アトピーとの戦い。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 。視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「青春の輝き」が流れています。

蒸し暑い寝苦しい新たなスタートとなっています。朝ののスタートにもきあいっがいります。

アトピー絵の挑戦は限りなく果てしない。

夫々に背負わされている宿命は多岐にわたります。

悲しみの分だけ人にも思いやりも…

アトピーと闘う娘、食べたいと涙 弁当持参の日々 「ひととき」から (7/25)

 仕事や授業の合間に食べる昼食。みなさん、どうしていますか? 朝日新聞の投稿欄「ひととき」から、今回は「弁当」にまつわる5作品を集めました。

(ひととき)アトピーと闘った娘

 1995年3月6日

 小学五年生の長女は一年半前、アトピー性皮膚炎の地獄のまっただ中にいた。かゆくてたまらず、血だらけになるまでかきむしると、今度は「痛い」と言って泣き叫んだ。ひじもひざも、指も背中もやられていた。

 私は本という本を読みあさり、良いといわれることはすべて試した。だが治らなかった。

 東京の開業医を訪ねると、先生は娘の頭に手をのせて「根気よく治そうね」とおっしゃった。それから一年半、「食物除去」という方法で、娘はゆっくりと回復していった。農薬を使わない野菜を選び、パンもうどんもお菓子も、すべて手作りにする日々が続いた。学校にはただ一人、家からお弁当を持って通った。

 初めのころ彼女は遠足で行ったパン工場で、おみやげにもらったパンを「食べたい」と言って泣いた。でも一年後、ピアノ発表会の昼食会のレストランでは、テーブルに並んだごちそうを横目に一人、持参のお弁当を堂々と食べていた。我慢する姿に、見ていた私の方が涙がこぼれそうになった。

 今、彼女は百メートルを楽々と泳ぎ、マラソンでは十キロを走れるほど体力をつけた。この一年で、身長も十センチ近く伸びた。米や小麦など、食べられないものもまだ少し残ってはいるけれど、皮膚は見違えるほどきれいになった。

 娘はこの病気のおかげで、大切な人間の基礎を築くことができたのかもしれない。少しばかりの困難にはたじろがない、どっしりとした力強さだ。