がんをいきるには・・・?
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
女優の古村比呂さんの癌をあるがままにうけいれて
生きる姿勢に感銘いたしました。
誰もが癌の洗礼を受けても当たり前の時代を迎え
その日々の病気との向き合い方が問われてもいます。
癌と向き合うことは多くの制限と、苦しみの中からの
自らの生きざまを 見いだしそこからの出発は相当の強い
意思と覚悟がなければ過ごすことは皆無であろうといつも感じています。
加齢による体力の低下に加え病魔、プラス医療費の負担は
あまりにも過酷としか言いようがない。
近頃ではがんがすぐに死に直結するものではないので
ある程度の治療後は我が家で過ごすことが定番のようになってもいます。
食べずらくなった時の食事管理と身辺の暮らしのサポートをどのようにするかなど
考えるだけで疲れ切ります。
ある程度のモデルケースがあると助かりますけど
不安を払しょくするためにはどのようにプランニングしてゆけばよいのか
様々のケースに接しながら、不安を一つ一つなくする知識は持ちたくは思っています。
癌の暮らしはそれだけで、壮絶なる暮らしだけは想定できます。
アサヒコムより。
あるがまま、がんと歩む 古村比呂さん「心の持ちよう」 (3/27)
がんの再々発について話す古村比呂さん=東京都中央区、池永牧子撮影
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子宮頸(けい)がんの2度目の再発を2月に公表した俳優の古村比呂さん(52)。
2017年11月末に肺とリンパ節への転移が分かり、抗がん剤治療を受けていると言
います。病と向き合う日々についてお話を伺いました。
感情がフリーズ
――再々発を告げられたときは。
ショックでした。感情がフリーズしました。言われていることを受け入れたくないと
いう気持ちがあったのでしょう。感情が入ると、先生の話をきちんと聞けないからとい
うのもありました。
こむら・ひろ
北海道美幌町生まれ。1987年、21歳でNHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん
」のヒロインを演じ、その後も舞台やテレビドラマに出演。2011年に子宮頸がんが
分かり翌年手術。17年3月に再発、同11月に再々発が分かり通院治療中。離婚後、
シングルマザーとして息子3人を育てる。リンパ浮腫に悩む人の交流の場「シエスタの
会」を15年夏に始めた。
1度目の再発が分かったのは、子宮の全摘手術をしてからちょうど5年たった昨年3
月。その後1カ月間は集中的に抗がん剤と放射線で治療して、夏にはどうしてもやりた
かったテレビドラマ「トットちゃん!」出演の仕事もできて、さあこれからというタイ
ミングでした。
その1カ月の集中的な治療では、吐き気やだるさの副作用がきつかったので、再々発
と言われて「またあれをやるの?」と恐怖をおぼえました。吐き気止めの薬を変えて良
くはなったんですが、次に味覚障害が出て何を食べても金属的な味になり、食欲が落ち
ました。言葉は悪いけれど「えさ」を食べているような状態。治療の後、味覚が元に戻
ったときはほっとしました。そういう記憶があったので怖くなったんです。
がんの再々発について話す古村比呂さん=東京都中央区、池永牧子撮影
――現在はどんな状況ですか。
1月から新たな抗がん剤の治療を受けていて、しびれが少し出ていますが、体調は良
いと思います。以前はとにかく「がんを消そう」ということばかりで余裕がなかったの
ですが、今回は体がどう反応しているかとか、どうしたら気持ち良く過ごせるかとか、
冷静にパターンを見ています。
食事はこれまでいろいろ試して、自分なりにベストコンディションになるものを探し
てきました。完全な玄米食は消化がうまくできなくて合わないとか、脂や甘い物をとり
すぎないようにするとか。大好きなアイスクリームもセーブしています。
がんの再々発について話す古村比呂さん=東京都中央区、池永牧子撮影
でも食事って楽しむのが一番。外でだれかと食べるときは、あまり気にせず楽しく食
べます。
心の持ちようが大きい
――再々発を公表した2月の時は「気持ちの整理がついていない部分がある」とおっ
しゃっていましたが、その後どうですか。
開き直ったんですかね。なるようにしかならないと。長いスパンの目標に向けて今、
何をするかと考えるより今を楽しむ。その積み重ねで、結果として何かを成し遂げられ
ていたらそれでOKという気持ちです。
「闘って頑張る」という姿勢は、短期集中ならばなんとかなるけれど、ずっとスイッ
チオンだと私は疲れちゃうんです。体が硬くなる。いま起こっていることと対峙(たい
じ)してうまくやっていこうという方が、体が緩んで調子も良かった。
ではごきげんよろしゅうに・・・。
私は1人でぼーっとしている時…