故郷は「遠くにありて思うもの」。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロみこばあちゃんです。
おはようございます。
バックには「東京ララバイ」が流れ昭和の終わりを告げてもいます。
天気予報は雨の予報です。
あついくもまの当地は暑い曇り布団であったかい朝でストーブいらずでした。
この雨を境に寒くなるともいわれています。
長い時間お布団のお世話になっています。
吹っ飛んでいくほどの気温が望まれます。
故郷は遠くにありて思うもの。
若いころは仕事を求め
変化を求めて郷里を後にしたのであろう…
そんな故郷のわがままを静かに受け入れてきたのも両親であり故郷
の自然のスクリーンショットではなかろうか。
西日に生えて深くて高い青空の公司トラスは
両親も自然「わがままをやり過ごしてきたのではなかろうか。
わがご近所の人が一人になったことで娘さんが、東京に呼び寄せ
アパートを借りて近所に住む生活は,生活が一変することで認知症になり
その生活ぶりも思案橋ではないのだろうか。 60定年まで教員として過ごされ
定年後はお琴の先生として
また愛犬の散歩もよくしておられた風景がまぶたにも浮かびます。
【朝晴れエッセー】ふるさと・11月21日 (2021年11月21日)
真っ青な空にちぎれた雲が遊ぶ、昼下がりの散歩道で、ふるさとの遠い空を思い出して
いた。
行く道の右側にはさつまいも畑、左側にはさといも畑が広がる。その一隅に1本の柿の
木が立っていた。
しばらく上を見あげ、たたずんでいること数分。柿の実が色づいている。甘柿か渋柿か
分からないけど、たわわに実をつけていた。
「今食べたくなる果物は何ですか」と問われたら、最も身近にあった「柿」と答えるだ
ろう。
夢と希望を追い求めて、風土も習慣も違う関東にやってきた。春遠い新潟を後にする3
月、柿の木は裸木、遠くの山々には残雪が輝いていたっけ。
思い返すと、家の周りには数本の種類の違う柿の木があり、唯一のおやつでもあった。
どこの家でも大抵は1本くらいはあって、秋の柿もぎが風物詩となっていた。
手でもぎとるか、長い竹ざおにY字形の枝をくくりつけて、ひっかけてゆさぶって落と
すかという原始的な手段であった。
勢いあまって地面に「ドスン」と音をたてて落下、割れたり土がくっついたりと、最悪
なときもあった。
無傷に取れたら最高のでき、そのときのおいしかったことったらない。
楽しかったなあと思う。
日光をいっぱい浴びて熟した柿、子供のころに覚えた自然のあの味は、いつまでも残っ
ていて、遠い昔の思い出となってしまった。