元自民党総裁 谷垣貞一

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今は、雨も一服しているようです。

100年近くのぼろ家が、雨がしのげただけでも

ありがたく思っています。

11時ごろの豪雨にはびっくり仰天!!

お腹の虫が騒ぎまくっています。

 里の山々はざわめいています。

 防風林に守られている自然の恵みに

感謝して過ごさなければと最敬礼。

 みこちゃんはどうゆうわけか前の自民党総裁の「谷垣さんの一ファンでもあります。

 祖のお方が、食事も一人でできないくらいの重症の中で苦しまれていること初めて知

りました。

重症化にある不条理に立ち向かう勇気なんて

起きようはずがないではないかとも思うが

 それはそれ、谷垣さんだからこそできる 若くして奥様との見取り それにご自分の

事故による脊損で

苦しみの中らこそ得られるわずかな日差しも堂かどうか

喜びに変えていただきたく応援しております。

【話の肖像画】元自民党総裁谷垣禎一(77)25 社会復帰へリハビリ開始

《平成28年秋、1カ月半におよぶ集中治療室での生活を終え、東京都渋谷区の「初台

リハビリテーション病院」に転院した》

集中治療室では、ほとんどベッドに寝たままの状態でした。一日中パジャマを着て、栄

養は点滴で補給していました。手をうまく動かせなかったので、病院食に移行後も自分

で食べることはできませんでしたし、歯磨きなども自分ではできませんでした。ところ

が、リハビリ病院に入ったら、治療方針ががらっと変わったんですね。転院してきたと

き、看護師さんにこんなことを言われました。

「自分でできることは自分でしてください。一日中パジャマで過ごすのはやめて、朝起

きたらまず着替えましょう。顔はできるだけ自分で洗い、歯磨きやひげそりも自分でし

てください。食事はベッドの上ではなく、自分で車いすを動かして食堂へ行って食べて

ください」

自分でできることは自分でする―。それは要するに、病院以外の場所でも暮らしていけ

るようになることです。つまり看護師さんは、私が自宅に帰ってからも暮らしていける

ようになるためのステップを説明してくれたわけですね。さらに別の言い方をすれば「

社会復帰」への過程を示されたということです。

《自らの社会復帰を考える中で、ふと法相のころの仕事を思い出した。法務省は罪を犯

した人の立ち直りを手助けし、職業訓練などを行って、健全な社会人として生きていく

ための支援をしている》

看護師さんの話を聞いて「どこかで聞いたことがあるな」と思いました。刑務所や少年

院に収容された者がやっていることとよく似ていたのです。

受刑者らも社会復帰をしようと思ったら、自分のことは自分でやる必要があります。つ

まり、自発性を持って取り組まないとなかなか難しいんですね。そして、自分一人でで

きるなら簡単だけど、そうではないから、いろんな人の助けを借りるわけです。私も理

学療法士や作業療法士らの助けを借りています。

障害者と犯罪者の社会復帰に向けた取り組みは、言ってみれば精神は同じで、極めて共

通の面があると思いました。こういう言い方をすると嫌がる人もいるんですけどね。

それを理学療法士の団体の方に話したら、こんなことを教えてくれました。「『リハビ

リ』には2つの意味があります。一つは、傷痍(しょうい)軍人らが身体機能を回復さ

せて社会生活に復帰するための訓練。もう一つは、罪を犯して刑務所に入った人が社会

に復帰するための訓練。どちらも『リハビリ』です。だから、谷垣さんがお感じになっ

たことは正しいんですよ」

「ああ、そうか」と思いました。社会復帰をしようと思ったら、自分でできることは段

階的にやれるようにしていかなきゃいけない。しかし「俺はもうどうでもいいんだ」と

捨て鉢になってしまったら、なかなか難しい。「頑張らなきゃ」という気持ちを持たな

きゃだめです。

その上で、助けてくれる人がいなきゃいけないし、社会復帰を目指す人たちを支援する

公的制度もなきゃいけない。それなしに「はい、これで終わりですから、後は全部一人

でおやりなさい」では、それから先、なかなかやっていけませんよね。「自助・共助・

公助」のバランスが大事。そういうこともあって、政界引退後、全国保護司連盟の理事

長を引き受けました。

《入院中は1日3時間、リハビリに取り組んだ》

初めは「ちょっときついかな」と感じました。作業療法士が手を動かしてくれていると

きに、いつの間にか寝てしまうことも多かったです。週刊誌が嗅ぎまわっていたような

ので、病院内では偽名を使っていました。今でもリハビリ病院の看護師さんに突然偽名

で呼びかけられてびっくりすることがあります。(聞き手 豊田真由美)

命のバトン。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今日は強風の中のスタートです。

午後には雨予報も出されています。

煮込みうどんを おいしく完食

とても幸せの中のひと時でした。

夏を 早撮りしたかのような暑さには惨敗です。

 おばあちゃんの後に良く孫が生まれることはよく聞かされます。

 家族が仲良く 素敵な人格形成が出来たならと思えます。

良い家族からは良い子が育つような気もしています。

 みこちゃんも応援しているブログの中に、生後

4年を過ぎていますが多くの病気を抱え なおも懸命に生きようとする命のエネルギーも

あることを

心の隅に留め置いていただきたいとも思っています。

【朝晴れエッセー】命のバトン・4月25日

桜の花びらが舞う頃、母は91歳の生涯を閉じ静かに息を引き取った。そして同じ日に

娘の妊娠が分かった。

「きっと、ばぁーちゃんは命のバトンタッチができたから天国へ行ったんだね」。家族

でそう話しながら母を見送った。

昨年12月のコロナ禍の中、娘は元気な女の子を出産した。娘にとっては初めての赤ち

ゃん、私にとっては初孫。楽しくも悪戦苦闘の毎日がはじまった。

「抱っこしてるから早くご飯食べて」

「お風呂は何時がいい」

娘にかける何気ない会話の私の声が母の声と時折重なる。私の子育てのとき、母も同じ

ように言っていたからかな。

娘の子育てを手伝いながらふと、母はこんなとき、なんと声をかけてくれただろうと考

える。改めて母の存在が大きくなっていく。

2月の風の強い日、娘は私の着物を着てお宮参りをした。母が私のためにそろえてくれ

た着物を久しぶりに出した。

着物の着付けなんて全くしたことのない私は着付けの動画を何度も見ながらまたまた悪

戦苦闘! こんなことなら着付けを母にしっかりと教えてもらえばよかった。

どうやら着付けができた娘と孫は、にこやかに笑っている。澄んだ青空の中に、そんな

孫娘を見ながら亡き父と一緒にほほ笑む母の姿が見えたような気がした。

木村千秋(61) 奈良市

知らなかった 勿忘草。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

っバックには「幸せの黄色いリボン」が流れています。

今日を 公開の内容に涼しい気持ちでやり過ごしたいもの。

時間はたっぷりあるのだから…里の山々は思い一つでいかようにも微笑んでくれます。

 「勿忘草」はよく聞きますが

実際に見たことはありません。

 頭で想像するだけの花です。

ワスレナグサ 勿忘草

『私を忘れないで』『真実の友情』『誠の愛』

「私を忘れないで」と「誠(真実)の愛」は、中世ドイツの悲しい恋の伝説が由来となっ

ています。若い騎士ドルフは、恋人ベルタのためにドナウ川の岸辺に咲く美しい花を取

りにいき、川に流されてしまいます。最後の力を振り絞って摘みとった花を岸に投げ、

恋人ベ

いわれはとても物悲しいお花です。

鼻の中心は黄色の花です。ルタに「私を忘れないで」という言葉を残して亡くなってし

まいました。

この伝説が元となり勿忘草(ワスレナグサ)と呼ばれるようになりました。「真実の友

情」は、真実さをイメージさせる色が由来とされています。

水辺に咲く花ともいわれています。勿忘草(ワスレナグサ)ってどんな花?

草丈は15?50cm、花径が8mm程度くらいで青や白、ピンク、黄、紫など多彩な花色をもち

、葉は円形をしているのが特徴です。

暑さに弱く、花を咲かせた後に枯れてしまうことが多い植物です。本来は多年草ですが

、夏の暑さで花後に枯れるため、日本では一年草として扱われています。

巡り巡って…

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「コーラスガール」が流れています。

今日は快適なスタートです。

深い深呼吸が気持ちよい…

これから卵ご飯で貧しい食卓を楽しみたいものです。

暑さに加えて湿度が体力を失います。

食事と睡眠がけんこうのはしらです。

 一汁一菜にして、お仲はペコペコ悲鳴を上げています。

わが両親は弁が立つ母に圏かにもならずちゃぶ台が投げたりする経験などはしていませ

んけど

価値観が一番とは心にとめて過ごしてきたように思います。いまがたえしのぶ時期なの

だと自覚してっもいます。 …

文章に触れ、同じごろのお年かしらと

思い知らされてもいます。

【朝晴れエッセー】巡り巡って・4月23日

夕食時、些細(ささい)なことで夫とけんかになり、腹が立ったので、無言でいつもよ

り少し乱暴に食卓に食事を並べた。

それに怒った夫は「要らん」と言って、奥の部屋に引っ込んでしまった。

「しめた。敵は籠城だ。私の天下だ」と一人で音楽を聴きながら、ゆっくり食事を楽し

み、いつもよりたっぷりのデザートとコーヒーもお代わりし、満ち足りた気分になった

。新聞も隅から隅まで時間をかけて読み終えてひと休み。

さて洗い物でもと台所で片付けをしていると、ガタンと音がして、おなかを空かせた敵

が籠城から出てきたようだ。

「三日天下」ならぬ、「三時間天下」だったなあと思いながら片付けを続けていた。そ

のときふと、そういえば、昔けんかをしている父と母に「もう年なんだから仲良く暮ら

したら」などと偉そうに意見していたことを思い出した。

長期戦になると疲れるし、けんかの原因も何だか忘れ、そろそろ停戦に持っていこうか

と果物を用意し、そっと居間に行ってみた。

食卓に置いてあった食事は全部無くなり、満腹になった夫はこたつで平和な寝息を立て

ていた。寝首を?(か)こうかと思ったが、武士の情けで止めにしてそっと毛布を掛けて

おいた。

ふと目を上げてみると、仏壇の父母の写真がニッと笑っているような気がした。

私もそのうち、娘に同じことを言われるのだろうと思い、写真の父母に笑い返した。

渡辺陽子(71) 横浜市都筑区

お安い 漬物にご用心。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「安らぎ」が流れています。

日々安らぎが求められます。

お腹がすいて お腹の虫に起こされました。

70台の人は元気か、それなり化に二分

されるように思います。

70代の生き方がそのまま80台を 移すように思えています。

 ジム通いで元気はつらつ

声にも針を感じています。

元気はまだ出せる範囲なのではとも思えています。

もやもやの第一原因は断捨離できないことでしょうか。

80台になると 衰えは近時得られないような気もしています。

 極上の漬物は節約家計簿の中でも大切に思えています。

黄色い 沢庵 真っ赤の大根にはうんざりもさせられています。

やはり 素材のうまみ発行のうまみが一番と思えています。

白菜は 一枚くらいなら、一日日光浴させて

わずかな塩でおいしくいただけたならと思っています。

我々が 安価で見た目を重視してきたことが

添加物がおいしく感じられているのではと思います。

 コープは高いけれどある程度の信頼性も感じています。 お安い漬物は添加物の味と

言っても過言ではありません。

平気で「漬物」を食べる人が知らない超残念な真実 安部 司

http://toyokeizai.net/articles/-/582721

植木の始末。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

気温の上昇が予報されてもいます。

今の花暦も読めない状況です。

 バラのメモや和新芽紅色で微笑んでもいます。

小米桜も満開を迎えようとしています。

これからサツキにと山々の賑わいは最高潮です。

 人の生涯のスパーんはそれぞれ

人のお世話をしながら植木のお世話は大変です。

まして老々介護であれば植木のお世話どころではありません。

 みこちゃんも植木を少なくしています。  枯れ葉の処分がやり切れません。

【朝晴れエッセー】花咲かばあさん・4月14日

65年前、父は100坪程度の土地を購入し家を建て母を迎えました。母は、4人の子

の誕生や入学の度に桜やモクレンの木を植えました。縁側から花見ができる庭に両親は

満足していました。

ところが2年前、母は突然全ての木を切ってしまいます。子供が全員独立し老老介護

生活で落ち葉や花びらの始末が大変になったというのが理由です。母の終活の始まりで

す。

そして次の春、殺風景な庭に私たちは「少し早まったよね」と後悔を口にしましたが、

母はさっぱりした顔で何も言いません。父は90を超え寝ている時間が長くなりました

認知症パーキンソン病で要介護4になっていました。

1年前の春の朝、私が公園を散歩していると、花を付けた桜を剪定(せんてい)して片付

けているところに出くわしました。

「その桜…」と言い終わらないうちに作業員の方の「持っていっていいですよ。ちゃん

と許可を得て切った物ですから」の声。うれしくて私は大きな太い枝を3本も車に積ん

で実家に急ぎました。

早速一番大きなバケツに枝をたたせ、ベッドの父から見える位置に置き、チューリップ

プランターで足元を隠して飾りました。「花見だね」というと父は黙ってうなずきま

した。

笑顔の母と父の写真を撮って弟たちに送りました。「どうしたの? その桜」の返信に

「花咲かばあさんよ」と答えました。

相変わらず母の終活は続いていますが、父にはそれが最期の花見になりました。

岡田寛子(63) 千葉県八千代市

懐かしの通勤風景。

  ご機嫌委がでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今日は雨予報となっています。

バックには島のブルース」が流れています。

寒い朝のスタートです。

 みこちゃんもよく電車で眠りこけ3駅くらいの紀子氏は常習犯でした。

「男性の膝枕はしょっちゅうでした。

お尻がポカポカする冬は17日くらいは根少しでした。

それほど忙しい時間を過ごしていたことも今では懐かしいくらいです。

【朝晴れエッセー】どっちが赤い?・4月15日

通勤には地下鉄の東西線を利用していた。三十数年前のことである。その日は朝の出勤

時に小雨が降っていた。最寄駅の西葛西まで10分程度の道のりを小さな折りたたみ傘

を差して歩いた。

日中、一時雨脚が強くなったものの夕方にはすっかり上がっていた。傘は折りたたみ、

手に持ったまま駅に向かった。

木場駅から西葛西まで乗車時間はそれほど長い方ではなかったけれど、その日は乗車し

てすぐに空席に恵まれ座ることができた。

いつ眠りに落ちたのか、隣駅の東陽町までもいってなかったのでは? 突然、バタンと

大きな物音がしてハッと目を覚ますと、足下の床に1本の長傘が倒れていた。

あわてて拾い起こし柄の部分をしっかり握りしめて寝たふりを続けた。

ほどなく隣に座っていらした年配の男性が立ち上がる気配がした。

「あの、私は次の駅で降ります。傘をありがとうございました」。びっくりして見上げ

ると、にこやかに私の握りしめている黒い長傘を指差している。

「あっ…あぁ…そうでしたか、どうぞ」と手渡しながら、ひざの上にちょこんと置いて

おいた自分の折りたたみ傘を見つけた。恥ずかしさが一気に込み上げ、その後も西葛西

まで寝たふりを続けた。

降りようと立ち上がったとき、車窓に真っ赤な夕焼けが広がっていた。

私の顔とどっちが赤い? こらえきれない笑いを駅の階段で一歩、一歩抑えながら歩い

た。

河野やす子(71) 東京都大島町昼間に買い物をして それを電車において来ること

はしょっちゅうでした。