政権はいつも安泰などありえない。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

 バックには「思いあふれて」が流れています。

昨夜よりは過ごしやすい朝のスタートです。

nhkの「子供相談室で長くこんちゅうのおはなしを

されていた「矢島先生」のお話

聞かせていただきました。

根っから昆虫を愛してやまない人のお話は

それだけで引き付ける要素が満ち溢れていました。

 壇上に倒れた元安倍総理

勲章が送られるみたいですが

あまりにも美化しすぎではないのだろ相可

経済も 王手にばかり

労働者のいたわりは感じられなかったし

まずいえるのが「円安から行き場を失って容認してきています。

多くの国債を抱えて堂行き場があるのか

あの世から見ていたいものです。 世の中も 社会も コロナも変異を繰り返しながら

ワクチンまでも模索する日々です。

oお金がなくても命ある限り これに逆らうことなどできはしません。

自民大勝の向こう側は ベールの中です。

政権までも揺るがされないのかと思います。

岸田政権、安倍氏死去で「参院選勝利でも混迷」の訳 泉 宏

複雑化する岸田首相の政局対応時間が止まり、その瞬間からすべてが変わる――。そんな大事件が参院選投開票(7月10日)目前の8日に起こった。安倍晋三元首相が選挙応援での街頭演説中に銃撃され、死去した事件だ。

今年最大の政治決戦で、岸田文雄政権の命運が懸かる参院選だが、岸田首相以上の存在感を示し、「選挙戦の隠れた主役」(自民長老)とも呼ばれていた安倍氏の非業の突然死。選挙結果だけでなく、その政治的影響は選挙後の岸田首相の政局運営も左右しかねない。

そもそも、年明け以降の政権運営をめぐっては、岸田首相と安倍氏のあつれきが目立ち、最近では「選挙後をにらんでの自民権力者たちの闇試合」(同)も取りざたされていた。

その安倍氏が死去したことで、最大派閥・安倍派の今後の動向も含め、選挙勝利が予測される岸田首相の政局対応もより複雑化し、自民党内の権力闘争の構図も一変する可能性が高いからだ。

安倍元首相が凶弾に倒れたのは8日昼前で、場所は奈良市近鉄大和西大寺駅前。至近距離からの狙撃によって心肺停止となり、その時点で岸田政権は激震に見舞われた。

歴代最長の首相在任期間を誇り、しかも、退陣後は圧倒的党内最大派閥・安倍派の領袖となった安倍氏。その存在感と党内影響力は岸田首相をはるかにしのぎ、しかも、ロシアの軍事侵攻によるウクライナ危機という「戦後最大の国難」(岸田首相)への対応でも発言力が際立っていた。

もともと、安倍氏は岸田首相と当選同期で選挙区も近く、年齢も4歳違い。「初当選以来の親しい友人として互いに助け合ってきた」(岸田首相)間柄だ。

ただ、党内有数の保守派論客の安倍氏に対し、岸田氏は、リベラルの牙城とされる宏池会(岸田派)の領袖だけに、憲法改正や安保防衛政策での意見対立は隠せず、岸田政権発足後は政権運営や政策決定を巡る双方のあつれきが「政局の波乱要因」となってきた。

遊説打ち切りを決めて自衛隊機で帰京した岸田首相

そうした状況下での安倍氏の突然の死去。遊説先の山形県で事件の一報を受けた岸田首相は、すぐさま遊説打ち切りを決め、自衛隊機で帰京。首相官邸で待ち構えていた記者団から政局への影響を聞かれた岸田首相は「今、懸命の救急救命措置が行われている最中なので、今後の政局に与える影響には触れるべきではない」と語ったが、その目は潤んでいた。

官邸筋によると、安倍氏が頸部に銃弾が命中して倒れ、心肺停止となった時点で「事実上の即死」とみられ、その旨は岸田首相にも伝えられていたとされる。だからこそ、岸田首相は閣僚全員に即時帰京を指示し、遊説続行を模索していた茂木敏充幹事長ら党役員にも党本部に戻るよう要請したのだ。

そもそも、安倍氏のような「超要人」でなくとも、交通事故等での完全な即死でないかぎり、治療にあたる医師が死亡宣告をするのは親族の確認後、というケースが多いとされる。安倍氏の場合も、8日午後4時55分ごろに昭恵夫人が病院に到着。その直後の5時3分に、医師団が「失血死」を宣告した。

こうした「段取り」は事前に岸田首相も承知していたとみられる。その後、狙撃事件直後から各候補がとりやめた街頭演説などを、選挙戦最終日の9日には予定どおり行うことを決め、あらためて岸田首相や各閣僚、党幹部は全国に散った。

さらに、安倍氏の遺体が昭恵夫人に付き添われて車で都内の自宅に戻ったのは9日午後1時半過ぎ。出迎えたのは党3役の福田達夫総務会長、高市早苗政調会長らで、間を置かずに岸田首相も遊説の合間を縫って弔問に訪れ、涙を流しながら故人への哀悼の念を捧げたとされる。

公示前からほぼ連日、全国を遊説していた安倍氏

安倍氏が最大派閥の会長に就任したのは昨秋の衆院選が終わって、岸田首相が政権運営に自信を強めていた11月だ。ただ、安倍派会長となって「アベノミクス」の根幹を成す積極的財政出動や防衛費の大幅増などを主張し、退陣後はやや薄れていた存在感を取り戻した時期でもある。

もともと安倍氏は、自民党を代表する保守派権力者としての「岩盤支持層」の持ち主。これを背景に、今回の参院選でも公示前からほぼ連日、全国を遊説し、行く先々で多くの聴衆囲まれ、ご満悦だった。

ただ、首相在任時と違って、行動の自由を得られた結果、遊説中も聴衆の間に分け入り、グータッチを繰り返すなどして、愛嬌を振りまいていた。今回の狙撃事件はその結果ともみえ、「安倍氏本来の人なつっこさが仇となった」(周辺)との見方も出る。

参院選の投開票は10日だ。今回の事件が選挙結果にどのような影響を与えるかは、予測困難ではある。ただ、立憲民主の選挙参謀を自任する百戦錬磨の小沢一郎氏は、8日の街頭演説で「自民党に有利に作用するかもしれない」と発言。また与党公明党からも「与党が苦戦している選挙区で風向きが変わるかもしれない」(幹部)との声が出ている。

確かに、今回の事件と経過も政治的意味合いもまったく異なるが、1980年6月の衆参同日選の最中に、当時の大平正芳首相が過労とストレスの果てに急逝した際は、劣勢が予想されていた自民党が大勝した。今回も、「安倍氏の死を悼む保守派の有権者が投票にはせ参じれば、自民が有利になる可能性」(選挙アナリスト)は少なくないというわけだ。

その一方で、今回の参院選勝利で「岸田1強」時代を築き、いわゆる「黄金の3年」を手中にして、「自らの意思を前面に出した政権運営」(側近)を目指してきた岸田首相にとって、安倍氏死去は「すべての前提が変わった」(同)ことにもなる。

これまで岸田首相が想定していたのは「参院選勝利を受けて、まず強力な人事権を発動して、党内の反岸田勢力を抑え込む」(官邸筋)とのシナリオだったとされる。しかし、安倍氏という「最大の支持者で、かつ政敵という強力な“相方”を失った」(同)ことで、党内の権力闘争の構図は一変したのは間違いない。

第2次岸田改造内閣の人事はどうなる?

安倍氏の盟友だが、岸田政権を支える最高実力者ともなっている麻生太郎副総裁。そして、安倍氏との親しい関係を誇示して麻生氏とともに政権の支柱として振る舞う茂木幹事長。この両氏と岸田首相の力関係も微妙に変化する可能性がある。

さらに、突然、「唯一無二の領袖」を失った最大派閥・安倍派が、「後継をめぐる派内紛争で分裂含みになる」(岸田派幹部)ことも想定される。もちろん、ここにきて安倍氏との長年の親交を復活させつつあった菅義偉前首相の出方も予測しにくい。

今回の参院選で当選した議員の議席指定や新たな議長・副議長選任のための臨時国会は8月3日(会期3日間)が見込まれている。その直前に岸田首相の訪米日程が組まれたためだ。

当然、第2次岸田改造内閣の人事はそれ以降となる。その場合、電光石火の形でのお盆前の人事断行か、一定の調整期間をおいての秋の臨時国会前の人事とするかの2択となる。いずれにしても、安倍氏死去で「岸田首相がどちらを選ぶかについては、選挙結果とその後の党内状況を見極めないと判断が難しい状況」(側近)となったことだけは間違いなさそうだ。

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