池田事件から20年。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
今日は時の記念日です。
一日が長く感じられる日になりそうです。1おはようございます。
薄紫のサツキにキレイと一言…
なんともさみしい一言。
池田小事件から早 20年に驚きを禁じ得ない。
犯人は、事績ではなく他責に向かい、エリートに攻撃対象を募らせていった。
なぜか5月6月に残虐な事件が集中していることの不思議に出くわすのはなぜだろう?
?
罪のない子が標的とされ巻き込まれる残虐性に憤りを禁じ得ない。
【池田小事件20年】同級生の松田拓馬さん 事件きっかけに医療の道へ
「安全なはず」だった学校で23人もの児童らが殺傷された大阪教育大付属池田小(大
阪府池田市)の児童殺傷事件。20年前、同小の2年生だった松田拓馬さん(27)=
同市=は今春から、同府茨木市の病院で口腔(こうくう)外科医として働き始めた。「力
尽きていく同級生を前に、何もできなかった悔しさを二度と味わいたくない」。凄惨(せ
いさん)な現場で医療の道を志した幼い日の思いは、今も変わらない。
あの日の教室のにおいまで思い出せる。2年東組に突然入ってきた男は、目の前で女子
児童の腹付近を刃物で突いた。
女児の口からあふれる血。男は、息もできずに立ちすくんでいる松田さんのすぐそばま
で迫ってきた。その距離は、机を挟んでわずか1メートル。一瞬視線が合った男の目に
光はなく、真っ黒な渦のようだった。視線が外れた隙に、助けを求めて上階へ駆け上が
った-。
鮮明な記憶はその後何度もフラッシュバックし、松田さんを苦しめた。急に視界がかす
み始めたかと思うと、まるで古いビデオテープを再生しているかのように、あの数分間
の恐怖がよみがえる。われに返ると、全身にびっしょりと冷や汗をかいていた。
事件後しばらくは、大人の男性が目に入るだけで、反射的に母親や建物の陰に隠れた。
時間の経過とともに当時を思い出す頻度は減ったが、成人するまでフラッシュバックは
続いた。
幾度となく思い出された事件には、もう一つ別の場面があった。避難した運動場で、背
中が血で赤く染まっていた男子児童。初めのころは自力で動けていたが、次第に表情が
険しくなり、ぐったりしていく-。その姿を近くで見ながら、何もできない自分が情け
なく、「いつか命を助けられる人になりたい」と強く思った。
幼い志は、ずっと胸に抱き続けてきた。大学進学では医師を目指したがかなわず、東京
理科大に進んで物理学を学んだ。
一度は諦めた医療の道だったが、大学1年のときに気胸を患って入院した際、隣のベッ
ドにいた高齢の男性患者が食事の飲み込みがうまくできない嚥下(えんげ)障害で弱って
いく姿を目の当たりに。食事の大切さを改めて知り、口腔外科を目指した。平成26年
、鹿児島大歯学部に入り直した。
今年4月から、茨木市の友紘会(ゆうこうかい)総合病院での勤務が始まった。「患者さ
んに教えてもらうことばかり」だが、「20年前にできなかった分、一人でも多くの人
の役に立ちたい」とまっすぐ前を向く。
なぜか「5~6月は残虐事件が目立つ」謎と共通点 青沼 陽一郎