オーム地下鉄サリン事件は永遠にかたりつづけられたいもの!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 一連のオーム事件から30年近くになります。

  もう、警察官ですらオーム事件を知らない世代が社会人になっています。

 シリア紛争で、毒ガスの使用が、なされたとの報道を受け

 地下鉄サリン事件で駅員として死亡された

高橋さんのニュースに触れました。

 そんな時、何気なく、ネット検索していた時に出会った記事が

 たまたま事件の電車に乗り合わせて、その後の人生は寝たっきりの、脳障害により

今なお、お苦しみの真っただ中におありの妹さんの

記事に遭遇しくぎ付けとなりました。

ご家族は、いつもあの忌まわしい地下鉄サリン事件と向き合ってお過ごしです。

 ごく普通の生活がその日を境に一変するなんて

誰が想像できたでしょう?

 このような事件に遭遇しなければ、女性として

花嫁衣装を身に着け、子供にも恵まれ

新たな素敵な家族も作られ、お兄さんご一家とも

楽しい断章の暮らしもあったに違いありません。

 言い換えれば、誰だって当事者になりうる社会現象は

どこにだってあることも認識せざるを得ませんでした。

妹さんを献身的に看護されているお兄さん家族の

ご苦労はまさにいばらの道です。

 報道からは縁遠いい事件となってしまいました。

でも、このような若者行動は、決して怒らないとも言えません。

 浅原を超えた能力の持ち主ばかりが

なぜに、彼の一語で、集団殺人マシーンにと

へんぼうしなければならなかったのでしょう?

 みこばあちゃんはどのように悲しく、苦しい時も

常に自分と向き合って過ごしてきました。

いまだに無神論者です。

 それが決して良いことなどと申し上げる気持ちはございません。

浅川一雄さん手記

 妹,幸子が被害を受けました。幸子は,事件当日,会社の講習会を受けるために乗車

していた丸ノ内線内で事件に遭いました。猛毒のサリンガスを吸ってしまい,心肺停止

の状態で救護され,蘇生をしていただきました。いつ亡くなってもおかしくない状況で

したが,幸子の頑張りとお医者さんの力で命は助かりました。しかし,一生寝たきりの

状態になってしまったのです。 幸子は,事件から8年半の間で三カ所の病院にお世話に

なり,平成15年9月13日に退院しました。その後,私たちと一緒に生活を始めまし

た。

浅川幸子さん(手前右)

地下鉄サリン事件以前に撮影)

(浅川一雄さん提供)

 事件から間もなく23年が経ちますが,私たち家族は,この度,大きな決断を強いら

れています。

 平成29年10月,幸子は,けいれんを起こし入院しました。原因は,分からないと

のことです。今までは,ミキサー食を人の手を借りながらでも口から食べることができ

ていましたが,自力で飲み込むことができなくなりました。身体の硬直がひどくなり,

顔が上に向いたままになってしまい,食事ができないのです。今後,どのようにして栄

養を取っていくのかをお医者さんと私たち家族とで相談し,胃ろうにしました。胃ろう

というのは簡単に言ってしまえば,胃に小さな穴を開けて,器具をつけ,栄養を直接,

胃に入れるということです。 胃ろうになったことでタンの吸引も行わなければいけない

のですが,この時,幸子の顔がゆがみ,とても辛そうです。しかし,タンを吸引してあ

げなければ,窒息してしまうのです。

「現在の浅川幸子さんのご様子について(写真)」へ

 幸子は,まもなく退院しなければいけません。私たち家族は,幸子を家で看るか,別

の病院や施設でお世話になるかの選択をしなければなりません。経済的なことも気掛か

りです。一番辛いのは幸子だということは理解していても,家で一緒に暮らしていける

のか?施設の方が良いのではないか?タンの吸引,胃ろうの事など,心配は尽きません

。お医者さんや病院の相談員からは「タンの量が多く,24時間看護が必要なので,施

設の方が良いのではないでしょうか」とアドバイスをいただきました。それに,私と家

内は仕事をしていますので,「自宅で介護するのは負担が大きすぎるでしょう」とも言

われています。幸子の身体の状態を考えると,今後,私たち家族の生活環境は,大きく

変化していくと感じています。

 23年は長い年月だなと改めて感じました。平成17年に父が亡くなり,私たちの子

供たちも家から巣立ち,93歳になる母も,少しずつ老いが進んできました。

 しかし,落ち込んでばかりではいけません。 幸子が一生懸命生きようとしているの

だから,私たち家族もしっかりサポートしていきたいと思っています。

 いま最後の逃走犯・高橋克也被告の裁判員裁判が続いている。この裁判が終われば、

1本智津夫死刑囚に対する刑執行の強い意思がある。そのときオウム報道は最後の盛り

上が

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 世間には事件発生からいまにいたるまで大きな誤解がある。それは地下鉄サリン事件

、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺人事件などなど、一連の非道は、特殊な集団に、

特殊な人物たちが入り、起こしたものだという理解である。もしそうならば、事件を起

こした教祖をはじめ実行犯が逮捕、起訴され、判決を受け、さらに教団が消滅すれば、

すべて解決ということになる。そうではないのだ。たとえばオウム残党で麻原彰晃を絶

対化するアレフなどの組織に入る者は、いまでも北海道、近畿を中心に年間で約150

人もいる。いちばん多いのは35歳以下の世代だ。このこと一つをみてもオウム問題は

いまだ続いている。

 何が問題なのだろうか。それは日本社会がオウム問題を事件のレベルでのみ捉えてき

たことである。どこにでもいる若者たちが人生のふとした狭間でオウム真理教に入信し

、教祖によるマインドコントロール社会心理学の適用によって精神を支配すること)

によって凶悪事件に関わってしまったのだ。ちなみにマインドコントロールは物理的に

精神を変容させる洗脳とは異なる。マインドコントロールには定まった概念がないとい

までも言われているが、一般的了解というものはある。親切にされたらそれに応えると

いった「返報性の原理」など、人間心理を利用して行動をコントロールしていく手法で

ある。カルト(熱狂集団)は、他者を巻き込むために、人間心理を効果的かつ巧妙に利

用している。オウム真理教もまたそうした組織のひとつだった。

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宗教施設を建設する際に集められたとみられる信者

たち。コンテナのような狭い空間で窮屈そうに寝入っ

ている。1990年前後の撮影とみられる

(顔をモザイク加工しています)

 そのオウム真理教とて、最初はヨーガのサークルだった。地下鉄サリン事件当時、オ

ウム真理教の信者は、出家、在家の総計で1万人を超えている。入信の動機はさまざま

だ。1984年に麻原彰晃が東京・世田谷で立ち上げたのは、オウムの会というヨーガ

のサークルだった。そこに集った者は、多くがヨーガの修行を通じて健康を維持したい

、あるいは回復したいというものだった。やがて麻原彰晃の「空中浮遊」が雑誌で紹介

されると、超能力を身につけたいという動機を持った会員が増えていく。のちに滝本太

郎弁護士が試み、麻原彰晃よりも高く「浮かんだ」ように、「空中浮遊」とは、いわば

胡座をかいてのジャンプだった。若者たちはそれに魅かれてしまった。たとえば坂本弁

護士事件やサリン事件にかかわった中川智正死刑囚(京都府医大時代に入信)も、関

心を持ったきっかけは「空中浮遊」だった。

 オウムの会から名称を変更したオウム神仙の会は、1989年に東京都の認証を受け

オウム真理教という宗教法人に発展する。教祖となった麻原彰晃は、仏教、密教、さ

らにはキリスト教など、さまざまな宗教を混合していく。それにともない入信の動機も

広がっていった。たとえば地下鉄サリン事件で死刑判決を受けた井上嘉浩の場合は、高

校生のときにオウムに関わる。動機は社会変革である。歌手の尾崎豊に惹かれた井上は

、レールに乗ったような人生に疑問を覚える。進学し、社会に出て、サラリーマンとな

り、満員電車に揺られて暮らすことに疑問を抱いたのだ。そうではなく修行をすること

で悟りを開く。そして他人を勧誘し、その相手が悟りを開く。こうして悟った人間が増

えていけば、この濁った社会は徐々に、あるいは急激に変えることができる。そう思っ

たのだ。

 しかしこのようにさまざまな動機で麻原彰晃に接近していった者も、教団の変質に巻

き込まれていくことになる。そのきっかけが教団施設における信者の死亡である。脱会

を試みた信者の殺人事件も起きる。1989年8月に宗教法人となったオウム真理教

が、強引な勧誘が問題となり、坂本堤弁護士たちが、教団の問題点を指摘するようにな

る。信者の死亡事故や事件を隠していたことがわかれば、宗教法人の認証が取り消され

る恐れがある。麻原彰晃はそれを避けなければならないと判断した。そして1989年

11月3日未明に坂本弁護士一家殺害事件が6人の信者によって実行された。

 こうして秘密の共有という一部信者の秘密結社化とともに、麻原彰晃の攻撃性は強ま

っていく。松本サリン事件まであと5年である。ここまでくれば、事件に関与した信者

はもはや「どこにでもいる」人間とはいえない。しかし信者が殺人を犯すことを目的と

してオウムの会やオウム真理教に入ったのではないことを再度強調しておくのは、オウ

ム問題は過去の問題ではないからである。何が日本社会の課題なのか。それはカルトに

入る者には、一般的な傾向があることを知り、対策を取る必要があることだ。

 まず家族問題だ。多くの信者は入信の背景として父親あるいは母親との軋轢を抱えて

いる。かつて上祐史浩に、麻原彰晃とはどういう存在かと問うたことがある。いつもは

冗舌で「あー言えばジョーユー」と揶揄されるほどだった彼が、しばし黙り込んだこと

をいまでも覚えている。口を開いて出てきた言葉はこういうものだった。「尊師は目標

であり、父のような存在です」。坂本弁護士事件の実行犯のひとり、岡崎一明死刑囚は

麻原彰晃について「父や母のような存在でした」と裁判で語っていた。「両親の代わ

りとしての教祖」である。上祐は、父のような教祖は「わたしが何をしなければならな

いのかをテキパキと指示してくれる」と語った。社会的価値観を教えてくれる存在とし

ての父性の欠如だ。

 家族問題だけではない。結論だけをいえば、反抗期の欠如、社会性の欠如などが背景

に存在していた。井上死刑囚の父にこう聞いたことがある。「息子さんに反抗期はあり

ましたか」。即座に戻ってきた言葉は「ありませんでした」だった。一般的に人間は成

長の過程で反抗期を通っていく。霊感商法合同結婚式で知られる統一教会の元信者た

ちにも、反抗期を経験しなかった者が多いように思える。オウムにしても統一教会にし

ても、わたしが知るかぎり、親や兄弟姉妹に優しい人物が多い。反抗期がないことは、

対人関係において抵抗感がないことなのかも知れない。この問題もオウム=カルト問題

を解く課題のひとつなのだ。