癌の闘病記に救われた酒井産経記者。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
昨年47歳で小腸癌を発症した政治部記者(酒井)が語る闘病記。
生命のリスク要因を救ってもらえる強い味方家族、職場の仲間。
それは個人の今まで生きてきた姿そのものである。
わが命のモチベーションを救ってくれるものは、医学書ではなく
個人がメンタリティーを培ってこられた様々な体験記であるという。
やはりまさにその渦中にあるその人の症状、生き様、命に向かうための
闘病記に触れることは、同じ環境を共有できている思いも強くある。
思い一つで、下りでもありのぼりでもある。
強くて太いえねるぎー源んはなかろうか?
末期の胃がんと診断されたとき、私は精神が崩壊しそうになりました。余命半年という
限られた時間にはじめた読書は、私の精神をつなぎとめ、いろんなものを手に入れるこ
とができました。
そして気がつけば余命は解除され、折れない心に変わっていました。
1.読書をはじめて思ったこと
2.毎日読んで、折れない心にしていく本
3.読書をはじめて、私が手に入れたもの
読書をはじめて思ったこと
不安・恐怖の克服は、一生続く心の修行
がんになってから、ちょっとしたことで「再発・進行・転移したのでは?」と心配にな
ってざわざわします。不安・恐怖の克服は一生続く心の修行のようなもので、これまで
以上にメンタルの強さが必要でした。
ある人はがんと闘い、ある人はがんに抵抗し、ある人はがんを受け入れ、ある人はあき
らめていきます。私はがんと闘うことから、受け入れることに変化していきました。そ
のどちらも、メンタルを強くしないと治療を続けられないと感じました。
結果が出ているのに、手ごたえを感じない
不安になったり気持ちが凹んだとき、なにか支えるものがないと簡単に心が折れました
。一年前の私は、本当に弱かったです。
少しずつ折れない心になったのは、サポートをしてくれた人たちと日々の積み重ねでし
た。励ましてもらい、自分がやろうと決めたことを「よしっ!今日もやった」と繰り返
せたお陰です。
その結果、がんは小さくなっていき、言葉にできないほど感謝をしています。でも、心
に手ごたえはありませんでした。
社会人になると、誰にも叱ってもらえない
サポートをしてもらうと、なかなか判断できない自分がいることに気づきました。手ご
たえを感じなかった原因は、ブレない価値観(=メンタルの強さ)が自分になく、選ん
でもらっていたからでした。
つまり、甘えて自立ができていませんでした。
これまでの人生を振り返ると、私は師と呼べる人に出会えていません。本を読んで心の
師と呼べる人物に叱ってもらい、後悔しない判断を自分でできるようになろう。そう思
い本を読むと、一層折れない心になっていきました。
がんの治療には、命を左右するような選択もあります。だからといって何かに頼ったり
依存しはじめると、甘えて自立できずに他人の人生を歩きはじめるようになる。そんな
気がしています。
山陽経済より。
【希少がんと共に生きる】読みあさった闘病記 どん底からはい上がるきっかけになっ
た「言葉」 (2018年3月20日 07:00)
ステージ4の小腸がんと闘っている47歳の筆者(産経新聞政治部 坂井広志)は周
囲から「エネルギッシュだ」「ステージ4には見えない」などといわれることが多い。
元気でいられるのは、がんを告知された平成28年12月28日から2カ月、泣きまく
り、どん底まで落ち込んだことが大きい。どん底まで行けば後ははい上がるしかない。
もう一つは数々の闘病記の存在だ。どのような闘病記を読み、気力を蘇らせたのか-。
日本対がん協会の常務理事、関原健夫さん(72)は13年に闘病記『がん六回 人
生全快』(朝日新聞社)を出版し、28年にブックマン社が復刻版を出した。
39歳で日本興業銀行ニューヨーク支店で営業課長だった関原さんは腹部に違和感を
覚えた。原因は大腸がんだった。その後、肝臓や肺に転移し、受けた手術は実に計6回
という。
筆者の場合、がん細胞が小腸の内側から外側に顔を出し、腹膜に無数のがん細胞が散
らばっている。この腹膜播種(はしゅ)は悪性度が高いが、6回も手術を受け、いまな
お健在である関原さんの姿は生きることへの闘志に火をつけた。
復刻版には「普通のサラリーマンが歳若くしてがんを患い、がん患者にとって最も耐
え難い転移、再発を繰り返しながらも、普通に働き続けた生き様をがん患者に伝え、闘
病の励みになればと考えた」と記しており、がん告知当時、働き盛りの46歳だった筆
者には共感することが多かった。
関原さんは入院中も検査の予定がない日は病院から出勤していた。相部屋の患者の中
には「毎日背広に着替えて出かけて行き、食事は外食ばかりでしょっちゅう外泊してい
るあの患者はどこが悪いのか」と看護婦に尋ねる人もいたという。「がん患者にとって
仕事の継続はがん闘病の原点」と書いており、この思いは筆者と軌を一にしている。
励まされた書籍はほかにもある。腎臓がんで「余命ゼロ」を宣告されながらも奇跡の
生還を果たした俳優の小西博之さん(58)の『生きてるだけで150点!』(毎日新
聞出版)だ。小西さんは手術でみぞおちから背中までV字形の約50センチの傷が残っ
ている。
小西さんが紹介しているのが、師匠の萩本欽一さん(76)が常々口にしている「幸
せ」と「不幸せ」は人生で「50対50」という言葉だ。欽ちゃんは「人は悪いことが
あれば、嘆き、悲しみ、落ち込む。落ち込んでもいい。しかし、その不幸は拒絶せずに
きちんと受け止めなければいけない。人生とはそういうものだ」を人生訓にしていると
いう。「人生50対50」との考え方は気持ちを楽にさせた。
19歳で肝臓がんを患い、余命半年の宣告を受けた山下弘子さん(25)の『雨上が
りに咲く向日葵(ひまわり)のように』(宝島社)には、こんな記述がある。
「『もう死ぬかもしれない』『私はもうダメかもしれない』と、まだ起こってもいな
い未来について思い悩んだって、仕方がありません。悩んだところで、自分の寿命を延
ばしてくれるわけでもないのです」
「たとえ明日この世から消えて亡くなったとしても、十分幸せだったと思えるよう、
後悔のない日々を過ごす。それしかありません」
筆者が抱える小腸がんも抜本的な治療方法はなく、大腸がんの薬で生命を維持してい
る。服用している錠剤の「ゼローダ」や、副作用が強く出たため中止している「オキサ
リプラチン」の点滴が効かなくなった場合の2次治療薬はない。山下さんの本からは、
死におびえることから脱却しなければならないと決意した。
がんの症状には個人差があり、全ての患者が生き延びているわけではない。26年8
月、31歳で胃がんと診断されたニュースキャスターの黒木奈々さんは27年3月に『
未来のことは未来の私にまかせよう』(文芸春秋)を出版した。
「負けたくない。悔しい。打ち負かせてみせる!」
「この困難を乗り越えた先には希望があるんだ。頑張ろう」
自らを鼓舞する言葉がふんだんに出てくる。筆者もこうした思いを胸に抱いて仕事と
治療の両立に励んでいるが、がんには運が左右する側面があるのは否めない。黒木さん
は27年9月、32歳でこの世を去った。
筆者が今後どのような症状に襲われ、いつ人生に幕を閉じるのかは誰も知らない。だ
が、がんになって気付かされたことはたくさんある。子宮頸がんを患った三原じゅん子
参院議員(53)は『生きたい』(講談社)で、こう記している。
「がんという病を通じて、これまで気づくことのなかったキラキラと輝く心の宝石を
たくさんみつけることができました」
筆者も周囲の気遣い、激励に感謝の気持ちを忘れることはない。乳がんを乗り越え、
日本テレビでキャスターを務める鈴木美穂さん(34)は患者支援団体の代表者らによ
る国際交流会議で、乳がん経験者だと告げると、こう言われた。
「コングラチュレーションズ!(おめでとう)」
がんになったことは大変だったかもしれないが、大変な経験を乗り越えて、命がある
のは素晴らしい-。そんな思いが込められているという。とはいえ、ときに不安に駆ら
れることがあるのが現実だ。筆者は今でも闘病記を読みあさり、著者がどういう思いに
至ったかを知ることで、明るく前向きに生きようと努めている。 (政治部 坂井広志
)