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ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
わが大山においても積雪量65糎とか…
新型肺炎にえーずの治療薬を服用した結果
呼吸器の装着患者が、治療前回の隊員に至ったのだと報告もある。
奈良の運転手退院、農耕接触者に感染なし。
みこちゃんの知人のお母さんが91才にも関わらず本人が希望して透析を受け入れ
苦しい思いをして旅立った経験を聞き
もともと医者嫌いのみこちゃん
80過ぎになるとなるべく自然誌を望むところです。迷惑が少ない形で死に向かいたくは思
病院での早期痰飲と、医者の分業化による生命管理の問題が浮上…
「人は死なない」を前提にした現代医療の問題点 -
「人生100年時代」とうたわれるようになった。厚生労働省によると、「海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています」「100年という長い期間をより充実したものにするためには、幼児教育から小・中・高等学校教育、大学教育、さらには社会人の学び直しに至るまで、生涯にわたる学習が重要です」とのことである。
100歳まで充実した人生を送れるのであれば結構な話なのだが、ここに完全に欠落しているのは、その終着点についての考えであろう。つまり「死」についてである。世の中は、なるべくこれを見ないようにしよう、見せないようにしようという風潮が強い。
さらに問題なのは、医療者もこれから逃げ腰になっていることである。一般には死と直面しているようなイメージがある医者であろうと、誰もが死にゆく患者の診療に直接関与しているのではない。専門化、分業化が進むほどに医者もまた「死」から遠ざかっている。以下、拙著『「人生百年」という不幸』で取り上げたエピソードを中心に、この問題を皆さまに提示させていただきたい。
かつて勤務していた病院でのこと
かつて勤務していた病院での出来事である。
私は全身に転移した骨腫瘍の患者さんを整形外科から引き継いで治療していた。いよいよ亡くなるかというときに、ナースがみな異様に緊張している。聞くと、その整形外科病棟で人が亡くなるのは2年ぶりだという。
そこでは若者のスキー骨折など、命に別状ない患者が圧倒的に多く、「死ぬ人なんて診たことない」らしい。そんなこともあるのか、とまだ若かった私は感心してしまった。
今や専門分化が進んで、「人が生まれるとき」「人が死ぬとき」のケアは、各々独立した専門領域となってしまっている。前者は産科という昔からの専門科であり、ここでは立ち入らない。
一方、少子高齢化が進み、「生まれる数」は少なくなったが「死ぬ数」は今後も増加する。それなのに「緩和医療」「ターミナルケア」として、後者が特別な領域になり、一般の臨床医から離れた存在になるのには、それなりの理由があるはずである。私は、現代医療は、基本的に「人間は死なない」ことを前提としていると感じている。
祖母の死
私の祖母は20年ちょっと前、82歳で、腎不全で死んだ。田舎で付き添っていた母から、いよいよ危ない、という連絡を受けて、私は同僚の腎臓内科医に相談した。「80歳を越えて血液透析を導入しても、いいことはないぞ」と言われた。私は理由を聞かなかった。これだけで、「ああ、そうだろうな」と納得してしまったからである。
死ぬ2日前、祖母に会った。意識はクリアだった。私は、「おまえとももう最後だ」と言う祖母と、長い間抱き合って別れた。祖母の直接の死因は腎不全からの不整脈で、透析とペースメーカーでもう少しは延命できたかも知れないが、それはつまり「もう少し苦しめていた」ということでもある。
今、私の周囲を見渡すと、90代で透析導入する患者は多い。血液透析は長時間拘束され、相当のストレスを伴うので、お年寄りの中には嫌がる人も多い。なだめたりすかしたり脅したり、押さえつけたりしてやっている。透析は、やめれば死ぬ。死は防がなくてはならないのだ。
自分で食事ができず、無理して飲み食いするとむせて誤嚥性肺炎になる、という高齢者は、昔は老衰としてそのまま天寿を全うしたが、近頃はなかなか死なせてもらえない。酸素吸入や点滴は言うに及ばず、胃瘻(いろう)を設け、もしくは高カロリー輸液をして、命を延ばす。本人が嫌がって管を抜かないようにと、手足の抑制も行う。
それでも肺炎になったら、抗生剤を使う。患者は10年間寝たきりで、5年間一言も発していない、としても、そんなの関係ない。病名は「脱水」や「肺炎」であり、そういう「病気」は「治療可能」なのだ。ベースにある(はずの)老衰は無視される。もしくは「脳梗塞後遺症」とか「アルツハイマー病」とかいう「さしあたり生命予後に関係ない持病」として棚上げされる。
その「治療」開始の前に、一応家族に相談をして了解は取る。だが家族だって、「持病は今のところ命に別状ないが、この肺炎は、治療しなければ死ぬ」とか言われたら、「お願いします」と答えるしかなかろう。「もう年だから、いいです」と言うには、相当の覚悟を必要とする。
ある大学病院の先生は、数年前に80代後半のお母さまを看取ったが、ご本人の事前の意思により、肺炎で入院した際に抗生剤も使わず、対症療法で苦痛をとるのに徹したそうだ。この時、身内からは非難囂々であり、弟さんからも「兄さんは母さんを見捨てるのか」、と詰(なじ)られたという。
「確かに本人がそう言っていたかも知れないが、病気は末期がんなんかではなくて、治療可能な肺炎なんだぜ。そりゃあ、年だからいずれは死ぬのだろうが、それがなぜ、今なのか」
「治るものは治す」
病院側からすると、運ばれて来たら治療をするデフォルト(初期条件)になっている。最近の大病院は「急性期病院」と称し、とにかく「治るものは治す」。むろん老衰の要素は治せないが、それではすぐには死なないから、そのままで慢性期の施設に送る。急性期病院で死ぬことはほとんど想定されていない。
一方、慢性期のケア施設では、状態は安定していることが前提である。確かに持病はあるが、それは後遺症とか慢性病とかで、今日明日どうこうはない(はずである)。よって「命に関わる」状態に悪化した時は、何らかの「急性合併症」が起ったはずで、それは「治療可能」なはずだから、急性期病院に送る。ここでも、死ぬことは想定外である。
唯一死ぬのも仕方がない、と思われる病態はがんくらいだが、これにしたって、外科医は手術が終わったら、「あとは自分の仕事ではない」。内科医も最近は、薬物でがんが治る可能性が出てきており、張り切って治療するのだが、多くの場合いずれ治療は不可能になる。その時は「もうやることがないから、緩和ケアに行け」という医者もいる。
がんなのだから、いずれ進行して死ぬのはわかっていたはずなのだが、自分の仕事は「治療」であり、症状緩和と死ぬところの面倒見は、「それ専門」のところがふさわしい、というのがその言い分である。
かくして、病院やケア施設から死は遠ざけられ、医者の中には、人が死ぬことを想定しないものが増えていく。少なくとも「自分のところで死なれる」ことはないと考えるようになる。それは防ぐべき事態なのである。死ぬのはそれに特化した、いわば「専門業者」の領域であり、自分たちの目には触れない。一般人も、これだけ医学が発展して、がんでも治り、100歳も当たり前の長寿時代になったのに、80歳や90歳で肺炎や腎不全など「治療法がある病気」で死ぬなんて、とんでもないと考える。
医者の世界も分業化が進み、「死」と直に接していたはずのがんの専門医であっても、患者の臨終に立ち会うとは限らなくなっている。私自身もがんの「治療」が専門であって、終末期医療は得意な分野ではない。だが私は「専門家」である緩和ケア科の先生たちからアドバイスを受けながら、自分で患者の死を「診届ける」ようにしている。
患者が夜中に亡くなる時も、私は病院に出向いて家族にあいさつをし、もう1度説明をし、お見送りをする。がんの専門医の中でも、そこまですべきかどうかについては見解が分かれる。そんなことは意味がない、当直に事務手続きをしてもらえば十分だ、という同僚も多い。
どちらが正しいか議論しても仕方ない
どちらが正しいかなんて議論をしても仕方がないので、私は個人的に自分のやり方を続けてきた。「あいつは好きで、いわば自分の意思で、夜中に看取りに出ていくのだ」ならいいだろう。
ところが、最近になって、「働き方改革」によって自分の意思であっても「やらないように」という圧力がかかってきた。夜間休日に「出勤」して死亡患者の看取りや家族ケアなどをするなんて「余計なこと」はしないように、というお達しが出た。
ある大病院では「(予想外の)患者急変の場合はともかく、末期患者死亡の際に担当医が夜中に出てくるなどというようなことはしないように」と通知されたそうだ。
私は30年以上にわたり、自分の患者が息を引き取った時には夜中でも明け方でも駆けつけていたが、これは「無駄なこと」だったのだろうか。それが「無駄」というのなら、結局患者は死んでしまったのだから、治療も全部「無駄」だったのではないか。
「死ぬこと」を外して、「全人的医療」もない。私はその場にいることは、私自身の任務だと思う。病院の管理者や厚労省が不賛成であろうと、気にしない。
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