政府は、教育現場の実態把握を・・・・。

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 政府は教育現場の実態をどれほど把握しているのであろうか。

いそがしいばかりの大合唱に振り回されてはいまいか?

忙しければ資質は問われないのか?

もうこれ以上の犠牲者はやめていただきたい。

 校長をはじめ管理者が、見て見ぬふりをした原因は、国内レベルの学力の評価にこだわったあ

まり、それがおざなりになった誘因ではなかったのか?

 教育の無償化に前進する前に教育がゆがめられている実態把握が先決ではないのか。

この問題は、氷山の一角でしかない。

教員の資質問題はそこここのPTAで問題視されてもいる。

健全な教育と信頼ある教師の元未来在る子を

託すことの出来る学園でなければならない。

生徒会の副会長を、していたこの子がなぜ追い詰められたのか

はっきり公表されたいものです。

本当に貧しい人格の中での、市同士のために

命を絶つことしかできなかった生徒の未来が残念でならない。

 教育の成績より素晴らしい人間性こそが未来のあるべき姿でありたいものです。

目標値が成績向上だけにシフトした副産物は一時例に過ぎない。

国民向けには教育無償化は、とても耳に心地よい。

だけれど中身の検証は皆無としか言いようがない。

無償化を公務員夫婦にも適用したり、高所得者まで無償化にすることはないのではないのか。

最低生活者には生活保護で担保されているはず。

教育無償化よりも若者の、学校現場に足を通わせてほしいもの。てきおうすることこそむだでは

ないのか??

     朝日コムより。

指導死 教室を地獄にしない (10月29日)

子どもたちの可能性を伸ばすべき学校が、逆に未来を奪う。そんな過ちを、これ以上くり返して

はならない。

教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやる。遺族たちはそれを「指導死」と呼ぶ。

福井県の中学校で今年3月、2年生の男子生徒が自死した。宿題の提出や生徒会活動の準備の遅

れを、何度も強く叱られた末のことだった。

有識者による調査報告書を読むと、学校側の対応には明らかに大きな問題があった。

周囲が身震いするほど大声でどなる。副会長としてがんばっていた生徒会活動を「辞めてもいい

よ」と突き放す。担任と副担任の双方が叱責(しっせき)一辺倒で、励まし役がいなかった。

生徒は逃げ場を失った。どれだけ自尊心を踏みにじられ、無力感にさいなまれただろう。

管理職や同僚の教員は、うすうす問題に気づきながら、自ら進んで解決に動かなかった。肝心な

情報の共有も欠いていた。追いつめられた生徒が過呼吸状態になっても、「早退したい」と保

健室を訪ねても、校長らに報告は届かなかった。

生徒が身を置いていたのは、教室という名の地獄だったというほかない。

だがこうしたゆがみは、この学校特有の問題ではない。「指導死」親の会などによると、この約

30年間で、報道で確認できるだけで未遂9件を含めて約70件の指導死があり、いくつかの

共通点があるという。

本人に事実を確かめたり、言い分を聞いたりする手続きを踏まない。長い時間拘束する。複数で

取り囲んで問い詰める。冤罪(えんざい)を生む取調室さながらだ。

大半は、身体ではなく言葉による心への暴力だ。それは、教師ならだれでも加害者になりうるこ

とを物語る。

文部科学省や各教育委員会は教員研修などを通じて、他の学校や地域にも事例を周知し、教訓の

共有を図るべきだ。

その際、遺族の理解を得る必要があるのは言うまでもない。調査報告書には、通常、被害生徒の

名誉やプライバシーにかかわる要素が含まれる。遺族の声にしっかり耳を傾け、信頼関係を築

くことが不可欠だ。

文科省は、いじめを始めとする様々な問題に対応するため、スクールロイヤー(学校弁護士)の

導入を検討している。

求められるのは、学校の防波堤になることではない。家庭・地域と学校現場とを結ぶ架け橋とし

ての役割だ。事実に迫り、それに基づいて、最良の解決策を探ることに徹してほしい。