感染症の歴史[2]

    ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

気温が乱高下するため

昨日より雨の闇魔のないほど降り続いている雨…ついて生きにくいのが実態。

この4月にもかかわらずまだ暖房が手放せないでおります。

霜予報も連日出ているのが現状…

何か異変さえ感じてしまう。

 医療従事者に感謝でございます。

今年ほどいのちをみぢかにひきよせたことはない!

限界集落のため、医療におすがりすることは少ないみこちゃん。

 

頃なのワクチンの一日も早い発明が求められる。

 対比の6割の実現しかできてなく飲食もまだ終息にはなく、買い物も家族連れとか…

これが東京の実態…

 能天気ぶりが気がかり…

規制するなら徹底的に

  この度の政治主導の在り方はどうなのかと問われたような気もしています。

 最初の豪華客船の対応をはじめ、主権者として問題提起されたことは

あまりにも多かったはず?

 あまりにも経済効果狙いの対策に走り、海外からの疫病対策など何も報道には上げられなかったことも報道からも知られている。

 歴史が語るように、忘れたころに疫病は循環しています。

 マスク二つのバラマキも、口ふうっじさ悪銭か?

 このコロナが終息したのちは、経済の立て直しが待ったなし

消費税の20%は緊急課題!

オリンピック辞退すべきではなかったはず。

災害が終息していないのになぜか?

放射能の問題もくすぼり続けているではないのか

 引用文です。

奈良の大仏さま」で有名な東大寺では、4月から毎日正午、「新型コロナ」の早期終息などの祈りを込めて、大仏殿で僧侶が読経を上げている。約1300年前に大仏造立を決断した聖武天皇の時代は、大地震や飢饉(ききん)が続き、疫病(感染症)が流行した。

高熱を発し、死亡率が高く、治っても痕(あと=あばた)を残す「天然痘」で、人類を最も苦しめたウイルスによる感染症だ。平城京にもまん延し、当時の国政を担っていた藤原氏の4兄弟が全員病死するなど、朝廷は大混乱。日本の総人口(当時)の25~35%に当たる100万~150万人が亡くなったという。

相次ぐ国難に悩んだ聖武天皇が743年(天平[てんぴょう]15年)、国家の安寧や疫病から人々が救われることを願って大仏の造立を命じたのである。日本での疫病は古くより、海外から持ち込まれることが多い。平城京天然痘は、朝鮮半島新羅(しらぎ)に派遣した使節遣新羅使=けんしらぎし)を通じて入ってきたと言われる。

疫病の流行で三十数回の改元

1年前に元号が令和と改まったが、改元も疫病と関係があった。令和は最初の年号の「大化」以降、248番目の元号だが、改元理由で最も多いのは、自然災害や戦乱、疫病など大きな異変が起きた時の「災異改元」で、100回を超える。これは新天皇の即位による改元の74回よりも多い。

災異改元のうち、3分の1の三十数件は疫病の流行で多くの死者が出た時だった。一番多かったのが天然痘で、続いて高熱と全身に発疹が広がる麻疹(はしか)。大勢の人が次々と亡くなっていく原因も分からず、治療法もなかった時代、日本人は祈り、改元するほかに対処の方法がなかった。

豆まきの「鬼は外」と、隅田川花火

節分の豆まきの「鬼は外」も、疫病に関連がある。豆まきは室町時代の1425年ごろから行われてきたとされているが、この鬼は、目に見えない恐ろしいこと、つまり疫病や災害なども含んでいる。赤鬼は天然痘をはじめとする感染症などで、高温のため顔が赤くなった病人を意味するという説もある。

また、各家の玄関などに鬼が嫌いなイワシの頭と、ヒイラギの小枝を差し、鬼の侵入を防ぐ。日本人はこれを今も毎年繰り返し、疫病神を追い出して病気にならないよう、家族で願い続けている。

「疫病退散」はすべての人の願いだった。東京の夏の夜を彩る「隅田川花火」もそれに由来する。1733年(享保18年)、江戸時代の8代将軍・徳川吉宗の時、「大飢饉や江戸に流行した疫病による死者供養と災厄(さいやく)除去を祈願して」、両国川開き(水辺の納涼祭)が行われ、その初日に花火が打ち上げられたのを起源としている。(東京・墨田区ホームページから。今年は新型コロナの感染拡大を受け、開催中止と決まった。)

世界遺産金峯山寺蔵王堂の節分会で鬼に豆をまく山伏ら=2019年2月3日、奈良県吉野町(共同)

世界遺産金峯山寺蔵王堂の節分会で鬼に豆をまく山伏ら=2019年2月3日、奈良県吉野町(共同)

感染症と大地震は「忘れた頃にやってくる」

今も全国各地の神社仏閣には、人々が昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれている。これだけ疫病=感染症の問題は、日本人には身近に迫ったことだったのに、その恐ろしさを、今回の新型コロナで感染者が続出するまで忘れていた。

感染症の流行と大地震はよく似ている。周期的に発生することは分かっていても、いつ、どこが狙われるか分からない。寺田寅彦の名言通り、『忘れた頃にやってくる』。地球に住む限り、地震感染症から逃げられない」。環境ジャーナリストで、『感染症の世界史』(洋泉社刊)の著書もある石弘之さん(79)は解説する。

石 弘之氏:環境ジャーナリスト・環境学者。朝日新聞記者を経て、国連環境計画上級顧問、東京大学北海道大学の大学院教授、ザンビア大使などを歴任。『地球環境報告』(岩波書店)、『私の地球遍歴―環境破壊の現場を求めて』(講談社)など著書が多い。

石 弘之氏:環境ジャーナリスト・環境学者。朝日新聞記者を経て、国連環境計画上級顧問、東京大学北海道大学の大学院教授、ザンビア大使などを歴任。『地球環境報告』(岩波書店)、『私の地球遍歴―環境破壊の現場を求めて』(講談社)など著書が多い。nippon.comではシリーズ「日本の自然:破壊と再生の半世紀」を連載。