同時多発テロから20年。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
台風14号が発生しています。
九州方面の被害予報もまだ確定していません
風力85メートルとはどのような風力なのか…。
日本にも衝撃を持って映し出されていました。
信じられない思いで受け止めた人は少なくなかったと思います。日本にも25人もの大切
な方々がビルの中に消え去られました。これが20年前です。
経済の中枢で活動されていた多くの犠牲者を生むことにもなりました。
日本人も25名もの大切な人材が失われ
こんなこと起きるわけがないと眠れぬ夜を過ごしたものです。
表面的にはあのようなテロが起きたなんてうかがえさせようもないほどの修復ぶりです
。
「何が起きたのだろ大王」と半信半疑でした。
【朝晴れエッセー】9・11と動かない車・9月11日
20年前のその日、ニューヨークの隣のニュージャージーにいた私は、全米から営業担
当者が集まる月1回の営業会議に出席していました。
会議の前に仕事の件や家族の件など和気あいあいの会話をしていると、総務の女性がつ
けたテレビにワールドトレードセンタービルから煙が出ているのが映し出されていまし
た。
そのときは小型飛行機が事故でぶつかったぐらいの話で、全員9時からの会議を開始し
ました。
会議を始めた途端、2機目がビルに突入、同時多発テロだったのです。
会議は即中止、会社内も一体何が起きているのかわからず、しゃがみこんで泣き出すア
メリカ人女性、何も言葉を発せずテレビの画面を食い入るように見る営業マン。
時間がたつにつれ、これがテロであること、空には多数の飛行機がまだ飛んでいること
など、さまざまな情報が錯綜(さくそう)して入ってきました。
そして、2つのビルは崩れ落ちました。
私の住んでいるところからマンハッタンまでは通勤可能で、最寄りの駅に車を止めて電
車で通勤する人たちもいました。
テロの後、駐車場にずっと止まったままの車もありました。その車の持ち主はテロのた
めに亡くなった人だったのでしょうか、奥さんも子供もいたのでしょうか。
9・11の日になると、20年たった今でもその車のことをなぜか思い出します。