老後生活の在り方につき。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
長高齢化時代、生き方のシミレーションだけは想像しておきたいと思っています
。
60代、70代、そして80代からは3年区切りくらいで考えたい。
高齢者には失うものとの戦いも加わるので
相当の覚悟と気合なくしては過ごせないような気がしています。
一日のどこかで小さな目標のもと動くことが大切。
リホームに際し、段差生活をあえて臨みました。
それは外出先での段差はいつでも注意が必要です。
段差に対応できる筋力入ると思っています。
これは健康年齢のキープが条件です。
おひとり暮らしには病気になると生き方の選択はかなり狭まれます。
人生の終焉を堂々と話せるようになったことはとても良いことだと思います。
おばあちゃんは80台になってからの治療はあまり求めようとは思いません。
兄嫁さんの実母は93歳で乳がんの手術を市、100歳近い今でも
とても元気で草取りもしています。
乳がんの手術に当たっては、「高齢なのでどうしましょうか」と
家族に相談が寄せられたほどです。
おひとり暮らしであれば、人生の最終ゴールはやはりベッドの上でしかないのかと
ある程度の覚悟はしています。
健康年齢のキープは努力しかありません。
80代の女優さんがあんなにきれいに舞台に出られることは
それなりの努力と、人生の輝かしい目標があればこそと感心しきりです。
孫の成長にかかわりたいことも、立派な目標です。
東京新聞より。
ニッポンの大問題 高齢期を「どう生きる」
今年は推計で百三十四万人が亡くなりました。超高齢社会の日本は「多死社会」を迎え
ます。人
生の最終段階にどんな医療を受けたいでしょうか。
死を考えるとは、どう生きるかを考えること。そう感じる赤裸々な告白でした。
十一月のある日の日経新聞に「感謝の会開催のご案内」という広告が載りました。その
主は建設
機械メーカー・コマツの元社長、安崎暁さん(80)です。
◆人生最終段階の医療
胆のうがんが見つかり体中に転移していることを告げました。そして、残された時間は
クオリテ
ィー・オブ・ライフ(QOL・生活の質)を優先したいと、つらい副作用がある放射線
や抗が
ん剤治療は控えることを宣言しました。
治療による延命より、自分が望む生活を優先する。そんな「終活宣言」に聞こえます。
十二月の「感謝の会」は友人・知人ら約千人が集まり、病の痛みをこらえながら車いす
で会場を
回り親交を温めました。出身の徳島の阿波おどりも披露されました。参加した男性(6
9)は
「自分で決める本人も、それを許す奥さんもすごい」と語りました。
安崎さんは会の終了後、メディアにも思いを語ってくれました。
「十分、人生を楽しんできました。人間の寿命は有限、だから現役の間は一生懸命働い
て、棺お
けに入るときは自分の人生よかったなあと、そう思って入りたい。若いころからひとつ
の死生
観がありました」
仕事を引退後、「余生三等分主義」を実践してきました。残ったエネルギーを三等分し
て、社会
、家族、自分のために使う。これが安崎流のQOLです。ただ、今回の決断を「一般の
方にお
勧めできるわけではない」とも。周囲の環境や考え方も多様だからです。
かつて、経営トップとして厳しい判断をしてきたことでしょう。この決断も強い意志を
感じます。
それでも唯一、その心が揺らいだ瞬間があります。決断に賛同しているという妻のこと
を聞かれ
た時です。「家内は、まだがんばれば生きられるんじゃないかと…」。食事療法に取り
組んで
いることを説明し「一生懸命やってくれています」と話した後、しばらく言葉になりま
せんで
した。
強い意志を持つ人でも家族を思うと迷いはあったのではないか。どんな医療を選ぶかは
、当事者
には明快な解のない重い問題です。
死をどう迎えるかは聖域にされています。「個人の自由、周囲が口出しすべきではない
」との考
え方は尊重されるべきです。
◆本人の思い共有する
しかし、医療技術の進歩は別の問題を突きつけています。食べられなくなっても、意識
がなくな
っても生きられる時代です。選んだ医療がほんとうによかったのか、直面した人たちは
悩みま
す。
本人はどんな医療を受けたいか、家族はどんな医療を受けさせたいか。それを決めるに
は、どん
な生活を送りたいかを考える必要がでてきます。つまり、終末期の医療を考えれば、そ
れは「
どう生きたいか」を問われます。
では、どう決めればいいのでしょうか。「自己決定」が基本ですが、認知症など自身で
判断でき
ない場合は戸惑います。本人、家族、医療・介護従事者が話し合うことがひとつの解に
なりえ
ます。早い段階から本人の希望、家族の思い、提供できる医療サポートなどを「共同決
定」す
る考え方です。
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼ばれます。いわば「最期までの予定表
」。もち
ろん気持ちは変わります。予定表は書き換えることができます。その都度、思いを共有
する取
り組みです。
書面を作って終わりではなく、本人の意思を絶えず共有すること、それができたら本人
が満足し
、家族が納得する医療が実現できるのではないでしょうか。
厚生労働省の意識調査では、こうした考えを事前に書面にすることについて70%が賛
成してい
るのに、実際に作成している人は3%にすぎません。本人の意思を知る重要性は理解し
つつも
、死へのタブー視が阻んでいるようです。
病にむしばまれた安崎さんは「余生三等分主義」を貫くことは難しくなっています。
◆死は生とともにある
ただ、ひとつ言えることがあります。死に行く人や家族のケアを考える死生学は英語で
サナトロ
ジー、直訳では「死亡学」になります。これを日本人は「死生学」と訳しました。死は
いつも
生と対にあるもの、どう死ぬかはどう生きるかと同義ではないでしょうか。
安崎さんは「今後、QOLに何を求めるのか、まだ結論がでていません」と吐露しまし
た。自身
の死生観とともに生きることを模索しているに違いありません。