東京大空襲から77ねんとは…
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
今日はとても暖かい朝です。
オカリナの「アメージンググレース」が流れています。
山々は じっと出番を待っています。
若葉がまぶしく燃え立つ季節もそこまで来ています。
優秀な若者が兵隊となって徴収されてからまだ間がありません。
東京大空襲から77年とは驚きです。
政府により、戦争も終戦も決められるのかと思うだけでぞっとします。
プーチンの胸を のぞいてみたいものだ。
殺りく兵器も自由自在には驚きです。
他国は日本の戦争をどのように見ていたのであろうか…
あの日の記憶とウクライナ侵攻重ねた体験者 東京大空襲から77年 (3/10)
東京大空襲から77年の10日、東京都 墨田区の都慰霊堂で法要があり、空襲体験者や遺
族らが犠牲者を悼んだ。一夜で10万人が命を落としたあの日の記憶と、ロシアによるウ
クライナ侵攻を重ね合わせる人がいた。
江東区大島周辺で空襲に遭った沖ヨシエさん(86)=同区=は当時9歳。その夜、姉に手
を引かれ、どぶ川に逃げ込んだ。水位は高かったが石の上に立ち、何とか出した顔の横
を、死体が流れた。水が熱かったか冷たかったか、何も感じなかった。小学5年生の兄は
自宅近くの蔵に逃げたが、煙に巻かれて亡くなった。
ウクライナ侵攻のニュースに、「あんなことして、どうなるのか。焼夷(しょうい)
弾や爆弾が落ちると、家なんてぱーっと燃えてしまうんですよ」と憤る。「私は経験し
たから、子どもたちが本当にかわいそう。戦争をしないように話し合いを進めてもらえ
ないか」と訴えた。
現在の千葉県 香取市に疎開をしていた長島政子さん(85)=江戸川区=は、実家があっ
た錦糸町周辺への空襲で母親ときょうだい5人を亡くした。布団をかぶり、声を殺して泣
いた。
いま、自身の境遇がウクライナで親を亡くした子どもに重なるという。「親との別れ
を思い出し、胸がいっぱいになっちゃう。何で戦争なんかあるのかな、とすごく複雑な
気持ち」と声を震わせた。(本多由佳)