伝え続けてほしい、水俣病事件。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 寒いなりにもピークを感じる暗闇の深夜です。

 

水俣病

胎児性患者が、生まれながらに背負ってきた日々に思いを寄せるとき、同じ障碍者としては涙が

ひとりでに伝わってきます。

  母親が水銀汚染入りの魚貝類を食べたことで、自立さえままならない苦悩を背負って誕生す

る難って誰が想定できたであろうか。

運命のいたずらとして、処理などできようはずがない。

 母親の日々の苦悩はどうであったろう。

これに関する本を読んだだけでも胸がかきむしられる実態に

関係者はわが子に照らし合わせていただきたいものである。

赤ちゃんを抱きあげた喜びさえも奪うこの水俣病

残酷な企業責任は重いだけでは済まされない。

障碍者として生活することの大変さは想像に余りあるものがある。

 報道関係者もこの記事はこれからも伝え続けていただきたいものです。

 ミコばあちゃんも、障碍者の一人として、防げる障害は徹底的に

少なくなることを願わずにはいられない。 水俣病からすでに60年とは・・・ ・・・。

   朝日コラムからの一文。

 38年ぶりの石川さゆりショー 水俣病患者ら企画し成功

水俣病の胎児性患者らが企画した石川さゆりさんのコンサートが11日、熊本県水俣市で開かれ

た。石川さんは熊本県出身で、38年余り前にも、患者の呼びかけに応えて水俣でマイクを握

った。還暦を迎えた患者たちは車いすの上で耳を傾け、20代だったあの頃に自分を重ねた。

胎児性患者は生まれながらに水俣病を背負う。原因企業チッソが海に流した水銀で汚染された魚

介類を、知らずに食べた母の胎内で影響を受けた。障害を抱え、成人しても自立の壁にぶつか

った患者たちは前回、「人に認められることを成し遂げたい」と石川さんの公演を発案。周囲

の協力も受け、「石川さゆりを招(よ)ぶ若い患者の会」として1978年9月に実現させた。

水俣病は昨年5月で公式確認から60年。患者たちも還暦を迎えた。60年を機に、前回の中心

だった胎児性患者の滝下昌文さん(60)らが「若かった患者の会」を結成。再び石川さんを

呼ぼうと動いた。仲間の多くが体の機能低下などで車いすの生活となる中「みんなで何かでき

るのは最後かもしれない」とチケット販売や宣伝に駆け回り、公演にこぎ着けた。

11日の公演前、仲間の患者7人と壇上に登場した滝下さんは、もつれる口でゆっくり述べた。

「多くの人に助けられて今日を迎えられました。これからも私たちの人生は続きます。石川さ

んの歌、そして力を貸してくれる皆さまの思いが生きる力になると思います」

石川さんは「津軽海峡・冬景色」など20曲を熱唱。「お互いに20歳のころにお会いし、還暦

を迎えた皆さん。どこまでこの道が続くのかわからないけれど、一生懸命に生きていかなきゃ

いけないなと思いました」とステージで語りかけた。

公演後、患者たちと臨んだ記者会見では、こう述べた。「(水俣病は)歴史の中の出来事じゃな

くて、教科書の1、2行のことじゃなくて、(患者の)みんなが一生懸命生きていることを忘

れないでいただきたいです」