認知症は、一人で背負わない選択肢も?
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
今日の朝はとってもさわやかで気持ち良いスタートとなりました。
世の中の動きは、次世代を見据えた企業戦略が求められ
食品業界も統太の流れが加速し、カゴメの新社長が技術系から初めての
就任にあたり、トマトだけでなく、野菜にも進出しその販路を家庭から
業務向けの調味料開発にその販路のグローバル化にチェンジの方向を打ち出し
職員も、中途契約者にスポットを当てたいと
その抱負を述べてもいます。
高齢者だからと手、世の中の流れだけは、把握すべき努力と、あきらめない努力だけはしなければとかつ and 克…
認知症の介護疲れで、犯罪に至るケースは少なくありません。
国民だけの年金生活と仮定したなら、入所施設に措置することもためらわれる
現実、 みこちゃんも父の介護に携わってみて、何度一緒に
死んでしまいたいといった衝動にかられたかしれません。
ですから、この娘さんのお気持ちがわからないわけではありません。
いつまで続くか、皆目見当もつかない介護の落とし穴…
これはどこかで、自分の気持ちを開放できるどこかガス抜きだけは
絶対条件と、介護した経験から思えるみこちゃんです。
だって、だれが、法廷に立つ側に回るかしれない危うさだけはないなんて
誰にも言えない現実。
排便処理に抵抗にあうとそれはストレスもピークに及ぶ
ケースも理解できるともいえます。 それほど精神的に追いつめられるということで
す。
理性の制御の境界線は、とっても危ういもの!
実家で91歳の認知症の母親を介護していた娘[64歳]が
母の首を絞め殺した裁判で
裁判長は、突然娘に窒息死させられた被害者の身体的、肉体的苦痛は察す
るに余りあるなどとして、懲役3年(求刑懲役7年)を言い渡した。
お母さん、これが最後だから、どうか逝ってね
「お母さん、きょうで最後にしよう。私も後で一緒に死ぬから。そう思いました」。
被告(64)は、母を殺害した時の気持ちを公判でそう振り返っていた。
その日、被告は午前1時半ごろに久子さんの排泄(はいせつ)の世話をして仮眠した
。午前3時過ぎ、異音に気づき部屋へ向かうと、久子さんがタンスの引き出しを開けよ
うとしていた。その腹からは、大腸がんを患い10年ほど前から使っていた人工肛門(
こうもん)に装着した排泄物用の「ストーマ袋」が外れかけていた。清掃する間、久子
さんはわめき続けていたという。
「それまでにたまっていたストレスがはじけて、思い切り?を平手打ちしてしまいまし
た。そうしたら、『殺される!』『人殺し!』と大きな声で言い始めました。
今までた待っていた気持ちがすとんと切れてしまった。
これが被告人の素直な気持ちの証言でした。
「お母さん、これが最後…どうか逝ってね」 殺めた娘は
http://www.asahi.com/articles/ASM9N2DZCM9NTLVB001.html わが心のエッセンス。
老人の性格を変えるくらいなら
猫に社交ダンスを教えるほうが簡単
どんなひねくれた婆さんも頑固な爺さんも
そうなるだけの生活歴がちゃんとある