拉致被害者、いまだ帰れず。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 北朝鮮による拉致被害者の横田恵さんのお母さんが、恵ちゃんにお手紙を書かれて

おられ、その記事に一通り触れ涙がほろほろととどまるところを知りませんでした。

 その書き出しは

今年も秋が来ました。

恵ちゃんの大好きなコスモスが咲いてますと始まっています。

彼女が中学の時に来たにつれていかれもう長すぎるほどの歳月の折々

灼熱の真夏も、凍てつく冬の寒さも、雨の中風邪の中

ただただ我が子を取り戻すためにご両親がすべての人生をかけ

探し続けられた時の流れはあまりにも無念で徒労にも似た歳月、わが身にムチ打つ思いでどれほど

頑張ってこられたかしれません。

それは想像を超えたいばらの道でしかなかったことでしょう。

日本政府にすがるような思いで、嘆願しては打ち破られる

期待の無なしさをどれほど味わってこられたことであろうか。ょう。

 安部総理はかつて北朝鮮に出向かれた小泉元総理に唯一随行された

お方でもあり、家族の期待値はどれほどであったろうとご推察します。

それなのになぜ?

 安部総理の総理就任の記者会見、あまりにも鮮明です。

拉致被害者は僕の目標でもありぜひ取り戻したいといった内容でした。

今ではその言葉も聞かれることはなくなっています。

このおんどさはなんでしょう?

 北朝鮮における交渉は本木戸がなければ胎児などできはしません。

 拉致被害者もお年を取りすぎておられます。

北朝鮮には飴と鞭などつうようしないということでしょう?

それを累々と繰り返すことしかできないのが安部政権です。

海外支援ばかりに頼ることなく自力策など実行願いたいものです。

結果は拉致事件対策そのままをくりかえしているにすぎないのではないのですか?

恵さんのお母さんは、いつも私の命に代えても恵ちゃんを日本に連れて帰りたいと結んでおられ

ます。

お父さんは83歳とあまりにも高齢です。

消え入るような命の炎で今名を恵ちゃんを探しておられます。

拉致事件などなければ、恵ちゃんの落としを超えるようなお孫さんに囲まれ、何らご不自由のな

一家団欒がそこに溢れかえるほどの笑顔があったことでしょう。

それなのに命を引き延ばすかのような気持ちでひたすら孤独と闘いながら

どれほど頑張っておられるかしれません。

歴史からの学びもあるのではないのでしょうか。

今では拉致当初は1歳であった弟さんがご両親とともに探されておられます。

ご両親の背中を、幼いころから見て育った弟さんです。

本当に最敬礼です。