病の親がいてもいなくても、一人でよい良き理解者が欲しいもの!

      ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 家族という名のboxであれば判りにくい事情も

またその家族を遠巻きに関心を寄せ、知らんぷりを装う

近隣者はどこにだって存在します。

見て見ぬふりは子供社会と何ら変わりはしません。

これは大人社会が作り上げたものかもしれません。

 みこちゃんは、はっきり、そのような世間様からはきっぱり

GOODバイしています。 このことで以前の自分からどれだけ脱皮できたかしれ

ません♪

 みこちゃんも32歳で頼り切っていた母とお別れし

言葉すら交わすことのなかった父を母から託され

とても暮らせない状態と、母を突然失った悲しみを

いついつまでもひこずって苦悩した歳月の人生であったような気がしてます。。

 思い返せば父を20キロほど離れた大学病院の通院までも

母が仕事を休んでわざわざ、不慣れな運転で通っていたことも

不思議といえば不思議でした。

今思えば父も何らかの統合失調症ではなかったろうかと

父が病気を発症して初めて理解が及ぶようになりました。

軽傷であれば気づかないままにやり過ごし

双方が苦しむ過程はあるのだろうかと思います。

 父の兄弟からみこちゃんの職場に父親を案じて

何度か家に帰ることを勧められ  親戚に迷惑をかけるわけにはいかないため

しぶしぶ家からの通勤に切り替え、睡眠時間も少ない中、父の食事の世話がやっとで

会話などはちっともありませんでした。

 みこちゃんが父を許せるようになったのは、病気の進行により

手がかかるようになり幼児のようになった父が病人としていとおしく思えるように

なったことがきっかけでした。

これはみこちゃんが年を重ねて身に着けた極意なのかもしれない♪

おかげで、94歳の旅立ちのその日まで「みいちゃん、みいちゃん」といつも

求めてくれた日々は 素直に見とれたことは父を許せた人生に

感謝したい気持ちでいっぱいです。

 今では亡くなった両親とあの世でであったならばきっと明るい、笑いの絶えない家族

が気付けるように思えています。

 みこちゃんのことを、虹の架け橋で待ち続けている親との再会を楽しみに

母と出会えたならといろいろ妄想を膨らませているところでもあります。

 また父はお月様に乗って、まえになり後になりしながら

きっとみこちゃんの日々を案じていることでしょう♪

 今はリセットからの わが暮らしはとても安定しています。

あの世も楽しみにしているところです♪

許せることは同時に自分を解放でき、風通しの良い

解決法だと思える人生からの教訓でもありました。

     nhkからの親の精神疾患。そこで明らかになってきたのは、当事者が抱え

る壮絶な生活の実態と生きづらさです。

「私の母はうつ病です。産んでくれたときに発症し、何度も再発を繰り返しています。

母は病気を抱えながらも育児をできる範囲でしてくれていたそうです。ですが、私の記

憶にあるのは、怒りながら殴ってくるお母さん、泣きながら壁に頭を打ち付けているお

母さん、睡眠薬を大量に飲んで病院に運ばれていったお母さん…そんな記憶ばかりです

。」(たゆさん・20代)

カキコミをくれたたゆさん。幼い頃は誰も病気のことを教えてくれず、母親の体調が悪

いのは、自分のせいではないかと悩んでいました。

「私がもっと学校の勉強頑張っていれば違ったんじゃないかとか。家のこと一生懸命私

がやっていれば、お母さん元気だったかなとか、そんな風に思っていましたね。自分が

つらいというよりも、お母さんの心配ばっかりしていました。本当はもっとギュッとし

てほしかったし、もっと甘えたかった。でも母が寝込んでいたり、薬を大量に飲んだり

している姿を見ると、甘えられなかった。心配かけちゃいけないというのがあったので

。」(たゆさん)

しかし、思春期になると母親に対する気持ちが不満や葛藤へと変わっていきました。友

達を家に呼べなかったり、母親の代わりに父や祖父母が迎えに来たり、なぜ「自分の家

は普通じゃないのか」と思うようになりました。

母親の気を引くため、わざと勉強せずに成績を落としたり、自分の体の見える場所を傷

つけたりすることもありました。

いつも母親の顔色をうかがいながら生きてきた、たゆさん。大人になるにつれて生きづ

らさを感じるようになっていきました。

特に「自分の気持ち」「自分の意見」を人へ伝えることがとても苦手です。本当の自分

の気持ちを伝えたら嫌われてしまうのではないか、と不安になるのです。たゆさんは「

母に嫌われたらどうしようというのが根底にあるのかもしれない」と考えています。

「母のことが大好きで心配でしかたないっていう気持ちと、なんでこんなお母さんのと

ころに生まれてきちゃったんだろうという気持ちと2つあって、それが苦しいんですよね

。」(たゆさん)

子どもからのSOSは困難 周りが気付くことが必要

画像(精神科医 夏苅郁子さん)

たゆさんの「なぜうちは普通じゃないのか」という思いに非常に共感できるというのは

、幼い頃に母親が統合失調症を発症した経験を持つ、精神科医の夏苅郁子さんです。

当時、自分は母親が病気だと認識することができず、放とうを繰り返す父親への当てつ

けだと思っていたと言います。

そして周りの人を頼ることもできなかったと、夏苅さんは自身の経験を振り返ります。

「親戚は見て見ぬふりと言うか、体の病気だったらいろんなことを介入してくれたんで

しょうけど。家のドロドロしたことで家の恥というのかな。私も見せられなかったし、

親戚もその夫婦のドロドロしたことということで、誰も入ってくれなかったですね。」

(夏苅さん)

夏苅さんは5年前に自身の経験を公表。現在各地で講演などを行っています。公表直後、

マスコミから取材を受けた際に、「なぜ助けを求めなかったのか」と問われ、「どこに

助けを求めれば良かったのか」と逆に質問したと言います。

「私にはこの家しかないわけです。逃げていくところもなくて。助けてと言っても自分

の家にいるしかないし、自分の親のことを悪く言うことはできません。それと、私をす

ごく大事にしてくれた親戚や大切な人たちが、あなたの人生のためにお母さんのことは

公にしないほうがいいと善意の助言をしてくれたんです。それもすごく苦しかった。」

(夏苅さん)

画像(評論家 荻上チキさん)

評論家の荻上チキさんは、「どんな問題でも、子どもは自分自身で社会にSOSを出せない

もの。だからこそ、身近な大人や地域がそれに気付くことが大切」と指摘します。

「(子どもが)誰かに話したいと思っても、親戚や家族からは出さないでくれと。ある

いは病気に関する知識が子ども自身もなかったりするので、SOSを出したらお母さんと離

れ離れになっちゃうのではないかとか、母を否定するような感じになっちゃう、あるい

はそれは言ってはいけないことなんだと思ってしまう、ということがあります。社会の

偏見、リソースのなさ、あるいは知識が伝わってない、いろんなことでSOSにつながりに

くい。これは改善していかなくてはいけないと思います。」(荻上さん)

大人になっても続く“生きづらさ”

精神疾患の親を持つ子どもが経験する苦しみ。実は、子どものときだけにとどまらず、

大人になってからも“生きづらさ”を感じている人が多くいます。

「うまく感情表現ができない。必要以上に我慢してしまう。常に不安感がつきまとう。

過度に自分を責める、健全な家庭で育ってきた人たちとは圧倒的に何かが違う、絶望感

に苛まれることもあります。」(みーちゃん・三重県・20代)

夏苅さんが母親の病気に気付いたのは、医学部の学生だったとき。それまでは誰からも

きちんと伝えられず、大学の講義で統合失調症の症状を聞いたときに、母親の症状に似

ていると感じたのがきっかけでした。そのとき、なんとなく「悪い病気なんだ」という

印象を持ってしまい、父親にも言えず、自身で抱え込んでしまったと言います。

大人になってからも生きることへの不安を拭えず、アルコールや宗教への依存、摂食障

害・自殺未遂も経験したという夏苅さん。たとえ誰かに相談しても、まともな家庭で育

っていない自分は嫌われるだろうと思い込み、人との関係を断っていました。

「子ども時代のほうが大変だろうと思う方がいると思うんですけど、大人になって自分

が自由に動けるようになってからのほうが、私は精神的には苦しかったです。なぜなら

、“まともな家庭で育ってない”というのがずっとあって、“だから自分はまともじゃ

ない”って。私は努力して勉強して医師になった。だけど医師になっても自分のよって

立つところが全然見えない。いつもいつも不安で、根を張れない感じがしました。」(

夏苅さん)

思いを吐き出して きちんと伝えることも大事

子どもたちの苦しみを少しでも減らすために社会はどう向き合えばいいのでしょうか。

そのヒントになる活動をしている人たちがいます。

画像(絵本を読んでいるところ)

ホロ「お母さん、最近どうしちゃったの?」

お母さん「近所の人が悪口を言ってるわ。外へ出てはダメ。」

ホロ「えっ、そうなの? でもほんとうかな・・・。お母さん昼間なのにカーテン閉めてる

し、壁に向かってなにかブツブツ言ってるの。」

(絵本より)

画像(絵本の主人公ホロ)

絵本の主人公は小学生の女の子・ホロ。母親が統合失調症を発症しましたが、周囲から

何の説明もなく、戸惑いを感じています。

この絵本を制作したのは精神疾患の親と子どもの支援に取り組むNPO「ぷるすあるは」。

絵本の中では、周囲の大人の望ましい対応についても描いています。父親がホロに母親

の病気のことを伝える場面です。

ホロの父親「お母さんは病気でよくなるように治療していたんだよ。ホロのせいじゃな

いんだよ。心配なこともお話ししていいんだよ。」(絵本より)

画像(医師 北野陽子さん)

NPO「ぷるすあるは」の細尾ちあきさん(看護師)と北野陽子さん(医師)は、苦しんで

いる子どもの存在を知ったり、その気持ちを感じたりしてもらうという意味で、大人に

こそ、この絵本を手にとってほしいと訴えます。

画像(看護師 細尾ちあきさん)

「この中で使えそうな言葉を選んだり、切り取って使ってもらったりして、その子が少

しでも安心して生活が送れるための手助けの1つとして、必要なことを伝えられる範囲で

伝えてほしいです。」(細尾さん)

統合失調症の母親との関係に苦しんだ夏苅さんは、この絵本を読んで、2歳から5歳のと

きまで自分を我が子のように育ててくれた親戚の伯母さんのことを思い出したそうです

。専門家や支援者でもないごく普通の主婦だった伯母さんの関わりが、当時の自分にと

っては大きな支えとなっていたと振り返ります。

こんなカキコミも寄せられました。

「母が双極性障害と診断されたのは私が10歳の頃でした。母が自殺未遂をした翌日も何

事もなかったかのように学校に行き、元気に優等生を演じて必死に生きていました。あ

る日、担任に声をかけられました。『大丈夫?何かあったの?』初めて家族の秘密を打

ち明けました。声をかけてくれた先生のおかげで、今、私は生きています。」(かたつ

むりさん・20代)

荻上さんは、この問題に限らず、社会全体が家族というシステムに頼りすぎているため

、問題を抱えた家族や子どもに対して支援の手が入りにくい体制になっていると指摘。

夏苅さんやかたつむりさんのように、親戚や学校の先生がセーフティネット、あるいは

「感情のシェルター」(※)になれるのは、運やタイミングによるところが大きいため

、第3の場所の必要性を強調します。

(※)「感情のシェルター」:問題の解決そのものはできなくても、共有することによ

って当事者のストレスを軽減したり、安心感を与えたりする役割。

「例えば、子ども食堂だったり、学童保育だったり、あるいは地域のボランティアだっ

たりにつなげて、そこで子どもたちが少しだけ荷物を下ろせる。そうした場所を地域に

増やしていくことと、そして病気に対する偏見をなくしていくこと。その2つを同時にし

ていかなくてはいけない。」(萩上さん)

また、夏苅さんは、周囲の大人が子どもに親の病気のことを話す際には、できること、

できないことをきちんと伝えてほしいと訴えます。そして気休めに「軽い病気」や「す

ぐ直る」といったことは言わず、「長くかかるかもしれないけど、いろんな手だてはあ

るから一緒に頑張ろう」と、覚悟を持って明るく伝えてほしいと話します。

社会の精神疾患へのネガティブなイメージを払拭すると同時に、“子ども”の立場にあ

る当事者が安心して自身の思いを打ち明けられるような支援のあり方が、求められてい

ます。

母は統合失調症、32歳女性の苛酷な過去と今 -

                   http://toyokeizai.net/articles/-/251962