ミコばあちゃんの死に自宅。
ご機嫌いかがでしょうか
視界ゼロのミコばあちゃんです。
今日はとても冷え込んでいて、-3度は超えそうな冷え冷えとした深夜です。
ミコばあちゃんも、もう死に自宅の必要な年齢となり
相談者もいない中、自己決定にあたりあまりにも知らないことが多すぎる。
無料に近いほどの土地においてもこれらの移動ができていないと土地を動かすこともできない。
本人の死後に当たっては、同意書の作成のため、多くの署名が必要となり
ご迷惑の少ないendingって少ないのではなかろうか。
すっきり状態で、引き算による人生を楽しむこともなかなかである。
残されたものに大きい負担をかけることにもなる。
田舎においては、二代前からの土地がそのまま放置されていたことで
大変な手続きに奔走しなければならないようだ。
家を建て直すにあたっても、多くの署名が必要となる。
新聞記事の一文。
【正論】超高齢化社会の到来… 遺言で新たな社会貢献の決意 実りある「終活」へ 日本財団
会長・笹川陽平
遺言書の作成は遺産相続に伴うトラブルを低減させるだけでなく、人生を見つめ直す格好の機会
となる。しかし残念なことに、わが国では寄付と同様、遺言文化も低調である。
≪必要性を認める人は60%≫
一方で人口の4人に1人を65歳以上が占め、さらに少子高齢化が進む現代は、1人でも多くの
高齢者の社会参加が、次世代の負担を軽減するためにも欠かせない。
高齢者の社会参加を促すきっかけとして本年から1月5日を「遺言の日」と決め、広く遺言の普
及・拡大を呼び掛けたく考える。
日本財団が昨年3月、全国の40歳以上の男女約2500人を対象に行った意識調査では、61
%が遺言書を残す必要性を認めた。しかし実際に遺言書を作成していた人は3・2%にとどま
った。
「遺言は紳士のたしなみ」の言葉もある英国では、75歳以上人口の80%以上が遺言書を作成
し遺言が文化として定着している。だからといって日本に遺言文化の下地がなかったわけでは
ない。奈良時代の養老律令には遺言制度に関する記述があり、中世も庶民の間では遺言相続の
慣行があった。
しかし江戸時代の家父長的な家制度、さらに長男1人が戸主の地位や全財産を引き継ぐ明治以降
の家督相続制度によって、遺言文化は下火になった。
1947年の民法改正で家督相続は均分相続制度に変わったが、「老いた親の老後の面倒や家を
継ぐのは長男」といった形で、今もその影響が残り、遺言文化が普及しない一因となっている。
とはいえ公証人の助言を得て作成される公正証書遺言でみると2014年は約10万5千件(日
本公証人連合会調べ)と10年間で1・5倍に伸びており、遺言に対する関心は徐々に高まり
つつある。
昨年末、実際に遺言書を作成した40歳以上の男女200人に、対象となった資産額を聞いたと
ころ、5千万円超が61人、1千万〜5千万円が64人、1千万円未満が75人。遺言書の作
成は金持ちや資産家だけでなく、ごく一般の家庭にも広がりつつある。
≪単なる財産分配ではない≫
7割以上は遺言書の存在を家族に知らせ、「今後の生活や家族・親族間に相続争いが発生する不
安が減った」と答え、希薄となった親子関係を再確認し、遺産相続をめぐる不要なトラブルを
減らす効果も出ている。
少子化の進行で法定相続人がいない人や遺産を公益性の高い団体などに譲渡し社会課題の解決に
役立てる遺贈寄付も増え、受け皿となる組織も整備されつつある。
われわれが昨春、開設した遺贈寄付サポートセンターにも69歳で亡くなられた女性から、「世
界の恵まれない子どものために」と1億5千万円の遺贈寄付があり、全額、ミャンマーでの障
害児支援施設の建設に活用された。
以上が、わが国における遺言の現状であり、全体に望ましい方向に向かっていると思う。
しかし本稿では、遺言書の作成に、単なる財産の分配ではなく、新たな社会貢献の決意という、
より大きな役割を期待したい。死後に遺(のこ)す本人の思い(遺言)を書面にまとめる厳粛
な作業を通じて過去を振り返り、残る時間を有意義に過ごす覚悟を固めれば、実りある終活に
もつながる。
わが国は20年後、3人に1人が65歳以上の超高齢化社会を迎える。大半が70歳前に現役を
引退する現在の形で、次世代が高い社会負担に耐えられるとはとても思えない。
高齢世代が戦後の日本の繁栄を担ったのは間違いないが、その一方で国債や借入金など「国の借
金」も国内総生産(GDP)の2倍近い1050兆円に膨らんでいる。放置すれば次世代の負
担はさらに膨張し世代間の対立も深まる。これを乗り切るには、高齢者が可能な限り社会活動
に参加し、その一端を担うしかない。
≪次世代の負担を軽くする≫
もちろん受け皿となる制度や仕組みの整備は欠かせない。しかし何よりも必要なのは、高齢者一
人一人の自覚と覚悟である。
高齢者による高齢者の介護や子供の貧困支援など社会貢献の場はいくらでもあり、そうした努力
が次世代の負担を軽くする。
本稿では遺言を題材に超高齢化社会における高齢者の生き方を論じている。違和感を覚える向き
があるかもしれないが、超高齢化社会に対する不安はそれほど深刻であり、よほどの決意がな
い限り乗り切れない。
人類にとって未知の体験であり、それ故に国際社会も高齢化の最先端を走る日本が今後どういう
社会を作るか、注目している。
日本老年学会は先に「高齢者は体力、知的能力だけでなく身体能力も10年以上、若返った」と
して、現在65歳以上の高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言している。
高齢者に対する社会参加の呼び掛けに他ならない。ひとりでも多くが、そうした決意を固める場
として遺言書の作成に臨まれるよう、あらためて呼び掛ける。(日本財団会長・笹川陽平 さ
さかわ ようへい)
ご機嫌いかがでしょうか
視界ゼロのミコばあちゃんです。
今日はとても冷え込んでいて、-3度は超えそうな冷え冷えとした深夜です。
ミコばあちゃんも、もう死に自宅の必要な年齢となり
相談者もいない中、自己決定にあたりあまりにも知らないことが多すぎる。
無料に近いほどの土地においてもこれらの移動ができていないと土地を動かすこともできない。
本人の死後に当たっては、同意書の作成のため、多くの署名が必要となり
ご迷惑の少ないendingって少ないのではなかろうか。
すっきり状態で、引き算による人生を楽しむこともなかなかである。
残されたものに大きい負担をかけることにもなる。
田舎においては、二代前からの土地がそのまま放置されていたことで
大変な手続きに奔走しなければならないようだ。
家を建て直すにあたっても、多くの署名が必要となる。
新聞記事の一文。
【正論】超高齢化社会の到来… 遺言で新たな社会貢献の決意 実りある「終活」へ 日本財団
会長・笹川陽平
遺言書の作成は遺産相続に伴うトラブルを低減させるだけでなく、人生を見つめ直す格好の機会
となる。しかし残念なことに、わが国では寄付と同様、遺言文化も低調である。
≪必要性を認める人は60%≫
一方で人口の4人に1人を65歳以上が占め、さらに少子高齢化が進む現代は、1人でも多くの
高齢者の社会参加が、次世代の負担を軽減するためにも欠かせない。
高齢者の社会参加を促すきっかけとして本年から1月5日を「遺言の日」と決め、広く遺言の普
及・拡大を呼び掛けたく考える。
日本財団が昨年3月、全国の40歳以上の男女約2500人を対象に行った意識調査では、61
%が遺言書を残す必要性を認めた。しかし実際に遺言書を作成していた人は3・2%にとどま
った。
「遺言は紳士のたしなみ」の言葉もある英国では、75歳以上人口の80%以上が遺言書を作成
し遺言が文化として定着している。だからといって日本に遺言文化の下地がなかったわけでは
ない。奈良時代の養老律令には遺言制度に関する記述があり、中世も庶民の間では遺言相続の
慣行があった。
しかし江戸時代の家父長的な家制度、さらに長男1人が戸主の地位や全財産を引き継ぐ明治以降
の家督相続制度によって、遺言文化は下火になった。
1947年の民法改正で家督相続は均分相続制度に変わったが、「老いた親の老後の面倒や家を
継ぐのは長男」といった形で、今もその影響が残り、遺言文化が普及しない一因となっている。
とはいえ公証人の助言を得て作成される公正証書遺言でみると2014年は約10万5千件(日
本公証人連合会調べ)と10年間で1・5倍に伸びており、遺言に対する関心は徐々に高まり
つつある。
昨年末、実際に遺言書を作成した40歳以上の男女200人に、対象となった資産額を聞いたと
ころ、5千万円超が61人、1千万〜5千万円が64人、1千万円未満が75人。遺言書の作
成は金持ちや資産家だけでなく、ごく一般の家庭にも広がりつつある。
≪単なる財産分配ではない≫
7割以上は遺言書の存在を家族に知らせ、「今後の生活や家族・親族間に相続争いが発生する不
安が減った」と答え、希薄となった親子関係を再確認し、遺産相続をめぐる不要なトラブルを
減らす効果も出ている。
少子化の進行で法定相続人がいない人や遺産を公益性の高い団体などに譲渡し社会課題の解決に
役立てる遺贈寄付も増え、受け皿となる組織も整備されつつある。
われわれが昨春、開設した遺贈寄付サポートセンターにも69歳で亡くなられた女性から、「世
界の恵まれない子どものために」と1億5千万円の遺贈寄付があり、全額、ミャンマーでの障
害児支援施設の建設に活用された。
以上が、わが国における遺言の現状であり、全体に望ましい方向に向かっていると思う。
しかし本稿では、遺言書の作成に、単なる財産の分配ではなく、新たな社会貢献の決意という、
より大きな役割を期待したい。死後に遺(のこ)す本人の思い(遺言)を書面にまとめる厳粛
な作業を通じて過去を振り返り、残る時間を有意義に過ごす覚悟を固めれば、実りある終活に
もつながる。
わが国は20年後、3人に1人が65歳以上の超高齢化社会を迎える。大半が70歳前に現役を
引退する現在の形で、次世代が高い社会負担に耐えられるとはとても思えない。
高齢世代が戦後の日本の繁栄を担ったのは間違いないが、その一方で国債や借入金など「国の借
金」も国内総生産(GDP)の2倍近い1050兆円に膨らんでいる。放置すれば次世代の負
担はさらに膨張し世代間の対立も深まる。これを乗り切るには、高齢者が可能な限り社会活動
に参加し、その一端を担うしかない。
≪次世代の負担を軽くする≫
もちろん受け皿となる制度や仕組みの整備は欠かせない。しかし何よりも必要なのは、高齢者一
人一人の自覚と覚悟である。
高齢者による高齢者の介護や子供の貧困支援など社会貢献の場はいくらでもあり、そうした努力
が次世代の負担を軽くする。
本稿では遺言を題材に超高齢化社会における高齢者の生き方を論じている。違和感を覚える向き
があるかもしれないが、超高齢化社会に対する不安はそれほど深刻であり、よほどの決意がな
い限り乗り切れない。
人類にとって未知の体験であり、それ故に国際社会も高齢化の最先端を走る日本が今後どういう
社会を作るか、注目している。
日本老年学会は先に「高齢者は体力、知的能力だけでなく身体能力も10年以上、若返った」と
して、現在65歳以上の高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言している。
高齢者に対する社会参加の呼び掛けに他ならない。ひとりでも多くが、そうした決意を固める場
として遺言書の作成に臨まれるよう、あらためて呼び掛ける。(日本財団会長・笹川陽平 さ
さかわ ようへい)