膠原病とともにに・・・。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 宝塚朱出身の「安奈淳」さんの

18年もの不治の病との壮絶を乗り越えて

今歌える喜びをひしひしと感じておられます。

 何度絶望感を味わい

何度地獄のような環境の元お過ごしであったろうと

想像するに余りあるものを感じないわけにはいきません。

  病と言ったトンネルはあまりにも暗く長く、孤独の中を

息も絶え絶えにお過ごしになったのであろうかと妄想します。

 でもこの病にかかって嘆き苦しんでも

翌日の朝はやってきます。

やはり、心穏やかに保つためにも

病との共生力はいるのだろうと感じています。

苦しく乗り越えないと思えばそれだけで

精神はやんでしまいます。

病をありのままに受け入れて、うまく矯正

することが最もこの病をやり過ごせる誘因にもなるのでしょうか。

身近にともあれば、それだけで半分以上の力は整えられもする。

 膠原病を生きる引用文です。

茨城県新治村・会社員

 予期せぬ結果に思考が停止し、激しい脱力感と共に、世界が音を立てて崩れていく感

覚に襲われた。その直後、ならくの底に沈んでいく自分の姿がはっきりと見えた。まさ

に絶望の淵に立たされたのだった。 

 これは三年半前に、それまで十年間近く苦しんできた病気が判明した時の、私の偽ら

ざる心象風景とでも呼ぶべきものです。その日、医師から、「全身性エリテマトーデス

(SLE)」という難病の膠原病と言われた時、私は生きる意欲を完全に喪失し、死を

明瞭に意識し始めました。「自殺」という文字が脳裏で徐々にリアルさを増してきたの

でした。 

 ところが、そんな私は現在、毎日仕事をしています。しかも、極めて穏やかな精神状

態の中で、元気に生きています。振り返ってみて、あの時の自分からは、とても想像で

きません。あの時は、難病になった自分の運命を嘆き悲しみ、死をも覚悟したのですが

、それが今ではうそのようです。この変化をもたらしたものは、決して自分一人の力で

はありません。家族の存在は元より、それに加えて、入院した病院の主治医K先生と、

同病のSさんとの出会いがあったからです。K先生は三十歳過ぎの若い医師ですが、私

の苦悩を真正面から受け止めて下さいました。そして、真摯な助言を下さったのです。

Sさんは同病の先輩として、十年を超える自らの経験を話しながら、私を励ましてくれ

ました。Sさんは五十歳前後と覚しき女性ですが、難病とは思えないほど、とても快活

な方でした。 

 お二人には共通する考え方がありました。それは、「病気との共生」というものです

。この考え方に私はとても新鮮かつ強烈なインパクトを受けました。というのも、その

時までの私は、病気は体にあってはいけないもの、排除すべきものという考え方をして

いたので、病気と共生することなど想像もできなかったのです。まして不治の難病との

共生など、しょせん不可能であると、あきらめてもいたのです。仮にそれが可能であっ

たとしても、難病を抱えて生きることにいかなる意味があるのかと、懐疑的でもあった

のです。 

 ところが、K先生もSさんもそれが充分可能であり、そうして生きる人生に大きな意

義を見いだすことも可能であると、おっしゃったのです。K先生は、この病気特有の禁

忌事項により、生活上少なからず制約が課されるので、これまでとは違う生活の仕方が

必要になってくる。また、それを実行するためには、おのずとそれに合わせた意識の変

化が伴わなければならない。それさえできれば病気との共生は可能です。そのためには

まず、現実を受け入れる勇気と強い希望を持つことが肝要です、とおっしゃいました。

SさんはK先生の言葉を実証してきたのでした。彼女の顔には難病との共生を苦痛と感

じさせるような様子は、少しも見られませんでした。逆に生きていることの喜びと感謝

の念が、ありありと見て取れました。ちなみにその時のSさんは、膝の骨折のために入

院していたのです。 

 お二人との出会いによって、私は病気と真正面から向き合う勇気と、生きる希望を得

ることができたのです。あれから三年半経ちますが、お二人の助言や励ましによって共

生の道を選んだことに、多いに満足しています。種々の制約は伴うけれど、決して苦に

はなりません。むしろ病気との共生は、私に次のような事実を教えてくれたのです。 

 この病気にはストレスが最も悪いものの一つとされています。それは、非肝要な心的

態度、現代社会にはんらんしている欲望に振り回されて自分を見失うこと、そして、ス

ピード化された社会での焦燥感からくるようです。これらからいかにして自由になるか

が、この病気との共生の正否の鍵です。いま、私の病気はとても安定しています。共生

が順調なのです。これは私がストレスをためる諸原因から、かなり解放されていること

を証明するものです。先に、穏やかな精神状態にあると書きましたが、これがその証左

ではないでしょうか。確かに、病気との共生を始めてから、自分が変わったように思わ

れます。体から余分な力が抜けて、とても心地良い状態です。 

 K先生がおっしゃっていた、意識の変化が伴うとは、こういうことなのかも知れませ

ん。私は病気との共生を経る中で、知らず知らずのうちに自分を変えてきていたのです

。そしてそれは、自分の生き方に最も適したあり方なのです。 

 こうして考えてみると、この難病が、本当の自分のあり方を考える契機を与えてくれ

たのかも知れません。当初この病気は、憎悪の対象でしたが、今は、友人のような存在

に変わりました。もちろん病気であることは、決してうれしいことではないけれど、病

気によって自分の人生を見直し、生きることに喜びを感じる自分に出会えたことに、感

謝しています。  

日本医師会ホームページ http://www.med.or.jp/

 

     山系より。

【ゆうゆうLife】病と生きる 女優・歌手 安奈淳さん(70) 危機を乗り越え

達観 歌える喜び世に還元 (2018年3月29日 15:13)

 昭和50年代、社会現象にまでなった宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」で、2代目オ

スカル役としてブームを牽引(けんいん)した一人、安奈淳さん。退団後もミュージカ

ルやテレビに活躍の場を広げ、多忙を極めた。しかし平成12年、膠原(こうげん)病

により生死のふちをさまようことに。以来、病と生きて18年。だからこそ、歌える喜

びをしみじみと感じるという。(聞き手・服部素子)

                  ◇

 大病院なら、いまはどこでも膠原病科がありますが、当時は「膠原病です」と言うと

みなさんに「高原病?」って言われたぐらい認知度が低かった。膠原病は、原因不明の

自己免疫疾患。その中でも関節、筋肉、腎臓、心臓、肺など全身の臓器が障害を受ける

難病の「全身性エリテマトーデス(SLE)」が、私のかかった病気です。

 緊急入院したときのことは、ほとんど覚えていないんです。覚えているのは、ベッド

に寝かされ、背中に管を入れられて、ベッドの横にあった大きなビーカーみたいなもの

にどんどん黄色い水がたまっていったこと。看護師さんに「あれは何ですか?」って聞

いたら「尿です」と言われて…。その後、10日間ほど記憶がありません。

 少しずつ体にたまった尿が肺に届き、心臓の外側にもたまりだしていたそうで「(私

の)余命が3日」と言われた友人たちは、お別れの会をどうしようって、右往左往した

らしいです。

 なんでそこまで我慢したんでしょうね。「なんてバカな」って思いますよね。

 後から主治医が、「こういうひどい状態の患者は診たことがない。いい研究材料にな

りました」って。その言葉を聞いて「医学の助けになったのかな」とちらっと思いまし

た。

                 ■ □ ■

 治療は、ステロイドの大量投入。それで危機は脱したんですが、多臓器不全という状

況になり、今では考えられない、ステロイドインターフェロンの筋肉注射を併用する

という治療法で一命を取り留めました。

 ただ、薬が効くということは副作用も壮絶で、目が見えなくなり、耳も聞こえなくな

って、幻聴・幻覚、味覚障害。食べられない。そして重度の鬱。入院したとき60キロ

を超えていた体重が、水を抜き終わったときは37キロほど。骨と皮で、友人は「人体

模型」みたいって言ってました。

 主治医に言われて印象に残っているのは「膠原病は難しい病気だが、珍しい病気では

ない。完治は望めないが、薬でコントロールできる」という言葉です。もともと過去を

ひきずらない性格なので、「なりたくってこの病気になったわけじゃない。『まな板の

上のコイ』の心境で、めげないで生きていこう」と決めました。

                 ■ □ ■

 難病なので完治はしませんが、数値はよくなって、肝臓も肝硬変寸前だったのが、新

薬のおかげで治りました。

 2年前には、腎臓がんの手術もしました。数年前に心臓弁膜症と言われ、「膠原病

心臓に、がん!」って思いましたが、早期だったし、転移もなくて、主治医から「腎臓

がんは、卒業です」と言われています。

 そんなふうに何回か危篤状態を乗り越えてきたことで、ある意味、達観したというか

、欲っていうものがなくなりました。

 昨年、古希のコンサートをさせてもらったし。18年前を知っている友人たちは、い

ま、私が歌を歌ったりしながら普通に生きているのが信じられないと言います。

 コンサート活動のほかに「朗読ミュージカル」にも取り組んでいるんですよ。宝塚の

先輩で、童話作家の山崎陽子さんが脚本と演出を手がける文学と音楽、演劇を融合させ

た独特の世界観の舞台です。ステージには、ピアノ1台と演者1人しかいないんです。

 今度、4月21日に大阪の大丸心斎橋劇場でさせていただくのは「樫(かし)の木の

下で」という、幼稚園の先生が数十年を経て卒園生と再会する、すてきな物語。私のほ

かに、俳優の宝田明さんら3人もそれぞれの物語を演じます。

 振り返れば、あっという間に70歳。生きて、歌える幸せを、世の中に還元していく

のがこれからの私の役割だと思っています。

                  ◇

 【プロフィル】安奈淳

 あんな・じゅん 昭和22年、大阪府出身。40年、宝塚歌劇団入団。花組星組

トップスターとして活躍。代表作に「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」など。5

3年、同歌劇団退団後は、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」「レ・ミゼラ

ブル」など多くの舞台に出演。現在は、コンサートを中心に活動。著書に「安奈淳、膠

原病と闘う」など。