大阪選手が伝えたかったコと。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

 暑い暑いと言っている間にオボンがやってきます。

 みこちゃんは両親の仏さまを、甥ニア付けご気楽生活となりました。

仏様の重りは大変です。

甥には気持として100万円も渡しました。

これで持ち金はすっからかんです。

 バックには「思い出の九十九里浜」が流れています。

 若くて忙しい時代を懐かしんだりしています。

やはり人は求められているときが一番しあわっせなのかと思っています。

 おりんぴっくのめだるもとれずかくしたにたいはいしたおおさかせんしゅのめんたる

どうであったろうかと思います。

個人個人のアスリートたちは選手である前に一人の人間です。

これが尊重されることが一番と思うみこちゃんでもあります。

だけれどこのようなことの前に アスリートとしての有無が期待されてしまいます。

標準をオリンピックに持っていけなくて

メダルを期待されながらも応えられなかったアスリートたち

もっとムックわれなければと思います。

アスリートとして昇華されるのはあまりにも残念に思う一人です。

会見ラッシュに沸くカメラ目線の前に一人の人間です。

体調の不調に悩むときもあるはずです。

大阪選手の心中に思いをはせるとき

涙が出てしまいます。

メダルなしでも大坂なおみが残した、東京五輪のレガシー (8/1)

メディア空間考 伊藤大地朝日新聞デジタル編集長) 大坂なおみ選手が、五輪の聖

火台に火をともした。政府や組織委をめぐるゴタゴタが、これでチャラになったわけで

はない。しかし、画期的な一瞬であったことは、間違いない。それは、トップ選手だか

らでも、女性だからでも、多様なバックグラウンドを持つからでもない。メンタルの不

調を訴え、一時、競技から離れたアスリートが代表したことに、意義があった、と私は

思う。

 大坂選手は5月、全仏オープンを棄権。自らのツイッターでメンタルの不調と、会見の

対応が心理的負担となっていることを訴え、コートから離れていた。東京五輪はその復

帰戦だった。

 プロスポーツにおいて、メディア対応は選手の仕事のうち。その点は大坂選手を含め

、多くの選手が認めている。しかし大坂選手が提起した問題の論点はそこではない。ト

ップアスリートであっても、アスリートとして以前に、人間として尊重してほしい、と

いうことだった。

 私たちはアスリートを讃(たた)えていたつもりだったが、それが苦しみの原因とな

っていたとしたら。オリンピアンともなれば、生まれつきの才能に恵まれ、壮絶なトレ

ーニングに耐え、強靱(きょうじん)なメンタルを備えた、宇宙人のように扱われるこ

とも多い。観戦する多くの人々も、企業も、すべてを競技のために犠牲にする姿を、前

提のように共有し、「アスリート物語」として消費する。五輪やサッカーW杯のように、

4年に1度、国の代表として戦う国際舞台ならなおのこと。私たちメディアはアスリート

の冠辞に「超人」やら「ストイック」やら、そんな言葉をどれだけ使ってきたことか。

 「大坂選手が上げた声は、世界を変えている」