オーム事件 【井上嘉浩】死刑執行。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 当地は今日も雨模様です。

オーム事件から24年がたちました。

まだ若い井上の死刑が執行されました。

刑務所の移動である程度は予測された本日。

井上の人生はどのようにひきうけてきたのだろうか?

宗教であるならばともに救われるものであってほしかったものです。

 裁判経過においても本当に罪深さをどれほど

にんしきできていたのだろうか?

裁判においても 自己保身ばかりが目に余る内容に

終始したことは誠に残念としか言い難いものがある。

深い罪を心に留め置く死刑であってほしかったものです。

善悪のつかないほどのマインドコントロールであったとはとても思えない

一連の罪を避けたなら、自分の命が危ないとの作用が働いたことは確か?

 まじめな父親に触れ、これでは市や早生とは縁遠く思えたとの記述に

コツコツとしたまじめであることの大切さを

なぜに父の背中からかんじることができなかったのであろうか?

ケースバイケースの幸せの社寺加減

何気ない足元の小さな幸せを 感じることに価値を見い出してもほしいもの!    

 

     引用文です。

幼少期はドキュメンタリー番組が好きで世界の貧困問題や犬の殺処分問題に関心があり

NHK新宗教と若者をテーマにしたドキュメンタリー番組に出演したこともある。父は

真面目な性格であったが家でもくつろげず、夫婦喧嘩をよく起こし、父のような生き方

をしても幸福はないと感じた。母は自殺未遂をしたこともあった[1][2]。武道、ヨーガ

阿含宗を経て高校2年の頃(1986年)オウム神仙の会のセミナーに参加し麻原彰晃の姿

に感銘を覚え、麻原を理想的な親のように感じた。 

1988年京都の私立洛南高等学校を卒業し、3月1日に出家。親と麻原との交渉では大学を

出てから出家する予定であり、日本文化大学法学部へ入学するが麻原の指示で中退。後

に井上は大学を出ていないので教団内では重要な立場に無かったと主張したが、もっと

も本人も大学に行く気は無く卒業即出家したがっていたという[1][3]。その後母親もオ

ウムの在家信者となる[4]。 

1990年の石垣島セミナーの頃からヴァジラヤーナの非合法路線に関与する[5]。私立探偵

の目川重治から盗聴技術を教わったこともあるとされ[6]、教団が省庁制を採用した後は

諜報省(CHS)長官として盗聴や誘拐、不法侵入などを実行、駐車場経営者VX襲撃事件、

会社員VX殺害事件、被害者の会会長VX襲撃事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件、

地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件に関与する。新宿駅青酸ガス事件、東京

都庁小包爆弾事件には首謀者として関わった。地下鉄サリン事件の3日前の尊師通達で正

悟師に昇格した。 

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で特別指名手配されていたが、1995年5月15日に秋川

市(現:あきる野市)で発見され、公務執行妨害の疑いで、豊田亨と共に現行犯逮捕さ

れる。乗っていた車の中から東京都庁小包爆弾事件・島田裕巳宅爆弾事件で使われた爆

発物の原料となる物質が発見された。 

1995年12月26日付で、オウム真理教から脱会したとして、サマナや信徒宛にメッセージ

を出し、脱会を促す。メッセージの中では「グルの意思」の名の下になした修行の結果

、生じた犯罪行為によって身体は拘束されているが、心は以前よりもずっと自由である

旨が記されていた。さらに、教団で培った様々な観念は崩れ去り、覚醒を得ようとする

なら「最終解脱者」や「救済者」は必要がない、「尊師」も「正大師」も「サマナ」も

そんな階級などいらない、教団など何一つとして必要ないと言い切った[7][8]。 

裁判[編集]

裁判ではオウム事件を反省する態度を見せたが、自分が重宝されていなかったと主張し

責任を矮小化・転嫁する傾向があり、証言の信憑性に疑問が持たれた[9]。第一審では死

刑が求刑されたが、目黒公証役場事務長事件では逮捕監禁罪を認めたが逮捕監禁致死罪

を認めず、地下鉄サリン事件では連絡役に留まるとして2000年6月6日に東京地裁で無期

懲役判決を受けた。オウム真理教事件において死刑求刑に対して無期懲役判決が言い渡

されたのは初めてであった。 

だが検察は控訴。さらに新実智光も「今の井上君は『蜘蛛の糸』のカンダタと同じだ」

として、地下鉄サリン事件で井上がかなり重要なポジションにあったこと、島田裕巳

爆弾事件の直後に井上が「やったやった、この事件は新聞に載るくらいの事件だ」と喜

んでいたことなどを証言し始めた[10]。これ以前にも井上の部下で運転手だった井田喜

広が、井上が坂本堤を「バカなやつ」「悪業だから一家全員をポアした」、薬剤師リン

チ殺人事件の被害者を「すごく汚かった」「断末魔がすごい」と面白がっていたと証言

したり、遠藤誠一が「井上はよく嘘をつく」「麻原からアーナンダは死に神をも騙すと

言われていた」と証言するなど[11]、麻原追求の急先鋒を演じる井上の立場は揺らいで

いた[12]。 

控訴審(東京高裁、2004年5月28日)では目黒公証役場事務長事件の逮捕監禁致死罪を認

め、地下鉄サリン事件の現場指揮者ではないが総合調整役として無差別大量殺人に重要

な役割を担ったことが認定され、一審判決が破棄されて死刑判決を言い渡された。2009

年12月10日に上告棄却、2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され[1

3]、死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定したのは9人目。 

死刑確定後[編集]

2018年(平成30年)3月14日までは、井上を含め、オウム真理教事件の死刑囚13人全員が

、東京拘置所に収監されていた[14][15][16][17]

しかし、2018年1月、高橋克也無期懲役確定により、オウム事件の刑事裁判が終結した

[14][17]。 

このことから、同年3月14日、麻原彰晃を除く死刑囚12人のうち、7人について、死刑執

行設備を持つほかの5拘置所(仙台拘置支所・名古屋拘置所・大阪拘置所・広島拘置所

福岡拘置所)への移送が行われた[14][15][16][17][18]。 

井上は、新実智光とともに、2018年3月14日付で、大阪拘置所に移送された[18]。移送翌

日にあたる2018年3月15日、「死刑回避のためではなく、事実は違うことを明らかにした

い」と東京高裁に再審を請求した[19][20]。同年7月6日に死刑執行[21]。48歳没。 

2018年7月6日午前、大阪拘置所にて死刑が執行された[22]。 

死刑確定後開かれた共犯者の裁判員裁判での主な証言[編集]

公証人役場事務長殺害説[編集]

死刑確定後の2011年に井上は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の被害者(事務長)の

長男に関係者を介して手紙を出した。その内容は、これまで事務長の死因を麻酔薬の副

作用と述べていたが、それは事実ではなく、中川智正(当時医師)が故意に殺害した可

能性がある、というものだった。しかし、この時点での捜査機関の対応はなかった。 

その後2012年1月に平田信が、6月には高橋克也が逮捕され、両名は公証人役場事務長事

件に関与していたため、同事件の捜査が再開された。井上の新主張(後述するように井

上は「新主張」ではないとも主張しているが、その裏付けは示されていないので「新主

張」と表記する)を裏付ける証拠や共犯者の供述はなく、井上が事件発生から16年以上

経って自分の過去の証言や供述を覆したこともあり、検察庁の認定は麻酔薬の副作用に

よる死亡ということで変わらなかった。 

平田の一審裁判員裁判では、平田が逮捕監禁罪(「致死」はついていない)で起訴され

ていたこともあり、事務長の死因は争点にならなかった。判決は事務長の死因を麻酔薬

の副作用と認定し、井上の証言について「死因について突然新たな供述をするなど、証

言は誇張や記憶の混同があるのではないかとの疑問が残る」と指摘している[23]。井上

の新主張は採用されないまま、2016年1月13日に最高裁は平田の上告を棄却、確定した[2

4]。 

高橋克也の一審裁判員裁判では高橋が逮捕監禁致死罪で起訴されていた上、弁護側が事

務長の死因について争ったため、これについて詳しい審理が行われた。「中川が故意に

事務長を殺害した可能性がある」との井上の証言に対し、中川は否定したほか、共犯者

で元医師の林郁夫は、井上の証言に対して「あり得ない」と証言し、他の共犯者も井上

の証言を否定した。2015年4月30日の高橋に対する一審判決は、「井上の証言はその内容

が突飛である上に、これに沿う関係者の証言もない」「井上の証言はそのまま信用でき

ないというほかにない」、他方、中川の証言は他の共犯者の「証言などにより支えられ

ている」として事務長の死因を麻酔薬の過量投与による事故と認定し、井上の新主張を

採用しなかった[25]。2016年9月7日の高橋に対する控訴審判決も一審判決を支持し、井

上の新証言を採用しなかった[26]。 

井上が新主張を行った理由については、事務長の長男が「これまでの説明とあまりにも

違い、すべてを信じることはできない。再審のための証言ではないかと受け止めた」と

語っているとおり、中川が井上と無関係に被害者を殺害したのであれば被害者に対する

井上の責任は軽くなるため、再審請求が目的だったのではないかと指摘する報道も存在

する[27][28]。 

なお、井上は、中川が事務長を殺害した可能性があるとの話は、自身の一審の段階から

弁護人に話しているが弁護人から他に話すことを止められた、とも証言している[29]。

 

菊地直子との対立[編集]

東京都庁小包爆弾事件への関与が問われた菊地直子の一審裁判員裁判で、井上は、小池

泰男から手伝いの信者について逮捕される覚悟があるかどうか了解を取るよう求められ

、井上が女性信者2人の了解を、中川が菊地の了解をそれぞれ得ることとなった旨や、井

上が菊地に爆薬を見せねぎらいの言葉をかけた際に彼女が驚かなかった旨を証言した。

一方で中川は、自分が菊地に逮捕される覚悟の有無を確認するという話は記憶がなく、

自分は井上らに対し、菊地は「何も分かってないからよろしく」と言ったと証言した。2

014年6月30日、東京地裁は井上の証言を信用できるとし、それを菊地が事件を起こすこ

とを認識していた根拠の一つとして、菊地に懲役5年を宣告した。 

その後、二審東京高裁は2015年11月27日に判決の中で、井上の証言について、「多くの

人が当時の記憶があいまいになっているなか、証言は不自然に詳細かつ具体的」でその

信用性は慎重に判断されるべきであると述べ、二審で事実調べした結果によれば井上ら

は他に重要な役割を担って本件居室(八王子市のアジト)に出入りしていた女性信者2名

に対しても活動の目的を秘匿していたと認められる、菊地はクシティガルバ棟での土谷

正実の助手であって井上の部下ではなく教団内におけるステージとしても一般信者の2つ

上である師補というステージ立場にあったに過ぎず、この菊地に対し井上が殊更に爆薬

を見せてねぎらったというのは不自然と言わざるを得ない、などとして、井上の証言よ

りも中川の証言を信用できるとし、菊地に対する一審懲役5年を破棄して改めて無罪判決

を言い渡し[30][31]、2017年12月に最高裁もこれを支持、無罪が確定した。 

その他[編集]

この他、井上と中川の主張は地下鉄サリン事件に使われたサリンの原料を誰が持ってい

たのかについても対立している(ジフロ問題)。中川は、井上の一審判決間際に、サリ

ン原料が井上の使っていた東京・杉並のアジトで保管されていたことを暴露し、高橋克

也の一審公判の中でも井上による保管の様相を詳細に語っている。井上はこれを否定し

、中川が持っていたと主張している[32][33]。この食い違いについて、中川は2014年5月

14日の菊地直子一審公判において、「(井上死刑囚は)過去の裁判で対立した私に対し

て意地になって、反対のことを言おうとしている」とした上で「井上君の言っているこ

とは事実ではない」と証言した[34][35]。 

このような井上と他の幹部の主張の食い違いは、中川との間のみにあるのではない。重

要事件における自らの立場は補佐役にすぎなかったと主張する井上は、新実智光とはVX

事件でどちらが主導的だったのかについて[32]、また、小池泰男とは地下鉄サリン事件

の運転手役をどちらが指名したのかについて、真っ向から対立している[36]。 

人物像[編集]

麻原と話し方や動きがそっくり[2]。

高校時代、学校でもヘッドホンでオウム真理教の音楽をで聞いていた[2]。

勧誘が得意で「導きの天才」と呼ばれた[37]。井上が入信させた信者は1000人以上とい

う説もある[38]。在家信徒に入会金や会費を負担させ、その家族や友人などを同意を得

ずに名義だけの会員にさせる「黒信徒」を作り、獲得信者数を増やしていた[39]。ある

女性信者は法廷で「麻原はくそじじいだが、井上は好きで好きでたまらない」と語って

いる[40]。また、教団内では中村昇と並ぶプレイボーイと言われた[41]。教団東京青山

道場は「アーナンダワールド」で、女性の大半は井上の手下でだったという[42]。

麻原からぞんざいな扱いを受けることが多々あったと語る。 

非常に信心深く、修行に際しては同じ行を繰り返し行うことで知られていたことがワイ

ドショーに出演した元信者の告白などで語られている。ワイドショーでは水中クンバカ

の行を行い、5分30秒も水中で結跏趺坐を組み続ける姿も放映された。しかし麻原から返

ってきた言葉は「何を怖がってんだよ」とだった。

手記によると[1]、19歳のとき教団で禁じられている恋愛を行ってしまい、8月の炎天下

にコンテナ内で4日間の断水断食を命じられ死にかける。なお、井上は性欲の破戒をした

ことは認めつつも童貞であると主張[43]。

20歳のときには突然ステージを下げられたうえに修行を命じられた。瞑想修行中に麻原

の妻である松本知子から眠っているとしつこく注意されたが、「私は起きている」と反

論すると、麻原から「どこまで歪んだ根性をしてやがるんだ。このバカたれが!」と言

われカーボン製の竹刀で50回ほど打擲され、2週間ほど記憶が無くなった。

21歳のときには「お前が救済の邪魔なんだ。お前は単なる駒なんだ。何で言われた通り

のことができないんだ、バカ者めが。もう一度言う、邪魔なんだ。お前は駒通りやれば

いいんだ」と言われたという。

地下鉄サリン事件の際にもサリン到着が遅かったため東京から上九一色村に独断で移動

し叱責されている[44]。

うまかろう安かろう亭にあったカラオケで麻原が女性信者とキャッキャしながらカラオ

ケをしているのを見てのちに「VXをかけてやりたかった」と述べている。

逮捕後、飯田エリ子にラブレターまがいの替え歌などを送った。公証人役場事務長逮捕

監禁致死事件で井上の立場を支持するよう揺さぶりをかけるためともいわれる[45]。

拘置所内で自殺を図ったことがある[46]。

尾崎豊のファンだった。オウムに入った若者たちの心境は尾崎豊の歌の心境に近いと語

っている[47]。

俺たちは本当に幸せなのかな?

この世界、金さえあれば何もかも手に入ると考えている大人たち

朝夕のラッシュアワー

時につながれた中年達

夢を失い

ちっぽけな金にしがみつき

ぶらさがっているだけの大人達

工場の排水が

川を流れていくように

金が人の心を汚し

大衆を飢え死にさす

時間に

おいかけられて

歩き回る一日がおわると

すぐつぎの朝

日の出とともに

逃げ出せない

人の渦がやってくる

救われないぜ

これがおれたちの明日ならば

逃げ出したいぜ

金と欲だけがある

このきたない

人波の群れから

夜行列車にのって

??井上が中学三年生の時の宿題で描いた絵「願望」より[48]

関連事件[編集]

薬剤師リンチ殺人事件(殺人罪

駐車場経営者VX襲撃事件(殺人未遂罪)

会社員VX殺害事件(殺人罪

被害者の会会長VX襲撃事件(殺人未遂罪)

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件(逮捕監禁致死罪、死体損壊罪)

島田裕巳宅爆弾事件(爆発物取締罰則違反)

オウム真理教東京総本部火炎瓶投擲事件(火炎瓶の使用等の処罰に関する法律違反)

地下鉄サリン事件殺人罪、殺人未遂罪)

新宿駅青酸ガス事件(殺人未遂罪)

東京都庁小包爆弾事件(爆発物取締罰則違反、殺人未遂罪)

     アサヒコムより。

執行前、面会せかした井上死刑囚「もう少し話したい」 (7/8)

 「早めに一度、お会いできればと願っています」

受刑者が目撃した松本死刑囚 二度と明かされないその心

オウム暴走、三つの転機 風呂場の「事故」から始まった

オウム化している日本、自覚ないままの死刑 宮台真司

 石川県かほく市の住職、平野喜之氏(54)の元に5月下旬、手紙が届いた。差出人は地下鉄サリン事件などで死刑が確定した、オウム真理教元幹部の井上嘉浩死刑囚(48)だった。

 同じ高校を卒業した縁から支援を始めて11年で、面会をせかされたのは初めて。6月25日、大阪拘置所で会った井上死刑囚は「1人のカリスマを絶対的に正しいと信じることは間違いだった。自分も、絶対的に正しい人になりたいと思ってしまった」と事件を振り返った。制限時間の20分を迎えても「もう少し話したい」「大事なことだから」と刑務官を制止し、5分ほど話し続けたという。

 井上死刑囚ら7人の元教団幹部の死刑が執行されたのは、その11日後だった。

 カルト対策の専門家、立正大の西田公昭教授(58)は20年前、一審公判中だった井上死刑囚と面会を重ねた。弁護側が依頼した心理鑑定のため、18時間にわたって生い立ちから聞いた。

 中学の時から宗教に興味を持ち、ためた小遣い1万5千円を仏教の経典につぎ込んだ。バブルの時代に疑問を持ち、「俺たちは本当に幸せなのか」と詩を書いた。そんな根源的な問いに答えてくれると思い、高2の時、教団に入信した。

 教団では松本智津夫麻原彰晃