もらう名人」になったのは、会社を辞めて今の収納ゼロのワンルームに引っ

越したせいで、持ち物をあげてあげてあげまくった結果にほかならない。誠に何かを失

うということは何かを得るということでもあるのだ。そう考えると、ちょっと人生のキ

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