難病とともに!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 30台でパーキンソン氏病が発生するなんて驚きでした。

 この病気は難病指定にもなっているくらいの疾患で

予後と言えば先細りともいえます。

 それを 「為せば成る何事も」! この精神で

苦難坂を乗り越えられたことと、当事者の

お人柄ともいえるのでしょうか、周囲の人間関係にも支えられ

再び人前に立つことのできた喜び二は、たとえようのない

喜びとともに、頑張りぬいたからこそ得られる

達成間がおありではないのかと推察させていただきました。

 病に屈してしまうことは容易で、妄想鳴門

その穴から抜け出すことは容易ではありません。

 我々もいかなる時もあきらめず挑戦は人生のendingまで細く

永遠でありたいものです。

わが従妹も、6年前に胃がんを発症し

余命1年ともいわれていましたが、阪大での治療と

本人の並々ならぬ、血のにじむような努力が実を結び

 今ではサバイバーとして医者から禁じられてもいた登山もやめることなく

今なお続けております。

まさに努力の人と、おばあちゃんの人生の目標でもあります。

わたしと健康 ミュージシャン 梅原達也さん 筋肉が硬直し手術 復活ステージ全力

で病と共存し挑戦続ける (2018/05/13)

 2006年、若年性パーキンソン病であることを自ら公表した。

 「進行性で治らない病気だと医師に言われた時は、困ったことになったと思いました

が、全く実感がなくて、ぴんとこなかったです」

 30代の終わりごろ、大好きなサッカーをしている最中に、何もないところで訳もな

く転ぶようになった。朝、歯を磨いていると手が震えたり、手の動きが止まったりする

こともあった。

 「たまたまサッカーで足の関節を痛めて接骨院に行った時に、よく転ぶことを話すと

、他の症状も聞かれ、すぐに脳を調べてもらった方がいいと勧められたんです。それで

精密検査を受けたら病気が見つかりました」

 パーキンソン病は、主に50歳以上の中高年に多く発症する原因不明の脳神経の難病

だ。神経伝達物質ドーパミンが減少し、手足が震えたり、筋肉がこわばったりして、

動作が遅くなる。進行すると自力歩行も困難になり、車いす生活や寝たきりになる場合

がある。運動障害以外にも、うつなどの精神症状も多々ある。治療で進行を緩やかにす

ることはできるが、根治は見込めない。

 薬物による治療をしばらく続けていたが、年を追うごとに音楽活動に支障をきたし、

日常生活もままならなくなっていった。

 「病気はどんどんひどくなって、夜寝ていると寝返りがうてないんですよ。薬が効い

ている時はいいのですが、効き目が切れると、体にオフのスイッチがあるみたいに突然

全く動かなくなる。それでもライブに出たいので、薬を大量に飲んだら幻覚が見えて、

夢と現実の区別がつかないありさまでした」

 やがて外へも出られなくなり、家の中にじっとしていると頭がおかしくなりそうだっ

たと振り返る。

 16年8月、ついに手術を受けた。成功率は6割以下と言われ、なかなか踏み切れな

かったが、可能性に懸けて決断した。脳の特定の部位に細い電極を埋め込み、電気刺激

を送ることでパーキンソン病の症状を改善させる「脳深部刺激療法」で、10時間に及

ぶ大手術だった。

 「刺激に対する反応を見るので、局部麻酔で覚醒したままでした。頭蓋骨(ずがいこ

つ)を削る音は聞こえるし、体位が変えられず痛くてつらかった」

 手術室には「44マグナム」の曲が流れていた。かすかに聞こえる昔の自分の歌声に

励まされ、再びステージに立つ日を夢見てじっと耐えた。

 44マグナムはX-JAPANをはじめ、多くの名だたるバンドに大きな影響を及ぼ

した伝説のロックバンドだ。そのボーカリストとして日本のロックシーンをけん引して

きた。

 「自分ではあまり覚えていないのですが、“ロックンロール”と叫びながら手術室に

入り、手術台の上では“ファック”を連発していたみたいです(笑い)」

 手術は無事に終わった。ただ、歩けるようになっても、ステージに立つまで回復する

にはリハビリの時間を要した。

 「体調は昔の半分にも満たないし、声もロングトーンやハイトーンは難しい。リズム

もボロボロの時があり、これでは観客に失礼で、お金もとれないと思いましたね」

 17年5月、自身のバンド「ポールポジション」でようやく復活のステージに立った

 「満足とはいかなかったけど、こういう病気でもステージに立てるんだ、そういう自

分を見せるんだという気持ちになりました。役目を背負っているわけではないけど、パ

ーキンソン病について知ってもらうことの一助になるのではないかと思いました」

 今年は44マグナムのメジャーデビュー35周年にあたる。今月から新しいアルバム

の制作に入り、秋にリリースする予定。10月には東京と大阪で記念ライブも計画して

いる。

 「ひょっとしたらこれが最後かもしれない。いつもそのつもりでステージに立ってい

ます。無いものねだりをしてもしょうがないしね。以前は10できたことが、今は3し

かできないとしても、その3を全力でやるだけです」

 バンドのメンバーやスタッフ、周囲の人々に感謝しつつ、病と共存しながらあくなき

挑戦は続く。発する言葉一つ一つはロッカーの誇りに満ちていた。(医療ライター・伊

波達也)

      ◇

 来週は「福田千晶の暮らしの健美法」です。

 ■人物略歴

うめはら・たつや

 1961年沖縄県生まれ。77年、ロックバンド「44マグナム」を結成。ボーカル

を担当し、83年にアルバム「DANGER」をリリースしメジャーデビュー。日本の

ヘビーメタル、ビジュアル系バンドの先駆けとなった。公式サイトはwww.44ma

gnum2001.com