障碍者兄弟の苦悩。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

予報道理の雨模様です。

草はいくらでも増えるっばかりです。

一万本のコスモスが、寂しく揺れています。

スーパーにより、野菜たちも少し落ち着きを見せているのでしょうか。

じゃがいも1キロ128円とは羨ましい価格です。

秋の信者がシーズンでもあるのでしょうか。

葉物野菜も100円を切るようになりました。

バックには「雨の中に」が流れています。

我々の暮らしも揺らぎの中にあります。

 障碍者を兄弟に持つ人も

それなりの立場の思いと課題は多いいと思います。

 失明したことで、兄嫁は

私っが父の葬儀に出ることを阻みました。

それで迷惑はかけられないと

未遂を体験もしました。

今ここに生かされていますが

兄の関係を断ちたいと思いますが

兄嫁が私のなけなしのお金に注目しています。

これもあまりにもあさましく醜い姿勢です。

兄嫁の心の動きも止めおきたく思います。

決して贅沢などできる環境にはありません。

 でもそれぞれの思いに心を寄せる余力も持ちたいとも思えます。

今年もクーラーなしの暮らししかかないませんでした。

人間はいない方がいい

にぃさん/東京都/30代/もときょうだい児

少し前に茨城の教育委員が「茨城県は出産前診断で障がい児を減らす方向に持っていけ

たら」と発言し、大問題になりましたが、 

私は彼女が間違った発言をしたとは思いません。 

むしろ、騒いでる人たちは障害者を増やそうとでも思ってるのか?!と疑ってしまいま

す。 

残念なのは、出産前では分からない障害も多々あるということ。 

後天的な障害もあること。 

そして、障害を持っているからといって周りの人に迷惑をかけたり、不幸にしたりする

ような人ばかりではないということです。 

妹がダウン症です。母はなんらかの人格障害者、あるいはただの毒親です。 

私は子供の頃は妹が大好きでいつも一緒に面倒を見ていましたが、中学に入った頃から

父親の不在が多くなり、母親は妹の教育に付きっきり。私は自分の部屋に追いやられま

した。 

いつしか家族は分裂状態。たまたま4人の人間が同じ家に住んでいるような感じで、絆

のきの字もありませんでした。 

母は妹の障害のことで深く自責し、「100歳まで生きてこの子の面倒を見る」と言い張

っています。夜中までかけ算や時計の読み方を教え込んではヒステリーを起こし、妹を

泣かせていました。こういう話の場合、父親はいつも不在とされていますが、うちも例

外ではありませんでした。 

障害者は少ないほうがいいけど、人間そのものの数が少なくなればいいのに。 

家族との縁を薄く感じながら30になった今、切実にそう考えています。 

投稿日時:2015年12月09日 19時38分

さちさん/

反論?いなくていい人間なんていません。皆何らかの良いところを持っていると思いま

す。長い人生の中バラバラだった4人家族が3人とひとりになったとき、または4人家

族が5人になったとき、そんな風に考えてみては?余計な事ですよね、失礼致します。

 

投稿日時:2015年12月10日 19時34分

障害者だって最低な人間もいる。

りあさん/東京都/10代/子ども

僕は両親が障害者です。 

四肢麻痺?とかあまり詳しくは知りませんが父は普通には歩けないし母は物心ついた時

から電動車椅子です。 

悩み事… 

最近一番感じるのはやっぱり普通の親じゃないことです。 

正直母は常識がわからないことが多いので聞いているとイライラします。なのにトイレ

や食事の準備をしなきゃいけない時があってすごく辛いです。とくに生理の時なんか本

気で死にたくなります。 

子供の頃は父が机をひっくり返して準備してあったサラダが入ったお皿を投げられた記

憶があります。怖かった。もちろん旅行に連れてってくれたり幸せなこともあったけけ

ど思い出すのはそういうことばかりです。忘れるんです辛いことがあると幸せなことも

。今、先生に子供の頃の話を聞いてもらってこれは立派な虐待だと知りました。自分が

小学生の頃学校に行きたくなくなりました。リストカットなどもしてご飯も嫌でお菓子

ばっかり食べて部屋にこもってたら父が激怒して私の部屋をめちゃくちゃにしました。

ガラス出できたオルゴールが目の前で割れて私は泣いて泣いて息ができなくて苦しくな

った覚えがあります。親戚の人にはこんなこと当たり前だとかイライラさせる方が悪い

と言われてきました。 

心の診療所的なところにも行きましたが嫌になって辞めました。 

話が飛び飛びですいません。 

今は両親をとにかく憎んでいます。なぜ自分を産んだのか、ととてもムカつくんです。

 

どこかで話したくてでもこんな事誰もわかってくれない。 

障害者でも自分の子供を傷つけます。自分は傷付けられました。生きているのがとても

辛いです。もう死にたいです。 

投稿日時:2015年10月27日 13時46分

接し方

みんのすけさん/10代/妹

私には7つ上の兄がいます。兄は軽度の発達障害があると母からは聞いています。小、

中、高は普通に学校に通っていました。小学生の頃は特別学級に通っていた時もあった

みたいです。今兄は23歳で高校卒業してから就職しましたが、サボりや計算ができない

、コミュニケーションが苦手などから何回も仕事を辞めては遊びほうけたり、端から見

ればただの仕事のやりたくない人になるのかもしれないけれど、これは障害があって、

自分の思うよにらいかないらしくて、でも兄はその事は自覚してなくて、小さい時から

母は、私と兄、平等に愛情を注いでくれました。でも私が幼い時には母は離婚しており

その時から1人で私たちを育ててくれてます。私は今高校生で、障害のある兄がいると

誰にもいえず、私自身兄との関わり方がわからず、なんでそんなこともできないの!な

どと怒鳴ってしまうこともあります。だけどこの事を誰にも打ち明けることができず毎

日が辛いです。怒鳴っても治る事ではないのはわかっていてもつい言ってしまい、後々

悪かったなって後悔しています。もうどうしたらいいのかわかりません。 

投稿日時:2015年10月04日 23時39分

母にとって兄は生きがい

スキップらんさん/東京都/30代/家族、兄弟

私には7つ上の知的障害者の兄がいます。母は、小さい頃から兄へ愛情をかけていまし

た。父は、母へのDV、外で飲み歩き、女遊びが酷い父だったので、母が1人で頑張るの

無理ないと子供だった私は理解してきました。 

大人になって、私は家族なのに家族でなかった環境に気付いて苦しんでます。食事のと

きはそれぞれの部屋で食事をすること、家族なのにシェアハウスにいるような環境でし

た。私と兄のこと、別居している父のことを母は1人で抱え、1人で頑張ってきました。

そして、母は部屋を片付けられなくなり、荷物で部屋を潰して私の部屋に母と暮らすよ

うになりました。(兄の部屋は、私が片付け兄はそこにいます。)そんなところに、別

居していた父が戻ってきて6畳の私の部屋に両親と暮らす奇妙な生活が始まり、小さい

きに見てきた母に対する父へのDV。その間に立ち、DVを止める生活。自分の気の休まる

生活じゃなくなり、自分自身を見失って私1人で暮らすことになりました。 

高齢者の両親を持ち、80歳になる母は、知的障害を持つ兄が生きがいです。「あんたは

、普通なんだから1人でも生きていける。でも、お兄ちゃんは障害者なんだから1人じゃ

ダメなの」と言われます。普通の私でも、兄弟差別しないでほしい。小さい頃に両親の

愛情を受けられなかったこと、別居していた父とのこと。そして、今、家族とどう向き

合っていけばいいのか悩みながら、私自身も心の病と闘い生きています。 

投稿日時:2015年09月04日 05時13分

弟が自閉症になったとき

たんぽぽさん/30代/姉

3歳下の弟が発達障害です。 

2歳位までほぼ定型発達でしたが、その後、退行し診断されました。 

当時私は5歳になるかならないかでした。 

私は30歳になってから「今、自分が感じている苦しさやつらさ」が、 

自分自身の性格に起因している事に思い至り、 

色々と自分を見つめなおしているうちに 

はじめて、自分の家庭環境(障害時のいる家庭)を意識し、 

「きょうだい児」という言葉を知りました。 

私には弟の発症当時の事が鮮烈な記憶として残っています。 

出来ていた事が出来なくなる。笑顔がなくなる。目線が合わなくなる。 

手を振ってバイバイすることができなくなる… 

「どんどんおかしくなるなあ」という母の言葉が耳に残っています。 

怖くて悲しかった。 

誰も悪くないのに変わっていく弟。 

弟の事が大好きなのは変わりませんでした。 

ただ、私は、自分達姉弟が小さい時のアルバムを今も見ることができません。 

私は自分が 

感情を抑えて「いいお姉ちゃん」を演じてきた典型的な「きょうだい児(姉)」だと思い

ますが、 

それだけではなくて 

「弟の発症」という出来事が 

とても大きな一種の「喪失体験」になっていて、 

自分の物事の捉え方に影響を与えていると感じています。 

調べてみると、 

自閉症の子どもが発症した時や診断を受けた時の 

「母親」のストレス、喪失体験(健常な子供のイメージの喪失)」は 

多くのお母さん達がブログ等で手記を残しているし、 

このプロセスにに着目した論文もあるようですが、 

兄や姉の場合はどうなのでしょうか。 

物心がつくかつかないかの子供時代の「弟妹の発症」という経験。 

私は、この経験をしっかり受容することが出来ないまま、 

無理やり記憶に蓋をして、ごまかして生きてきてしまった気がしています… 

投稿日時:2015年08月27日 01時03分

たんぽぽさん/大阪府/30代/姉

わたさんコメント有難うございます!とてもうれしかったです。 

確認が遅くなり申し訳ありません。 

わたさんが仰るとおり、 

私の体験とわたさんの体験は違うのかもしれませんが、 

昔の家庭内での出来事が、心の中にぬぐいきれないものとして残っていて、 

他の人は考えないであろう事を考えてしまう日々をすごしているという部分は、 

きっと同じなのだろうと思います。 

私の場合、ぬぐいきれずに残っているのは、 

「ひどい経験だ」「つらい」「かわいそう」と心は本当は感じていたのに、 

そう感じた事実が、今の弟を否定することになるのではないかという罪悪感に捕まって

 

自分で、自分の経験をどう処理したらいいのかわからないからなのだと思います。 

この掲示板を読んでいても形は違えど、「罪悪感」という感情に苦しんでいる「きょう

だい児」がとても多いことに気づかされます。 

「憎い!」と言っていても、その下に罪悪感が透けて見えるときもある。 

わたさんの言ってくださった「だからこそわかること」はそういうことかもしれません

。 

そして今回わたさんが私にコメントをしてくださったのも、「わたさんだからわかって

くださって教えてくださった」事なのだと思います。 

この体験を魔法のように昇華することは出来ないと思うけれど、 

もし、それが出来たら、私の全て―自分を肯定できる部分も含めて―が変わってしまう

と思う。そしてそれは私が求めている事ではないと思います。 

振り回されるのでも、見て見ぬふりをするのでもなくて、これまでの経験も含めて私な

んだと自覚し、前向きに進まないといけないなと思わされました。