プロのボクサーが教壇に立ちたいと大学生となる。
ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。
なんとプロのボクサーが引退後は教壇に立つ夢に挑戦しようとしている。
ボクサー付の人生に挑んだことで、中学卒業後は
アルバイトと、練習の日々に明け暮れた。
プロ時代もいろんな厚い壁に挑戦し「為せば成る為さねばならぬ何事も」
これを持論にやり切ったプロ時代。
此のプロ人生をリセットし第二の人生は教壇に立ち
やりぬくことの先に見えてくるものを厚く語りたいとまさに
そのための学生生活に挑んでおられる。
現代っ子が学んでほしい忍耐、努力、あきらめない姿勢
これはまさに教育現場におけるランドマークそのものです。
どうか、強い精神力を、子供とともに大きく育てていただきたいと切望します。
読売記事より
元ボクシング世界王者、教師へ転向…大学で学ぶ
〈「不可能を可能にしてきたボクサー人生が子どもたちの参考になれば」と語る高山さん(大阪
市北区で)〉
「不可能を可能にしてきたボクサー人生が子どもたちの参考になれば」と語る高山さん(大阪市
北区で)
プロボクシングのミニマム級元世界王者で、今年4月に引退した大阪市出身の高山勝成さん(3
4)が教師を目指して、大学で学んでいる。
中学卒業と同時にアルバイトをしながら選手生活を始め、海外の試合で受けた不利な扱いをはね
のけて、日本人初の世界主要4タイトルを達成した猛者だ。新たな夢である2020年東京五
輪出場を花道に、教壇に立ちたいと意気込む。
中学2年の7月、友人の誘いでジムを訪れ、ボクシングに出会った。「最低でも日本王者。世界
王者にもなる」と目標を立てて失笑された。だが、「初志を貫いて、プロボクサーとして勝負
する」と高校には進学せず、2000年に17歳でプロデビューした。
焼き肉店やガソリンスタンドなどで働く時間以外は、ボクシング漬けの毎日を、自らに課した。
中学のラグビー部で鍛えた動きで、相手のパンチに即応し、用心深く攻撃するスタイルで頭角
を現し、21歳と23歳で世界の2タイトルを制覇した。それだけで満足せず、さらに残る世
界2タイトルへの挑戦を決意したが、当時、国内のプロライセンスでは挑めなかったため、海
外に拠点を移した。
それから何度も、不利な戦いに悩まされた。試合会場や日程が直前に変更され、調整が万全でな
いままリングに上がることもあった。試合中にセコンドが会場の外に連れ出されたり、正確な
数値を示さない体重計に乗せられたりした。対戦相手がプラスチックを仕込んだグラブを使い
、苦しめられたこともあった。
「どんな状況でも対応しなければ、世界では勝負できないという覚悟が身についた。何より自分
が強ければ、必ず勝てるという信念があった」と振り返る。そして、13、14年と立て続け
に、目標の残る世界2タイトルを獲得した。
日本に戻り「夢を持ち、固い意志で自分の道を切り開くことが大切だ。ボクサーとしての経験を
子どもたちに伝えたい」と、教壇を第二の人生の場に決めた。30歳を過ぎて高校に入り、今
春、名古屋産業大(愛知県尾張旭市)で学び始めた。
プロ引退にあたり、「ボクサー人生の集大成」と東京五輪出場を目指すと宣言したが、また目の
前に高い壁が現れた。日本ボクシング連盟は規則で、引退から3年以上経過するなどの条件を
満たさない限り、プロのアマ転向を認めない。東京五輪までの規則改正を求め、関係者が署名
活動を行っている最中だ。
それでも、高山さんは誓う。「プロになると公言した時も、世界に挑戦する時も、みんなには無
謀だと思われた。けれど、すべてかなえてきた。東京五輪でメダルを獲得し、『無理だ』とあ
きらめる必要がないことを、教壇から身をもって訴えたい」(浦西啓介)
2017年11月11日 17時31分
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