かあさんの思い出。

   ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

雨の中の芽吹きはそのにおいまでも息苦しいほどに若葉燃え立つその香りまで鼻を刺激

自粛ムードも限界なのかストレス発症気味の人たちの抑えは聞かないのか…

外出が許可されていないことの理解はどうなのか?

 あなたの目の前に、コロナ感染した人がいるかもしれないのです。

観戦していたとしても自己症状もなく自由生活を満喫している人は多くおられ

この人から知らず感染者にさせられ、そこにクラスターが発生したなら歯止めなく感染

は広がることを肝に銘じてほしいもの。

昨日母の日の墓参に出かけ

お花が好きで、畑に多くの切り花を植えていた母さん    

あなたの笑顔は、嫁いだその日から娘時代のはじけるような笑顔が消え

写真といえば 結婚式も兄弟仲良く映っていた写真も、どこか憂いを秘めた顔に

幸せ間のない結婚生活をかいま見る思いでした。

 大阪で暮らしていた母に、結婚話が出て戦時中のこともあり農家に嫁に行けば杭外れ

はないとのおじいさんの意見のもと結婚を決めていたその人との別れも体験し

おばあちゃんもそれを見て何かと援助の手を緩めなかったことも懐かしい思い出です。

なれない農作業とお勤めの二馬力でやせ細ったあなたを

見るに忍びなかったおばあちゃんの手伝いも

今では懐かしい思い出です。

私が貧乏を耐え抜けたのは、どんなに忙しくても手抜きのない食生活と

ボヤキ説など母から聞かされることなく

貧乏ながらリュックサックを買い与えてくれたこと

秋祭りの着物までこさえてくれたこと

習字を習いに行かせてくれたことなど

同お金を工面したのかと思うくらいです。

 出かける着物といえば一枚をいつも着まわしていた母

 この上もないほどの貧乏と、この上のないブスの誕生に

恨み倒した時期もありました。

どんなに疲れ切っても小学生になった私に読み聞かせてくれた

多くの著書は現在の私の宝です。

貧乏暮らしの中で、近所の方が給食代を仮にくれば、返さないその人のためにも建て替

えることのできる人でもあり、これは私も同じ精神を受け継いでいます。

 視力が悪くなっても愚痴など言えなかった私を

車の免許を おそく取り送迎してくれたかあさん。

  詩を意識していたのかどうかわからないけれど

兄弟の墓参、兄弟と私たちにも

みんなにセーターの手作りを残してくれた母さん

母の死後、兄嫁あての貯金、これは同居していたころにいただいた食費四万円を全部貯

金してあり、これは兄嫁に渡しましたが、何を取り上げてみても母を超えることは何一

つできません

 ただ一つ母の涙は同居していた孫が急に新築して家を出るその時のみです。

何一つよい人生であったかといえば、ひたすら耐えるだけの人生であったけれどもこれ

も運命といえるのでしょうか。

習字に闘魂の思いがみなぎっているようでもありました。今思い返せば母のストレス解

消法は、ただすきな字を書いている時だったのでしょうか…

母の字はとっても優しくて大好きでした。

母はいつも取り返すことのできない運命といつも戦い早期の死はそれに耐えきれなくな

った時の読みへの旅立ちではなかったろうかと

お墓に母がよく作ってくれた柏餅と白いカーネーションを備え

「「もう少しで行くから待っててね」と言って後ろ髪惹かれる思いでっ母に別れを惜し

む。