京アニ事件で犯人を治療した医師。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 今日は、久しぶりの快晴に日差し対策も必要。

気持ちの良い五月の風を享受することなく、駈け足で過ぎていきそうです。

いまだに朝はストーブのお世話担っています。

通常であれば半そでのtシャツで十分です。

 京都のアニメ事件で逮捕された犯人と向き合ってこられたお医者さんのお気持ちに接し

生死のはざまを戦う犯人と向き合う大変さはどうであったのだろうかと想像する。

はんにんもそのほんきどをいしきさせられたのでしょうか?

京アニ放火 「罪と向き合ってほしい」被告の治療に当たった医師語る (2021年05月27

日)

京都アニメーション京アニ)第1スタジオ(京都市伏見区)で令和元年7月18日、

社員36人が犠牲になった放火殺人事件で、京都府警が青葉真司被告(43)=殺人罪

などで起訴=を逮捕して27日で1年となった。

事件で自身も全身に最も重い「3度熱傷」を負った青葉被告。当時の死亡率は95%と

され、生死の境をさまよう日々が続いた。最先端治療で被告の救命に当たった医師の一

人で、鳥取大病院救命救急センターの上田敬博(たかひろ)教授(49)が産経新聞の取

材に応じ、治療の経緯や被告への思いを語った。(桑村大)

「相手が誰であれ、助けるのが仕事。葛藤はなかった。むしろ、被害者やその家族を落

胆させないためにも『死なせたらあかん』という気負いの方が強かった」。69人が死

傷した事件の被告の治療に当たった胸中をこう明かす。

事件翌日の令和元年7月19日、負傷者が搬送された京都市の病院を視察中、医師から

「一人の患者を診てほしい」と声をかけられた。意識不明の重体だった青葉被告。いつ

絶命してもおかしくない状態で、救命できるのは広範囲熱傷治療が専門の上田教授しか

いない、との頼みだった。

この日、集中治療室で被告と対面した。「救える自信も少なかったが、断るという選択

肢はなかった」と振り返る。すぐに、当時勤務していた近畿大病院(大阪府)に搬送し

、約4カ月に及ぶ治療が始まった。

被告への治療法は「自家培養表皮移植」。事件時、身に付けていたかばんに守られて残

った腰部のわずかな皮膚の細胞を培養で増やし、シート状に加工して移植した。皮膚移

植は、冷凍保存された他人の皮膚を使うことが多いが、事件の被害者に供給できない事

態を避けるための選択だった。

1回目の移植手術は8月中旬に実施。手術を重ねるうちに容体は徐々に改善し、9月中

旬までに計5回の移植を終えた。11月上旬には呼吸器が外せるようになり、車いす

のリハビリや食事の経口摂取を開始するなど順調に回復した。

一方で、「どうせ死刑だから」「意味がない」と投げやりな態度を見せることが多かっ

た。食べ物の好き嫌いも激しく、スタッフに「自分は『低の低』で生きる価値がない人

間だ」と話すことも度々あった。

そんな被告に対し、上田教授が「悪いことをやった自覚があるなら、罪と向き合うよう

に」と繰り返し伝えると、次第に態度を改めるようになったという。

取り調べに耐えられる状態となり、11月中旬に京都市内に転院した被告。別れ際、「

(生きる価値がないという考えを)変えざるを得なかった。自分を全力で治そうとする

人がいるとは思わなかった」とつぶやいたのが印象に残っている。

京アニ放火 「罪と向き合ってほしい」被告の治療に当たった医師語る (2021年05月27

日)

京都アニメーション京アニ)第1スタジオ(京都市伏見区)で令和元年7月18日、

社員36人が犠牲になった放火殺人事件で、京都府警が青葉真司被告(43)=殺人罪

などで起訴=を逮捕して27日で1年となった。

事件で自身も全身に最も重い「3度熱傷」を負った青葉被告。当時の死亡率は95%と

され、生死の境をさまよう日々が続いた。最先端治療で被告の救命に当たった医師の一

人で、鳥取大病院救命救急センターの上田敬博(たかひろ)教授(49)が産経新聞の取

材に応じ、治療の経緯や被告への思いを語った。(桑村大)

「相手が誰であれ、助けるのが仕事。葛藤はなかった。むしろ、被害者やその家族を落

胆させないためにも『死なせたらあかん』という気負いの方が強かった」。69人が死

傷した事件の被告の治療に当たった胸中をこう明かす。

事件翌日の令和元年7月19日、負傷者が搬送された京都市の病院を視察中、医師から

「一人の患者を診てほしい」と声をかけられた。意識不明の重体だった青葉被告。いつ

絶命してもおかしくない状態で、救命できるのは広範囲熱傷治療が専門の上田教授しか

いない、との頼みだった。

この日、集中治療室で被告と対面した。「救える自信も少なかったが、断るという選択

肢はなかった」と振り返る。すぐに、当時勤務していた近畿大病院(大阪府)に搬送し

、約4カ月に及ぶ治療が始まった。

被告への治療法は「自家培養表皮移植」。事件時、身に付けていたかばんに守られて残

った腰部のわずかな皮膚の細胞を培養で増やし、シート状に加工して移植した。皮膚移

植は、冷凍保存された他人の皮膚を使うことが多いが、事件の被害者に供給できない事

態を避けるための選択だった。

1回目の移植手術は8月中旬に実施。手術を重ねるうちに容体は徐々に改善し、9月中

旬までに計5回の移植を終えた。11月上旬には呼吸器が外せるようになり、車いす

のリハビリや食事の経口摂取を開始するなど順調に回復した。

一方で、「どうせ死刑だから」「意味がない」と投げやりな態度を見せることが多かっ

た。食べ物の好き嫌いも激しく、スタッフに「自分は『低の低』で生きる価値がない人

間だ」と話すことも度々あった。

そんな被告に対し、上田教授が「悪いことをやった自覚があるなら、罪と向き合うよう

に」と繰り返し伝えると、次第に態度を改めるようになったという。

取り調べに耐えられる状態となり、11月中旬に京都市内に転院した被告。別れ際、「

(生きる価値がないという考えを)変えざるを得なかった。自分を全力で治そうとする

人がいるとは思わなかった」とつぶやいたのが印象に残っている。