父の履歴書
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
靄っとした空気がスイッチまで衰える。
64歳で亡くなった秀樹はなくなってから早4年を迎えようとしています。
バックには「情熱の嵐」」が流れています。
元安倍総理も67歳で亡くなり 瞬時に亡くなれたとひたならそれも障害ではないのか…
即席だけがクローズアップされ
桜問題も何もかもベールの中できれいなお姿だけが残るのであるから
それも素晴らしいエンディングとも思えたりもする。
梅雨明けの今日も雨予報です。
地震のニュースもあり まともの日々がどこか少ない。
昭和の労働者は どこか努めたら退職まで勤め上げるのがふつうであったように思う
。
【朝晴れエッセー】父の履歴書・7月6日 (2022年07月06日)
平成から令和へ年号が改まって間もない6月に84歳を迎えたばかりの父を失った。緊
急入院の後、1カ月ほどで亡くなってしまったせいか、長く同居していた私は父の死の
実感があまり湧いてはこなかった。
結婚より仕事を選択した私を心配したのだろう。父と私はよくけんかをした。ただ、ど
れほど遅い帰宅であっても、必ず待ってくれていたのは母ではなく父だった。
葬儀を終え、年金終了手続きのために母と訪れた税務署で、私は思いがけない父を知る
ことになった。
当時、義務教育を終えたばかりで就職した父は、やんちゃでわがままな少年だったろう
。けんかばかりして職を転々としていたに違いないと、私は思い込んでいた。ところが
記載された職歴に気が付き、目を見張った。
年齢を重ねるごとに、必ず厚生年金制度が整備された会社に就職し、働きながらさまざ
まな資格を取得して、条件の良い転職を行っていた。窓口の職員の方が「この記録はお
父さまの履歴書ですね、堅実にお勤めでしたね」とほほ笑んだ。「いろいろと困ったと
ころもありましたけど」と母は苦笑い。私はにじんできた涙で泣き笑いとなった。
そうだ、父はこんな人。わざと悪そうに見せて、こっそり真面目で、家族思いの昭和の
男だったのだ。
翌年、父の一周忌法要を終えて間もなく、母も父の元に旅立った。寂しがりやの父が、
楽しげな私たちの様子にやいたのだろう、と私はにらんでいる。
昭和の男は、甘えたさんでもあった。