運命は切り開くもの!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 誕生を選ぶことが出来ないように、親を選ぶことも叶いません。

これは大変ではありましょうが運命として切り開く以外にはありません。

 親の離婚、再婚と家庭が崩壊し

家族形態が気付けない子供もどれほど存在するか知れません

 わが姪の家族も貧しきながらも楽しい家族です。

 姪の子は、大学を、親の支出なく、それを恨むこともなく

月々、5万円の奨学金と自分のアルバイト料で

自立した生活を、送っております。

 これは陸上クラブで培った精神力の逞しさではないかと思っています。

 またこの時期、幼馴染の彼氏から

大学卒業後には、海外に行くので、一緒に行ってほしいと言われたそうですが

 看護士になってやりたいことが沢山ありすぎて

彼とは結婚も視野にあったけれど

自分の人生の先々を考えて別れを決断したのだと

日曜日にひょっこり訪ねてきてくれた。

 これも人生の選択し、別れのつらさを体験しながら

活路を見い出して欲しいと静かなるエールを送りました。

お母さんはこの結婚を楽しみにしていたので

少し、時間を 置いて話したいと原器に帰っていきました。

 人生は、いろんな紆余曲折の中、悲しみ、苦しみを体験しながら

人間としての味がいろいろな形で挫折を含め

ブレンドされるのだろうと思っています。

 人に対する社寺加減も人生の学びの一つでもあります。

     東洋経済より。

親の離婚、再婚、闘病、そして学費問題… 断絶した実父と、養育費で揺れる18歳の本音

親の離婚を経験した人たちが、子どもだった当時感じたことや、その後の親子関係につ

いて本音を語る。NPO法人ウィーズが昨年こんなイベントを企画し、私がある媒体で紹介

したところ、大きな反響がありました。そのなかにこんなメッセージがありました。

こちら

「私の両親は私が小学6年生のときに離婚しました。当時から高校3年となった現在も、

離婚後の親子関係、面会交流、子どもの気持ち等に強い関心があります。(中略)お話

を伺いたく連絡をさせていただきました」

高校生から連絡をもらったのは初めてです。こちらのほうこそぜひお話を聞いてみたい

。お返事を送り、東京駅の近くの喫茶店で会う約束をしたのでした。「おとなたちには

、わからない。」シリーズ、今回は親の離婚と再婚を経験した森村忠孝さん(仮名・18

歳)のお話です。?

「子どもの意思」の難しさ

忠孝さんは現在、東京近郊で母親とふたりで暮らしています。忠孝さんの母親は離婚後

まもなく、今から5年前、中学1年生のときに再婚しましたが、相手(継父)は現在、新潟

に単身赴任している状態です。

母親は長年重いうつ病を患い、家事はヘルパーさんや訪問看護師に支えられています。

母親が毎月通う都内の病院にも、彼が付き添っているのだそう。

そうした環境の中で、大学受験の勉強を続ける忠孝さん。でも、状況から想像するよう

な悲壮感はありません。かといって無理をしているわけでもない。年齢のわりには落ち

着いて見えますが、態度も口調も朗らかです。そんな忠孝さんでも、両親の離婚につい

ては、今でも思うところがたくさんあるようです。

「いかにも離婚前、といった雰囲気ではなくて、けんかしているところも見たことがな

かった。冷戦みたいな感じだったので、僕にとっては突然すぎました。だからまず混乱

しましたね。一方の親が(家から)いなくなってしまうわけだし、今後の見通しも立た

ない。だから親を説得したり、親せきの人を巻き込んで話をしたり、いろいろしたんで

すけれど、でも小学生の力ではどうしようもなかった」

12歳(当時)にしてはすごい行動力です。しかし、離婚は止められず。忠孝さんの親権

は、母親がもつことになりました。

当初の約束では、「最初の1年は父親が家を出て、母親と忠孝さんが一緒に暮らし、翌年

は母親が家を出て、父親と忠孝さんがともに暮らす」ことになっていました。1年目、父

親はすぐ近くに住んでいたのでしばらく会っていましたが、3、4カ月経った頃、忠孝さ

んと仲たがいしてしまいます。

「自分はピアノをやっていて、全国でも何度か入賞しています。けっこう本格的にやっ

ているのですが、父親とはピアノに対する考え方や、学費のことでもめたり、なんだか

んだあって会えなくなって。

そんななか、父親が、母親がもっていた僕の親権を自分(父親)に移す、親権変更の調

停を起こしたんです。一般的にはこうした場合、面会交流の調停から始まるので、僕と

しては驚きました」

実際のところ、忠孝さんと父親がもめたというより、母親と父親の間で考えの相違があ

った、ということかもしれません。このとき忠孝さんは、調査官と話をしたり、調停委

員に自分の考えを文章にまとめて送ったりしたそう。

「母親と暮らしていきたい、親権を母親に、みたいなことを伝えました。離婚直後、小

学校の卒業式や中学校の入学式のときも、父親からは特に連絡もなかったんです。そう

した状況でいきなり親権変更と言われても、それはちょっと……と。

今振り返ると、それで本当によかったのかな、というところはあります。当時は同居す

る母親の影響を強く受けていた気もしますし。

子どもの意思を尊重するのは大切だと思いますが、なにしろ小学生ですから。長期的な

視野で見たり、客観的に判断したりする力を考えると、必ずしも子どもの意思を尊重し

て、親権や面会交流を決めることがいいとも限らないのかな、と思ったりもします」

調査官と話したのは1回だけ

とても難しい問題です。子どもの判断には、やはり不十分な部分があります。だからと

いって、「意思を尊重しなくていい」としてしまえば、今度は大人の都合だけで話が進

められてしまう。できるかぎり、客観的な大人の目が必要なところでしょう。

「調査官の人には、父親をどう思っているかとか、母親との現在の暮らしがどうかなど

を聞かれたと思います。でも調査官と話したのは1回だけですし、今の制度でどこまで子

どもの本心、心情に迫れるものか??疑問もあります」

この調停は結局、父親が取り下げて終わりました。以来5、6年ほど、父親とは連絡が途

絶えているのだそう。

中学1年のときには、母親が現在の父親(継父)と再婚します。その後、継父の転勤で中

1の途中からは東京の近辺で、高校からは新潟で暮らすことに。今では父親が単身赴任の

状態ですが、当時は「また離婚になりかねない」という母親の不安から、一緒に暮らす

ことを選んだのでした。

「途中からの転校はつらいですね。高校に入るときは、みんな知らない者同士だからよ

かったけれど、中学の途中で転校したときはなかなか入りにくくて、けっこうきつかっ

たです」

さらに、新潟に移って間もなく母親のがんが見つかります。治療の都合上、母親は急き

ょ、都内にマンションを借りて暮らすことに。忠孝さんは継父と新潟で暮らしつつ、週

に1度は新幹線で東京に通う生活を送りました。

当時、継父は仕事で毎日帰りが遅く、土日も出勤していたため、忠孝さんは「ほぼひと

り暮らしの状態」でした。「気楽だった」と言いますが、本当はもちろん、寂しさや不

安もあったでしょう。

その後、忠孝さんは大学進学のことも考え再び上京しました。高2からは母親とともに暮

らしており、新潟に残った継父が単身赴任の状態です。

「(公立)高校の転校は、ほとんど選べないんです。教育委員会が3校くらい選択肢を出

してくれるのですが、転校前の学校より偏差値的にものすごく下がる。それでも東京都

よりは今の県のほうが比較的ましだったので、ここに引っ越してきました。私立に転入

するなら、そんなにレベルは下がらなかったと思いますが、大学で私立に行く可能性を

考えると、経済的にそこまではかなわない状況でした」

忠孝さんはこの春、私立の難関大学に入学しています(取材は2017年7月)。どんな環境

でも勉強する力がある忠孝さんだったからそれは可能でしたが、 いわゆる“ふつう”の

人なら進学をあきらめる状況だったかもしれません。

進学費用をめぐる継父への遠慮

忠孝さんが離婚家庭の子どもの問題を考えるようになったのは、自身の経験もあります

が、実子と会えなくなった継父の様子を間近に見てきた影響もあるようです。

「再婚した父(継父)は、前の奥さんとの間の子どもに会えていないんです。子どもが2

歳のときから、ずっと。本当かどうかわかりませんが、再婚した父の元奥さんは、子ど

もに対して『お父さんはいない、だから会いに来られると混乱する』と言っているらし

いんです。

さすがに『いないことにする』のはどうなのかな、と。その子は父親の記憶もないし、

顔もわからない。それじゃ、会う・会わないの選択肢すら、子どもにはないわけじゃな

いですか。それが成立しちゃうのは、いかがなものかなとは思います」

継父は面会交流を求めて調停を起こしたものの、「相手にうまく取り下げる方向にもっ

ていかれ」、子どもが10歳になる今も、会えていないのだそう。

忠孝さんは継父に頼まれて、その子の様子を見に行くことがあります。継父の実子は、

地元で子どもの劇団に入っているので、忠孝さんが公演を観に行き、動画を撮ってきて

あげるのです。

なんと優しい継息子か。高校生男子としては、ちょっと出来すぎた行動にも思えます。

「電車で1時間くらいですが、行けない距離ではないので。会えていないのはかわいそう

、という同情もありますし、それにやっぱり(継父と自分は)実の親子とはまた違うの

で……」

よくよく話を聞くと、忠孝さんは継父に対して、だいぶ気を遣っているようです。

「すごくストレートに言えば、おカネを出してもらっているので、機嫌を損ねるわけに

いかないんですよ。特にこれから大学に行くとなると。(継父は)僕には直接言わない

ですが、お母さんにはいろいろ言うこともあるらしくて」

離婚家庭の子どもが、おカネの問題から大学進学をあきらめるケースは多くありますが

、実は再婚家庭でも、子どもたちはしばしば進学について悩んでいます。

費用を出す立場になることが多い継父自身、実子ではない子どものために多額のおカネ

を拠出することに割り切れない思いを抱えていることもありますし、それを察して実母

も遠慮がちになる。そんなケースも少なくありません。

子ども自身が動かなくてはいけない状況

私が以前取材した大学生は、進学費用について悩んだ末、自分で実父に養育費の値上げ

交渉をしたと話していました。忠孝さんも、養育費を値上げしてほしいと思っているの

ですが、実父にそれを伝えるのには逡巡があるようです。

「母親は直接話したくないらしく、代理人(弁護士)を通すことになると思うんですが

、そうすると弁護士への報酬も発生する。それに公正証書で取り決めた額があるので、

(増額は)断られたら終わりなんです。

今後(僕が)会うかどうか……。向こうからは連絡がないので、どうしていくかな、と

いうところです」

最近は、同居親ではなく子ども本人が、養育費について支援機関に相談するケースも多

いと聞きます。現在の制度が養育費の確保という経済的な子どもの権利を守れていない

から、子ども自身が動かなくてはいけない状況を、ひとりの大人として申し訳なく感じ

ます。

「離婚しないでくれたらよかった、というのは思います。離婚がなければ、その後いろ

いろ大変なことに悩まされることはなかったので」

私も離婚したひとりの親の立場として、しっかりと受け止めたい言葉でした。

会いたいかどうかがわからない理由

養育費のことを抜きに考えたとき、実父に会いたいという気持ちはある??そう尋ねると

、「よくわからない」と、忠孝さんは答えます。

「『会いたいかどうか』って、本当に、よくわからないんですよ。小中学生だと、もっ

とわからないんじゃないかと思う。会うとなったとして、父親のほうがどう思うかもわ

からない。会わなくなって5年も経つので、さすがに(実父も)変わっていると思うし。

継父のところのように同居親の意向で会えないケースもあるけれど、うちみたいに『1回

会わなくなってしまって、それからなんとなく、そのまま会わない』というケースも、

実はけっこうある気がします。『虐待があった』とかならともかく、『絶対会いたくな

い明確な理由がある子』って、意外と少ないんじゃないかなって」

会いたいかどうか、よくわからない。そういった子どもが意外と多いことは、私も感じ

てきました。

子どもと離れて暮らす別居親のほうは、子どもや元配偶者の新生活への遠慮などもあり

、積極的に「会いたい」と言ってこないのかもしれません。でも、子どもたちはうっす

らと傷つきつつ、その感情を封印してしまう。それで「わからない」という感覚になる

のではないか。私自身の子どもと元夫の関係を見ていても、そう思ったことがありまし

た。

「向こう(実父)の親、おじいちゃんおばあちゃんにも会っていないのですが、祖父母

はもう80代後半。父親のことはゆっくり考えていいかなと思うんですけれど、祖父母の

ほうは先にと思います。ときどき手紙も来ているので」

それは、なるべく早く会いに行ってあげなよ……。私が口を出すことではないのですが

、つい言わずにはいられませんでした。祖父母にだって孫に会う権利はあるでしょう。

忠孝さんがいやでないのなら、会ってあげてほしくなります。

そして、5年間会っていない息子のために毎月黙々と養育費を払い続ける父親の思いと、

何も連絡をしてこない父親に対する息子の複雑な思い。いつか、交錯するときは来るの

でしょうか。

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