障害と人権。

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

梅雨明けと同時に、真夏のテリテリdayの連日

肉体労働者には頭が下がります。

配達のコープのお兄さん、18時ごろの労働はもう、へとへとと言っておられます。

、それに加えての猛暑はなすすべもないほどの疲労困憊のことでしょう。

 中学生の人権の話を聞き、近頃は、障碍者が自宅に隔離されることは少なく

障碍者も外に出られるようになり、それなりの人を身近に引き寄せることが

できるようになってきてもいるが障害差別はなくなることはないと思う。

 いくら全力で頑張ってみても,障害を乗り越えて一人前に過ごせるとは思わないし

社会福祉の中でしか、生きられないとしたならば

社会の恩恵を享受して過ごせる中の暮らしの官舎でしかない。

だから、差別は当然として受け止めてもいる。

 みこちゃんは大げさなくらい差別を意識したへりくだった感覚で生きているのかも…

そのような方法は生活の知恵として身に着けた極意なのかもしれない。

そのほうが人生の方程式が、苦しまなくて「なんくるナイサー」と過ごせる

最良の極意と自覚してもいます。

 それをひっくり返すほどの人とも出会ってこなかったともいえるのかもしれない

 みこちゃん的には障害と差別は正比例と認知しています。

 東京の通勤ラッシュの出来事を、50代の男性が語っておられた。

「急ぎ電車に乗ろうと歩いているとなんと股間からは苦情がつうかしていて驚いたこと

がある」

複雑な駅構内、ましてラッシュ時は、一人歩行は避けてほしいとの感想。

駅員さんの解除を受けていただきたいともいわれてもいました。

本当にその通りとうなづいたものでもありました。

 中学生の障碍者の人権に関する作文の引用です。

私が、人権と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、    障害についてだ。障害者の方

々にとって、現代の日本は昔に比べれば、いくらか暮らしやすい国になったと思う。そ

れでも、障害者に対しての偏見や憐憫、軽蔑のまなざしがなくなることはない。たとえ

、本人に偏見などをしているつもりがなくても、無意識に障害者を差別してしまってい

る人は少なくないと思う。

実際に私もその一人なんだと実感した事があった。

様々な場面で障害者の方を見るたびに、「かわいそう。」

「自分は健常者で良かった。」と思ってしまう時があった。テレビに出演していた障害

者の方がこう言っていた。「私たち障害者にとって、同情は差別だ。同情による助けな

んて望んでいない。」と。私は、その言葉を聞いて初めて、自分があの時いだいていた

感情が障害者の方にとってどれほど重く、ひどいものだったかということを知った。

「障害」という言葉について忘れられない出来事がある。小学生の頃に行われた視覚障

害体験の授業だ。

正直いって、私の感想は、「楽しかった」「疲れた」など、障害者への思いやりがない

軽率なものばかりだった。真っ暗な視界のせいで、いつもと違うように感じる校内。友

達と笑い合いながら、初めて体験する不思議な感覚にわくわくした。

そんな体験をしてから何年かたった頃。それはある春の暖い日のことだった。一人で道

を歩いていると、杖を持った一人のおばあさんの困っている様子が目に入った。声をか

けて、話を聞くと、おばあさんは視覚障害のため、目が全く見えない方で、今、歩いて

いる道はいつも通る慣れた道のため一人で来ていたが、めずらしく迷ってしまい、今は

階段を捜している。とのことだった。私は話を頼りに、おばあさんを階段へと案内した

。階段の前に着いた時、おばあさんは手探りで私の手を捜し、優しく握り、そっと口を

開いた。

「この階段、今の時期やと桜が満開できれいやろ。私も一度でいいから見てみたいわぁ

。何にも見えん。ていうのは悲しいし、大変やけど、あんたみたいな優し

い人に会う度、生きてて良かったなぁって思うんよ。

あんたの顔が見えんのは残念やけど、きっと、笑顔も素敵なんやろうな。あんたまだ若

いやろ。これから辛いこと、いっぱいある思うけど強く生きるんやよ。」

そう言ったおばあさんの表情は、意外にもカラっとしていて、優しくて、そしてどこか

悲しそうだった。その顔を見た時、ふとあの小学校の頃の記憶が頭をよぎった。「楽し

かった」「疲れた」って。私は何を言っているのだろう。「あんたみたいな優しい人‥

」違う。違うんだ。私は。私は‥‥。あの記憶の中の私と友達の笑い声。おばあさんの

言葉。表情。何度も、何度もぐるぐると頭の中をまわって、私の心を締め付けた。ごめ

んなさい。ごめんなさい。私は、優しくなんかないんだ。あなたをずっと苦しめている

、真っ暗で何も見えないという事実を、「楽しかった」って。そんな軽率な一言にして

しまう。最低な人間なんだ。思えば思うほど、罪悪感はふくらむばかりで、私は泣きそ

うになった。目に浮ぶ涙のせいで、ぼやけて見える階段に、もうおばあさんは見えなく

て、おばあさんが言っていた通り、満開の桜が、暖かな日に照らされて、風に揺れてい

た。この出来事は、今でも鮮明に覚えている。

そしてこれからも、忘れることはないだろう。いや、忘れてはいけないのだ。この文を

書きながら、改めて強くそう思った。

さて、私はここまでの文章の中で「障害者」「健常者」

という二つの言葉を使ってきた。この二つの言葉を使うことはあまり好ましくないこと

だと私は思う。なぜなら、この二つの言葉は、同じ人間を二つに区別させてしまう差別

的な言葉だからだ。しかし、私はこの言葉を使った。これが現実なんだと伝えたかった

。辞書を引けば二つは対象語として書かれている。それではだめなのだ。この言葉が存

在するせいで、自分は、障害者なんだと傷つく人がどれほど多くいるのだろうか。

しかし、私には、この言葉を世の中から消すことはできない。無力だって分かっている

。だから私は、障害を一つの個性して受けとめ、障害者である、ないの前に同じ一人の

人間として接することを大切にしている。

この行動が差別のない世の中を築く第一歩だと信じているから。そう思う人が一人でも

増えてほしいと思う。

あの日以来、おばあさんとは会っていない。いつかまた会えるのなら、その時は、最高

の笑顔で会いたい。

強く、優しい人になって。そんな思いを胸に、私は今を生きている。