忘れ物

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「川の流れのように」が流れています。

投げ銭が多くなり、その額面が多くなりすぎでは都の問題が出ています。花は忘れることもなくその時期が来ればキチンンときんもくせい、ヒガンバナ

季節を伝えてくれます。

一年がなんと早いことかと呆れます。

 忘れ物は常習犯です。

 電車で本気で眠りこけ

スーパーの夜材料は忘れること限りない。

 旅に出かけ、船に乗り船から降りときは手ぶらであわてたこともある。

これは皿の財布と10万円が帰ってきませんでした。

当時の給与が48000円くらいでしたのでその悔しさはあまりあります。

 携帯も電車に忘れ帰ってきませんでした。

それからは外出の際の形態は持ち歩かないことにしています。

【朝晴れエッセー】忘れもの・9月25日

今までどれだけ多くの忘れものをしたのかは忘れたが、今も思い出す忘れものがある。

幼稚園のとき、弁当を忘れた。お昼に泣きそうになっていたとき、教室の窓の外に母の

顔があった。手に弁当があった。そのときのうれしさ、はずかしさ…。

小学校の家庭科の授業で生卵を忘れた。目玉焼きの実習で、1人1個持ってくるのを忘

れたのだ。

私は先生にも告げずに家に飛んで帰った。母からリレーのバトンよろしく生卵を受け取

り、一目散に駆けた。

しかし握りしめた生卵は学校を目前にして手の中でつぶれた。そのときの絶望感…。そ

の後のことは記憶にない。

故郷の母が入院した。医者から余命数カ月と知らされた。以来、毎週末に東京から新幹

線で母のいる滋賀の病院へ通った。

ちょうど母の日だった当日、妻がカーネーションの花束を持たせてくれた。片手で持て

ないくらいの豪華な花束だった。

母の喜ぶ顔を思い浮かべて私は新幹線に乗った。そして、米原駅のホームに降りたとき

、網棚にカーネーションを忘れたことに気がついた。

電車は遠ざかり、仕方なく駅前のスーパーで小さな花束を買った。それでも母は喜んで

くれた。

妻にはそのことは話していない。

今も思い出す忘れものには、いつも母の姿がある。人生をふり返る年齢になって、天国

の母から「忘れものはないか」と言われているような気がしないでもない。スーパーで

の買い物を忘れたことは数限りない。