癌サバイバーとして生きる。
ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。
泌尿器科の先生でもあり、また自らも【癌サバイバー】でもある
垣添忠生先生が76歳にもかかわらず全国縦断の旅3500キロ」の
ウオーキングの旅を通して癌に対する理解を深めたいと実行に至られた。
そのためのトレーニングにも余念はない。
まず驚いたのが、毎日腕立て伏せ130回です。
お会いできるものならそのすばらしい筋肉に触れてみたいものだ。
みこばあちゃんは、わずか7回ほどでギブアップです。
人生の目標値有ればこその頑張りなのだと平伏しております。
五年以上の生存率も増える中、労働条件の確保も必須条件ともなる。
誰もが鳴って当たり前のがんをもっと自分に引き寄せて考えたいテーマでもあります。
先生は本日、半年ほどをかけて
北海道めざしウオーキング 3500キロのたびに
出発された。
どうぞより製缶になって帰られるお姿をお祈りいたしております。に
アサヒコムより。
がんで妻亡くし、自身も…垣添忠生さん「孤立させない」
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がんで妻を亡くし、自身もがんを経験した日本対がん協会長の垣添忠生さん(76)が2月から
約半年かけて全国を歩いて回り、がんサバイバーへの支援を呼びかけます。がんとの共生社会
の実現にかける思いを聞きました。
〈特集「がんとともに」〉
がんサバイバーへの支援訴え、全国縦断へ
2018年2月5日から約半年かけて、「全国縦断がんサバイバー支援ウォーク」に挑戦しま
す。目的はがんサバイバーへの理解を深めてもらい、支援策への寄付を呼びかけることです。
〈がんサバイバー支援を訴え全国ウォークに出発する日本対がん協会会長の垣添忠生さん=山本
和生撮影〉
がんサバイバーとは、がんを経験したことがある人や治療中の人のことを指します。推計で約7
00万人います。
福岡市にある九州がんセンターを最初に訪問し、全国がんセンター協議会に加盟する病院32カ
所を歩いて回ります。ゴールは札幌市にある北海道がんセンターで、総移動距離は約3500
キロ。このうちの一部では電車などを利用するかも知れませんが、体調や日程が許す限り歩き
ます。3千キロは自分の足で歩くつもりです。日程などは、特設サイト(〈https://www.gsclu
b.jp/walk〉)で随時、お知らせします。
かきぞえ・ただお
1941年大阪府生まれ。日本対がん協会長。東京大学医学部卒。泌尿器科医として膀胱(ぼう
こう)がんや前立腺がんなどの治療に携わる。2002〜07年国立がんセンター(現・国立
がん研究センター)総長。著書に「妻を看取(みと)る日」(新潮社)。
国内では、生涯のうちに2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなります。がんは
誰がいつなってもおかしくない病気ですが、実際にがんと診断されると多くの患者さんは強い
疎外感や孤立感を感じます。不安を抱え、インターネットで熱心に調べますが、そこには玉石
混交の情報があふれています。例えば、免疫療法の中には科学的根拠のないものも多いのです
が、患者さんや家族はそうしたものにすがりがちです。健康食品もそうです。
〈インタビューに答える日本対がん協会会長の垣添忠生さん=東京都中央区、山本和生撮影〉
患者を孤立させないために
患者さんや家族が必要とする情報や、信頼できる情報を届けたい。患者さんや家族、友人らが
支え合う場をつくりたい。そう考え、日本対がん協会は2017年6月、「がんサバイバー・
クラブ」を発足させました。
クラブのスローガンは「がん患者を孤立させない」。ウェブサイト(〈https://www.gsclub.jp
/〉)では、がん関連のニュース、予防や治療などに関する信頼できる情報を発信しています。
相談業務や患者さんらが交流できるイベントも開催しています。このクラブの活動は会員の寄付
によって支えられています。会員は現在、約1千人ですが、がんサバイバーが1千万人を超え
る時代がいずれ来ます。その1割にあたる100万人に会員になってもらうことが目標です。
全国を歩いて支援を呼びかけようと、今回の「全国縦断がんサバイバー支援ウォーク」を企画
しました。
新たにがんと診断される人は毎年約100万人。治療法の進歩で5年生存率は6割を超えます。
がんが治る病気、ともに生きることができる病気になってきたからこその問題も出てきました
。治療と仕事の両立の問題です。働く世代(20〜64歳)の患者さんは3割を占めます。し
かし、厚生労働省研究班の調査では、働いていてがんと診断された人のうち、3割が依願退職
し、約4%は解雇されていました。社会のがんに対する誤解や無理解が原因でしょう。
〈インタビューに答える日本対がん協会会長の垣添忠生さん=山本和生撮影〉
妻失った悲しみ癒やそうとお遍路へ
私自身も50〜60代で、早期の大腸がんと腎臓がんを経験しています。妻は06年、増殖が
早くて転移しやすい肺がんの一種・小細胞がんと診断され、放射線治療や抗がん剤治療を受け
ましたが、全身に転移し、07年の大みそかに自宅で亡くなりました。自宅で過ごせたのは4
日間でしたが、入院中にはほとんど食べられなかったのに、自宅では好物のアラ鍋を喜んで食
べてくれました。在宅療養が起こした奇跡でしょうか。
妻とは研修医の時に出会い、40年間連れ添いました。その妻がいなくなった後、昼間は国立が
んセンター(現・国立がん研究センター)の名誉総長としての仕事をこなすことでつらさを和
らげることができましたが、夜はお酒をのんでばかりでした。何を食べても砂をかんでいるよ
うな味しかしませんでした。まさに自分の半身をもがれたような感覚です。
15年夏から17年夏にかけては、妻を失った悲しみを癒やすため、四国の八十八カ所霊場を歩
いて回りました。妻と一緒に歩いている感じがしました。
〈お遍路を始めた頃の垣添忠生さん=2015年、本人提供〉
今は毎日、腕立て伏せを130回、腹筋500回、背筋とスクワットを100回ずつ、さらにス
トレッチもしています。1日に1万歩は歩き、右ひざに少し痛みがある以外は健康です。
〈インタビューに答える垣添忠生さん。屈伸運動の様子を見せてくれた=山本和生撮影〉
日本対がん協会は民間団体としてのフットワークの軽さを生かし、国のがん対策としっかり連携
して、血の通ったがん対策を進めたいですね。がん対策基本法も、全国がん登録も、多くの人
が必要だと言い続けることで実現しました。がんサバイバー支援の重要性も訴え続ければ、世
の中は少しずつ変わると信じています。(聞き手・南宏美)
◇
〈かきぞえ・ただお〉 1941年大阪府生まれ。日本対がん協会長。東京大学医学部卒。泌尿
器科医として膀胱(ぼうこう)がんや前立腺がんなどの治療に携わる。2002〜07年国立
がんセンター(現・国立がん研究センター)総長。著書に「妻を看取(みと)る日」(新潮社
)。