縁は異なもの味なもの。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

 今日の気温は14度から24度と快適です。

今日のありがとうの日がスタートです。

 中村めい子さん86歳の健康法はくよくよ悩まらず、切り替えは早く

暴飲暴食に勤めておられるようでその活舌の良さも素晴らしいです。

朝は4時のスタートで、あんなに忙しい中

家庭が一番とはばかれません。

山々は一年を迎え そえれぞれに

その予想委を変えようとしています。

この寒さを受け入れる準備もトド小売りなくしたいものです。

 縁は異なものと言いますが本当にどこでどのような形で転がているかしれませんね。

恋愛しても別れる人はそれなりにおられます。

 私の母は戦前に百貨店に勤め恋愛し結婚も決めていた矢先

植問題が浮上していて、父親の猛反対にあい結婚できずに断念した経緯があります。

それでよかった稼働高はわかりませんが

それも運命の糸なのかもしれません。

母はよく言っていたことに、結婚は価値観が一番…

いろんな気苦労まで背負って

なれない農家に嫁いのだろうと思えます。

母の生害は燃え尽きたかのようではあったけれども

これも考え合わせれば善き

導き期ではなかったろうかと思っています。

子供に愚痴ることなく生害を終えた母にエールです。

【朝晴れエッセー】縁は異なもの味なもの・10月23日

古いアルバムを整理していた。一度も誰にも見せることがなかった見合い写真が出てき

た。釣書がはさんであった。

成人式の帰りに母と写真館に行き、初めて手を通した振り袖姿を撮ってもらったのだ。

40数年前は恋愛結婚がブームだったが、内気な私には見合いしかないと腹をくくって

いた。見合い写真の中の私は未来の旦那様に微笑(ほほえ)んでいる。

しかし、23歳のとき、通勤電車の中で私をじっと見つめる中年男性に出会った。

数カ月私を観察していて、ある日突然「うちの坊(ぼん)のお嫁さんになっていただけま

せんか?」と言った。あまりに急なことなので返事に困ったが、その男性は真剣な顔だ

った。

私と夫の仲を取り持ってくれたその男性は、後に私の義父になった。私には一大決心だ

ったが、義父もまた同じだっただろう。

結婚後、なぜあの日私を息子の嫁にと的を絞ったのか尋ねると「この人しかないとピン

ときた」と言った。

私は流行の洋服で着飾ることもなく、いつも電車の中で文庫本ばかり読んでいた。それ

が気に入ったようだ。夫よりも先に義父と知り合いになった。

そして初めて夫に会ったときは衝撃だった。ぼさぼさ頭によれよれのTシャツ、くつ下

も履かない男性が目の前に現れた。

後に義母になる女性もコーヒーとケーキを出してくれるのかと思いきや、皿に山盛りの

おむすびで歓迎してくれた。

飾らない家族との出会いで私の心は決まった。「縁は異なもの味なもの」というが、ま

さにその通りだった。