二世帯住宅は私のユートピア。

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

 台風がwでやってきています。

 当地は、秋まつり一色の鎮守の森は賑わいを増す一日…♪

 午前は、子供神輿と、子供の神楽

午後はプロによる神楽の奉納で一日中

ピーヒヤラどんどんと太鼓の音で

テレビの音も打ち消される賑わいです♪

 家族がそれぞれ核家族となりそれは「楽しい我が家」といえるものなのだろうか…

少しさかのぼって振り返ってみる。

 声高らかに、嫁姑問題が急浮上した時代から核家族時代が

急速に進んだような気がしています。 核家族は都会から地方へと

もはや当たり前減少として社会的に確立していったような気がする。

 我が家も例外にもれず、新婚時代は兄夫婦は兄嫁の近くに住んでいましたが

子供が生まれる1か月前に同居することとなり

母はそれまで勤めていた職場を退職し

兄夫婦から月4万円の生活費をもらい、職場に通う兄夫婦を支えてきましたが

 上が少額二年生、下が4歳の時に、急に家を新築し、家から離れ

 それまでにぎやかだった家族が急に重いとは別の選択をした兄夫婦に

嘆き悲しむようになった母は、翌年病魔の元、急ぐかのように

天国に召されてしまいました。

 母亡き後の通帳には、兄嫁から手渡された毎月の4万円が入金されていて

涙にくれたものでした。

それは母の思い出もあったので、その通帳と印鑑は姉に手渡しました。

母をみとったのは職場に通いながらのみこちゃんでした。

 今もって母の気持ちも姉の気持ちもはっきり理解できてはいませんが

母はじつの兄弟から大切にされ、私も遠慮なく母の一番苦しい時に

いくらかでも支えられたことは、この上もない幸せだったのだと納得しています。

 私は常に家族がテーマでもあります。

社会が老後保障問題を重く負担することなく

嫁姑も、人間ですもの多少のわがままを認め合える共同体が

なぜに気づき上げられないのだろうかとさみしく思える個人でもあります。

家族が生老病死により添える家庭は私の理想郷…♪

 これは老いたる親に寄り添う家族の手記です。

我家は主婦(夫)二人制 B氏

  現在我家の家族構成は、満91歳(介護認定4)の母親と我々夫婦そして医療

事故で障害を持つ息子 (36歳)の4人家族です。 母が70歳代後半頃から「通帳のお金

が盗られる」「自分の家がわからない。」などの言動がありました。 福田先生に診て

もらった結果、認知症の診断をうけました。 その当時私は定年前で家内に二人の介護

を全面的に頼んでいました。 家内は専業主婦で、母の介護認定は2だったので、デイ

サービスやショートスティのサービスを受けながら、 私の手伝いなしでなんとか生活

しておりました。今から思うと二人の面倒をよく見てくれたと感謝しています。

 5年程前に私は定年を迎えました。第二の就職先は、三年五ヶ月で退職。再々就職はせ

ず、 する事といえば町内の自治会役員としてのお世話をすることのみになった。 家

内は私が退職する少し前から時間パートに出ていましたが、最終的に継続することにな

りました。 私は今まで親や家内の世話になってきたのだから、これからはできるだけ

面倒をみようと覚悟を決めました。 この時点では、母の介護認定は3でしたが、この

時期が一番苦労した様な気がします。 テッシュペーパーや紙パンツの吸収剤を引っ張

りだしては食べたり、生花や胡椒など目に入る物を 手当たり次第食べる。 また、ち

ょうと油断すると外に出て行き、町内の方が家まで送ってもらったりしました。 夜中

に家の中を徘徊し、気の休まらない状態でした。その後、一年前に転倒して股関節骨折

により 車椅子の生活となり、徘徊はなくなりました。「おしっこ」の声に起こされ夜

中の2時・3時の介護は辛いの一言。 ベットに車椅子を寄せると本人が自力で車椅子に

乗ってくれるので助かっていますが、便所に入って 用を足そうとした時「男の人は便

所から出てください。」この場合の対応は、家内と主役の交替しかありません。 試行

錯誤を繰り返すうちに「お父さん、おしっこ。」と言ってくれるようになりました。 

(お父さんとは、息子の私のことです)どうして私を呼んでくれるようになったか。 

自分では、家内より丁寧にして介護の質をあげたからだと自負していますが、真相はわ

かりません。 具体的には、体についた尿や便は温水で洗い流して水分を大型のナプキ

ンでふき取る。 パットを必ず交換してもれないよう確認修正することを心がけていま

す。 快適さの度合いは認知症であっても正確に評価していることがわかります。

 次に取り組んでいるのが洗濯です。洗濯そのものは、洗濯機の優越で決まるので私の

できることは、 洗ったものをしわを伸ばしてほすことと、乾いた洗濯物を丁寧にたた

むことです。 これらの作業も毎日繰り返すうちに面倒がらずにたためるようになった

と思います。 家庭の主夫としての最後の難関は料理です。今のところ料理だけは手が

出せない状況です。 まずは、食器洗いから始めております。私の主夫業の介護グレー

ドが家内のグレードに近づいて同じ程度になれば、 主婦(夫)業の二人三脚がまっす

ぐすすんで、母も気持ちよく生活できると思っています。 「介護を楽しみながら」を

モットーに今後も認知症の治療を続けながら、色々な福祉介護サービス (現在週4回

のデイサービス)を利用し、母が在宅で快適な生活が送れるよう、 つとめていきたい

と思っています。     

                 

  わが心のエッセンス。

君が君の両親を取り扱うように、やがて君の子供は君を取り扱う。

家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ。

マザー・テレサカトリック修道女、ノーベル平和賞受賞 / 1910~1997)Wikipedia

清く貧しい家庭に育った子どもは、裕福な家庭の子どもとは違い、かけがえのない宝物

を与えられている。

Children of honest poverty have the most precious of all advantages over those

of wealth.