父親により虐殺された心アイちゃんの父親に16年の重い求刑。

   ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

太陽のもとでの草取りは汗ばむほどの気候にびっくり ハルウララのぽかぽか陽気♪

  今が旬のデコポン、少しお高いですが三位控えめの甘さ

年に一度の贅沢楽しみたいものです。

 殺された小学4年生の心アイちゃん11才

あまりにも惜しいほどの短命な命

涙が止まらないほどの不条理な人生に思いをはせようとするとき

「このようなどうしようもない親たちにより、残虐なる劣悪な環境が用意されていたな

んて

このような世の中もあるものかと

改めてこの世にある志和早生に合掌。

神様お願い…。

もう二度とこのような不幸は、なしにしてほしいものです  。

あまりにも痛ましすぎます。

あんなに自己主張し続けた心アイちゃんだったのに…。

 この世では、救えなかった聡明で賢い心アイちゃん。

 あさひこむよりのいんよう

心愛さん、平穏だった沖縄生活 1通のメールで暗転 (3/19)

 昨年1月、千葉県野田市の自宅浴室で亡くなった小学4年の栗原心愛(みあ)さん(死

亡当時10)。傷害致死など六つの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判

判決が19日、千葉地裁であり、懲役16年(求刑懲役18年)が言い渡された。日常的

な虐待の有無や死に至る経緯が争点だった。

 この事件で、虐待リスクにつながる情報が最初に入ったのは、故郷の沖縄県糸満市

った。心愛さんと両親は沖縄でどんな暮らしをし、なぜ千葉県野田市へ転居したのか。

行政や学校の対応は――。糸満市、友人や知人への取材、裁判での証言などをもとに、

事件の背景を探る。

小4女児虐待死、父親に懲役16年判決 千葉地裁

拡大する栗原心愛さん

産後うつに苦しんだ母

 その女の子は、潮風が吹く街で育った。沖縄本島の最南端、東シナ海に面した糸満市

。シーサーがあちこちに飾られた住宅街の戸建てに住み、海の絵を描くのが好きだった

 心愛さんは、短い人生の大半をここで過ごした。3歳の時に両親が離婚し、母親(33)

=傷害幇助(ほうじょ)罪で執行猶予付き有罪判決が確定=の実家で母や祖父母らと暮ら

した。

 「とても優しい子でした。しっかりしていて、何でもできて、勉強もお手伝いも大好

きでした」

 昨年5月、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親の初公判で、祖母は証言した。食器

洗いや洗濯物の整理をすすんでやり、母親とハンバーグやギョーザを作ることもあった

。「いつも楽しく、明るく生活していました」

 信号を渡ってすぐの小学校では、友達にも慕われていた。

 幼稚園の時からの幼なじみの女子児童(11)は「いつもニコニコしていて、おとなし

くて優しい子だった」という。どの科目もよくでき、友達に勉強を教えていた。悪口を

言う子がいれば「そんなこと言わない方がいいよ」と諭した。

 外で遊ぶ時は、必ず宿題を終わらせてから来ていた。お絵かきをすると、きれいな沖

縄の海や空の絵をよく描いていたのを思い出す。「パティシエ(洋菓子職人)になりた

い」。小3の時には、そんな夢を打ち明けられた。

拡大する栗原心愛さんが通っていた沖縄県糸満市の小学校前の歩道。友人とこの道を通

って登下校していたという=2020年1月11日、沖縄県糸満市、松本江里加撮影

 こうした暮らしのなかに、後に心愛さんに暴行を加え、死亡させた罪に問われる父親

の勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=の姿はなかった。

 心愛さんは両親の話は避けたがった。小1の時に同じクラスだった女子児童(11)は「

うちも離婚しているんだよ」と話しかけた時に、心愛さんが気まずそうに押し黙ったの

を覚えている。「話したくないのかな」と思い、それからは聞くのをやめた。

 仕事を辞めさせ、携帯電話をチ…