20歳以下の自殺者は増える傾向にある。

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

台風の影響なのでしょうが秋雨が地面を濡らしております。

我が家のハナミズキは葉も色づき、ハナミズキの赤い実が、秋の庭に

色づきを添えています。

 これからはピラカンサ、万両、千両と小鳥の喜ぶ季節の到来♪

 成人者の自殺は、減少傾向にあるが

20歳未満の自殺者は増える傾向にあるという?

 20歳未満の自殺者にハートネットで取り上げたことで

nhkの職員がこの件にかかわったことで

子供の自殺減少は、個々の問題でなくむしろ

社会問題として正面から向き合いたいとNHKを早期退職し

この問題に取り組んでおられることを入手し

ネットで探しましたが、未熟ゆえに不発に終わりました。

 郵貯の問題で、NHK会長が「即座に謝罪文」を出して

その後のこの番組は取りやめになった経緯があり

番組を真剣で取り組んできた職員の、番組に対する懸命に取り組んできた職員の立場はどうなるのだろうと、疑念は今も闇の中でしかない…!

 教育権で有名な長野県になぜ学生の自殺者がワーストワン

だとは驚きでもあります。

 教師がいじめを平気で同僚教師にしているなんて、…??

 生徒は誰を信じればよいのでしょうか?

 これは事例に基づき、自殺マニアルとして教師に配布されている引用文です。

とA男に問題が生じた例)

A男は、頭痛、腹痛、微熱を訴えて、登校できない日が多くなっていた。時折登校しても、インクや画鋲を口に入れる、子犬や子猫を手荒に扱う、女子生徒を叩く、といった問題行動が出てきたために、A男自身も他の生徒たちからからかわれたり、  いじめられたりすることも多くなっていった。

久しぶりにA男が登校したある日の放課後、担任の教師が教科の遅れた部分を教えながら、声をかけた。

「最近どうしたんだ。先生は心配しているんだ」

すると、しばらく押し黙っていたA男が突然泣き出した。ようやく泣き止むと、次のように話し始めた。

「お母さんは、お兄ちゃんが死んで、ないてばっかり」

教師もA男の兄が交通事故で亡くなったことは知っていたが、それ以後の家庭内の出来事は十分に把握していなかった。A男はさらに続けて言った。

「、、。きっとお母さんもお父さんもお兄ちゃんじゃなくてぼくが死ねばよかったと思っているお父さんやお母さんがりこんするのも、お兄ちゃんが死んじゃったせいだ。お兄ちゃんに会いたい。お母さんは、いっしょに死のう、お兄ちゃんのところに行こう、ってぼくに言うんだ。ぼくが学校にいる間にお母さんがじさつするんじゃないかって、しんぱいなんだ」

早速、教師はA男と一緒に家庭を訪れ、変わり果てたA男の母親に対面した。教師は母親の話

をじっくり聞いた。その結果、次のような事情が明らかになった。

この生徒の家族構成は、両親と高校2年生の長男、そしてA男の4人家族だった。両親は学歴

、。が低かったことで苦労してきたため成績優秀な長男はまさに家庭の期待を一身に背負っていたA男も兄が大好きで、いつも一緒についてまわっていたが、兄に比べて、何をしても自分は劣るという想いがあった。

友人が自宅に泊まった翌朝、長男が友人をオートバイで送っていこうとした。母親は暗いのでバスで行くようにと強く言ったのだが、ふたりはそのまま出かけてしまった。ところが、近くの交差点で、トラックと正面衝突し、長男だけが亡くなり、友人は生き残った。-2-

母親は事故が起きたのは、もっと強く止めなかった自分の責任だと感じて、嘆き悲しんだ。街で高校生の姿を見ると、亡くなった長男を思い出す毎日だった。夜も眠れず、気分を晴らすために、酒を飲み、ほとんど食事もしなくなってしまった。信心深い女性であったが、長男の死後、「神も仏もない」という思いがつのり、信仰をやめてしまった。そして、母親は重症のうつ病になり、自殺を図ったが、幸い救命された。

夫(A男の父親)との仲も次第に疎遠になり、離婚も話題に上っていた。父親も母親も長男の死を悲しんでいることに変わりはなかったのだが、そのうちに互いを非難するようになっていたのだ。実際、最近では夫は家に寄りつかなくなっていた。

その頃から、A男もさまざまな問題行動を呈していった。

このように書くと、とてもまとまっている印象を受けるかもしれないが、これは後になって、時間の経過に従って記述したものである。最初はこの家族の問題を周囲の人々は十分に気づいていなかった。

まず、担任の教師がA男の行動の変化に気づいて、働きかけたことが、問題を明らかにする第一歩になった。

家族の期待を一身に背負った長男の突然の死は、家族関係に暗い影を落とした。このような形で家族を失うと、遺された人々の関係に一挙に変化が生じ、しばしば両親の離婚などが問題になってくる。この例では、長男の事故死だったが、子どもが自殺した後に、両親が離婚するということもめずらしくない。

掛け替えのない存在である長男を失い、母親もうつ病になってしまった。さらに、自殺を図るまで追いつめられ、幼いA男に一緒に死ぬことまで語りかけている。

なお、A男が学校に出てこられなくなった大きな理由は「お母さんをひとりにしておくと、、じさつするんじゃないかって、しんぱいなんだ」というものだった。

A男は家族の中で起きた悲劇をすべて自分の責任と考えて、必死で耐えていた。このように家族に起きた悲劇を自分に結びつけて考えることは、この世代ではめずらしくない。兄の死も、両親の離婚も、すべて自分の責任だと、A男は幼いながらも悩んでいた。

インクや画鋲を口に含むといった行為について「これで死ねる」とA男は考えていた。数日、前に、自宅近くのマンションの5階から手すりを乗り越えようとしたことや、大通りで走っているトラックの前に飛び出そうとしたことも教師に打ち明けた。

両親はともに長男の突然の事故死という悲劇に圧倒されていて、A男が抱えている問題に目を向けるだけの余裕が残されていなかった。A男が必死の思いで発していた救いを求める叫びと、家族の問題に気づき、専門家の治療に紹介したのは、A男の担任の教師だった。この教師の努力で、A男も母親も医療機関に受診することになり、その後も、中心となって母子を支えたのはこの教師であった。-3-

事例2.B子13歳(自殺の危険が絵に現わされた例)

B子は地方の私立中学校に通学していた。授業中に外国人教師が英語でいくつかの簡単な指示を生徒たちに出した。そのうちのひとつは、自分の姿を絵に描くようにというものであった。皆が無邪気にはしゃぎながら自画像を描き始めた。しかし、B子の絵だけは他の生徒とは明らかに

、。、、異なりひどく不気味なものだった胴体から手足と頭がもぎ取られ首から赤い物が吹き出し飛び散った顔は黒くぬりつぶされて表情がなかった。

、。、教師は一目でその絵が尋常でないことに気づき説明してくれるようにB子に頼んだしかしB子は黙りこくったまま、悲しげな眼差しで教師を見つめるばかりで、口を開こうとはしなかった。

教師には知人の精神科医がいたので、連絡を取り、次のように助言された「絵のような非言。

語的な手段でこころの深い部分を表現することがある。それが生徒の隠された攻撃性や衝動性を表わしている可能性は否定できない。まず、最近の家庭状況、学校での様子、友達との関係といった情報をもう少し詳しく集めてほしい。そうすることによって、絵の持つ意味はもっと詳しくわかってくるだろう。生徒のこれまでの様子をよく知っている担任の教師と連絡を取り、具体的な情報を得てほしい」

早速、外国人教師は担任の教師と連絡を取り、生徒が置かれている現在の状況を把握した。そ

の結果、生徒の最近の状況が明らかになった。

生徒は一人娘で、父親が大好きだった。しかし、半年前に両親が離婚し、生徒は母親と二人で暮らしていた。そもそも実家から反対された結婚であり、母親は実家に援助を求めることもできなかった。前夫からの生活費の支払いも最近では滞りがちであった。母親は朝から晩まで働き、娘と一緒に過ごす時間はほとんどなかった。

お父さん子だったB子は、父親が愛人を作って、家を出たことに失望し、母親と自分は父親から捨てられてしまったと感じていた。離婚を父親と母親の間の問題ととらえられずに、自分さえよい子にしていたら、今でも両親と仲良く暮らしていけたはずだと悩んでいた。

母親は生活費を捻出するのに忙しい毎日を送っており、離婚に対する娘の反応にまで配慮する余裕はなかった。B子は忙しく働いている母親の姿を見て、自分さえいなければ、これほど母親が苦労することもなかっただろうと考えていた。そして、自分たちのもとを去った父親のことばかり毎日思い浮べていた。

最近では、食欲もなく、睡眠も十分に取れず「自分さえいなければ」といった気持ちにとら、われていた。体重も減少し、以前の明るさが失われていった。学校には何とか休まずに通っていたが、友人はなく、成績も下がり気味であった。裕福な家庭の子弟が通う私立中学校の中で自分のことを「醜いあひるの子」のように感じていたという。首をくくろうとしたり、母親の鎮痛剤を多量にのんだりして自殺を図ったが、近くの救急病院で秘密裏に処置された。自殺を図って、むしろそれまでの心配事が薄れていくように感じた。死ぬことはけっして恐ろしいことではなか-4-

ったという。B子の救いを求める叫びは聞き入れられず、さらに絶望感が強まる結果になってしまった。

同じ頃、中学生の「いじめ自殺」が連日のようにテレビや新聞で報道されていた「私と同じ。

」「」「、ように死にたいと思っている子がたくさんいるんだ思ったより簡単に死ねる私が死んでもみんながあんなに悲しんでくれるだろうか「自殺してしまえば、苦しいことは何もなくなる」」

などと思った。

自傷行為が繰り返されるため、救急病院の医師がB子を精神科に受診させるようにと母親に助言したが、母親は頑なに拒んだ。母親も一体どのように娘に対応してよいかわからず、持って行き場のない怒りを直接娘にぶつけることもしばしばだった。

このようにB子の置かれた最近の状況の概略を、精神科医に知らせたところ、次のように助言

された。

「不気味な自画像や自殺未遂は絶望の中で必死に救いを求める叫びであると考えるべきで、けっして軽視してはならない。なるべく早く精神科治療を受ける必要がある。自殺の危険はかなり高いと考えるべきだ。本人の治療と並行して、母親も含めた家族療法が必要だろう。母親も本人も精神科治療に抵抗を示すかもしれないが、学校側としては、精神科への受診を粘り強く勧めてほしい。その間、学校では、教師がその生徒に今まで通りの関心を示し続けて、暖かい目で見守ってほしい」

そして、担任や外国人教師を通じて、母と娘がともに精神科受診をするように時間をかけて説得された。母親は離婚後の状況の中で、毎日の生活だけに目を奪われていたことをようやく認め

。、、た精神科に受診する必要があると感じていたもののどうしたらよいかわからなかったと言いようやく教師達の説得に応じた。

この事例では、数回の自殺未遂を認めたものの、母親がその深刻な事態をなかなか認めようとしなかった。そして、授業中に外国人教師が、偶然、生徒の希死念慮に気づき、精神科治療を受けるようになったものである。

生徒は両親の離婚に対して、その責任はすべて自分にあると思いこみ、ひどく自分を責め、抑うつ症状を呈するようになっていった。そして、離婚後の家庭の混乱の中でB子は自殺を図ったのだが、その後も周囲の状況はまったく好転しなかった。

なお、親の離婚といった家族の問題を子どもが自分に関連づけて解釈することはこの年頃ではめずしくはない。高校生くらいの年代になっても、親の離婚について子どもが自分に責任があるなどと感じて、ひどく自分を責めたり、抑うつ的になったりすることがある。

この生徒の場合、絶望的な状況で描いた一枚の自画像が、生徒に強い関心を抱く教師の目に止まり、助けの手を差し伸べられる第一歩となった。生徒の日常生活のわずかな、しかし重大な変化に最初に気づき、重要な介入の一歩を教師が開始することはめずらしくない。ここには、絶望的な状況の中でも一条の希望の光が差し込んでいる。-5-