障碍者大量殺害から一年。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

障碍者大量刺殺事件から早一念とは…・・・

 社会にあって、犯罪者の気持ちをそのまま

需要出来ているお方も少なくないことであろう。

 これはひとえに社会の視線、受け入れがたい思いに強く起因してもいる

きれいごとであれば何でも言える。

家族がまるで犯罪者のような視線に耐えがたくそれを乗り越えて生きるエネルギーは

同じ体験者により少し筒心がときほぐされていく実態。

神様は耐えられない人の元には試練は与えないなどと言われていたりもするが

それを受容できるだけの器に慣れるには並々ならぬ苦悩の末ともいえよう。

 みこばあちゃんのご近所に37歳で出産した赤ちゃんは統合失調症

お嫁さんは、この現実が受け入れられなくて一年以上苦しまれたとか。

姑さんにも見せる気にもなれなかったという。

 その状況から抜け出せたのは、優しく見守り続け支えてこられた

優しいご主人、それにお嫁さんをそっと見守り続けてこられた姑さんが

「一人頑張らなくてみんなでこの子を育てていけばよいのでは。」と

言葉をかけていただき、また保健婦さんのお仲間とのつながりを進めて頂けたことで

どのような視線にも超えていけるだけの

たくましいせいしんりょくもかんじとてもうれしく拝見できている。

 犯罪者の家族全員氏名を明かさないことを強く願っておられることに

思いに少しだけ心を寄せたい。

障碍者を理解してほしいなどとは決して思えない。

あなたの心のままでよいのです。

あなたもやがておいていろんな機能を失ったとき

初めてわかることになればそれはそれでよいのです

     朝日コムより。

やまゆり1年 内なる差別を問い直す (7月27日)

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の事件から、きのうで1年が経った。

入所者19人が殺害され、職員3人を含む27人が負傷した。その被害の重大さだけで

はない。園の職員だった植松聖(さとし)被告(27)の「障害者は生きていてもしか

たがない」という言葉が、社会に強い衝撃を与えた。

ある遺族は「あの子は家族のアイドルでした」と朝日新聞などの取材に語った。娘に抱

っこをせがまれ、抱きしめてあげるのが喜びだった。被告は「障害者は周りを不幸にす

る」と供述したという。それがいかに間違った見方であるかを物語る。

苦労は絶えなかったかもしれない。それでも、一人ひとりが家族や周囲に幸せをもたら

す、かけがえのない存在だった。

被告は「意思疎通ができない人を刺した」とも述べたとされる。意思疎通ができなかっ

たのは被告の方ではなかったか。

目を向けなくてはならないのは、多くの遺族、被害者、家族が差別と偏見を恐れ、いま

も名前を明らかにするのを拒み、発言を控えていることだ。

被告に共感を示し、障害者をおとしめる言辞をネットなどを使って発信する人々のふる

まいが、大きな影を落としている。しかし、そうした一部の心ない人たちだけの問題だ

ろうか。

先月、空港で車いすの男性が「歩けない人は飛行機に乗せられない」と航空会社から言

われ、自らの腕の力でタラップを上ったことが報じられた。会社は謝罪したが、ネット

上には事前に連絡しなかった男性を非難する声が数多くある。

昨春に障害者差別解消法が施行された。知的障害か身体障害かを問わず、日常生活の中

の差別をなくし、「人格と個性を尊重し合いながら共生する社会」の実現をめざす。法

の精神には大半の人が賛同するはずだ。だが、いざ障害のある人が、自分たちも健常者

と対等な存在であることを主張すると、反発が固まりとなって返ってくる。

そこまでではなくても、混みあう通勤電車やエレベーターに車いすの人が乗ってきたと

き、当たり前のこととしてすんなり受け入れられているだろうか。胸に手を当ててみた

い。

「効率」に重きをおき、「共生」を後回しにする。そんな心理や社会のあり方は、「障

害者は周りを不幸にする」という被告の発想と底流でつながっている。そう言えるので

はないか。

亡くなった方々を弔うために一人ひとりができるのは、わが内なる差別を問い、ゆがみ

を少しでもただしていくことだ。

元気に通学されておられる。被害者の家族が全員氏名を明かしてほしくないと強く願っ

たことに思いをはせたい。