希少がんと共に生きる坂井広志産経記者。

          

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 せみは3週間ほど地上で生き抜くといわれています。

昨日、あおむけで死んでいるせみに遭遇し

そっと土に返してやりました。

夏と秋とがせめぎあうかのように

草むらのキリギリスをはじめ、バッタ、また鈴与かな音色の虫たちが織りなすハーモニ

ーは、

網戸からやさしい調べを届けてくれます。

 待ち焦がれていたパラリンピックも余すところ一年となりました。

 わずかづつではありますが、障碍者の理解も進み、障碍者が社会の中で楽しめること

ができる時代になれたこと

もうそれだけで素晴らしい♪

 産経政治部記者が希少がんステージ4を公表し

その悲鳴を上げたくなるほどの、日々の苦しい症状に

時にくじけそうになりながらも、今の安定期をお迎えの様子に

記事になるたびに気にかけてきた一人でもあります。

 坂井記者の壮絶なる闘病生活、加えて労働と

あきらめない姿勢こそにより克服されたご様子にエールそのものです。

記事となったことで同病者に多くの励ましと

多くの希望を与え続けられた記録は

どれほどのかちがあるといえるでしょうか?

 100パーセントの眼科系の一人としても

多くの希望と、奮い立つほどの勇気をいただいたように思います。

 ステージ4の段階で職場にとどまる困難さを抱える人も少なくない条件をも

産経新聞社のご理解の元、職場の多くの仲間にも支えられ

記者として今なお、ご活躍あることに感動しています。

【希少がんと共に生きる】進次郎氏への祝辞 がんについて語り合ったあの日のこと

 新聞各紙の8日付朝刊に、国立がん研究センターが発表したがんの生存率の記事が載

った。

 前日の7日、この記事を書いていた同僚記者から資料を借りた。案の定、筆者が患っ

ている小腸がんのデータはなかった。希少がん患者の生存率をはじき出したところで、

患者数がそもそも少ないため、あまり意味がないのだ。参考までに大腸がんのステージ

別5年生存率を見ると、筆者と同じステージ4は18・7%。

 実に低い。通院する同センター中央病院の担当医がステージ4の小腸がん患者の5年

生存率について、10%程度と言っていたことを思い出し、少し暗い気分になった。

× × ×

 そんな中、永田町発の明るいニュースが7日、全国を駆けめぐった。自民党厚生労働

部会長の小泉進次郎衆院議員とフリーアナウンサー滝川クリステルさんの結婚だ。突

然の発表に、多くの国会議員が度肝を抜かれた。

 その小泉氏とがんについて意見交換したことがある。

 小泉氏が厚労部会長に就任した昨年10月、厚労省担当の筆者は衆院議員会館の事務

所に入ろうとした小泉氏に「実はがんでして…」と声をかけた。すると「話を聞かせて

ほしい」と事務所に招き入れられたのだ。

 「僕を通じて何を訴えたいか」と聞いてきたため、「患者は医者としっかりコミュニ

ケーションをとって、民間療法に頼らず標準治療を受けてほしい、ということですかね

」などと語ったのを覚えている。

 抗がん剤の副作用は決して楽なものではない。吐き気、手足のしびれ、しびれからく

る痛み、喉に石がつまったようなあの違和感など挙げればきりがない。しかし、がん患

者はその苦痛から逃げずに、標準治療を受けてほしい。エビデンス(科学的根拠)のな

い怪しい民間療法がはびこる中、そんなものにだまされて命を落とすことは絶対に避け

てほしい。この思いは今でも変わることはない。

 当時、四六時中マスクをしていたが、マスクをしている人の中にはがん患者が少なか

らずいるということも説明した。抗がん剤の影響で免疫力が落ち、風邪など感染症にな

りやすいためだ。

 平成28年12月に国立病院機構水戸医療センター茨城県茨城町)で小腸がんの手

術をし、29年1月に抗がん剤治療を始めるため国立がん研究センター中央病院(東京

・築地)に行った際、無防備だった筆者は「マスクは必ずしてくださいね」と看護師に

言われた。今年1月から休薬したのを契機に、マスクもやめたが、約2年間、マスクを

手放すことはなかった。

 ただ、いつもマスクをしていることに対し、周囲から奇異な目で見られているのでは

ないかという思いがあったのは事実だ。「奇異な目で見ないでくださいね」といわんば

かりに、マスクの話をしたわけだ。

× × ×

 筆者の話に熱心に耳を傾けるその表情は今でも忘れられない。その後も永田町ですれ

違う度に「体調はどうですか」と気遣ってくれる。そのことに、いつも感謝している。

 小泉氏は数年前に亡くなったおばのがん告知に立ち会ったことがある。幼くして実の

母と離れた彼にとって、おばは母親代わりだったという。それだけにショックだったに

違いない。がんに関するあるシンポジウムで「動揺した。動揺するときに、一緒に動揺

してくれる人がいると、動揺しないようになる。それが仲間」と語っていた。小泉氏に

とってがんは人ごとではないのだ。

 がんや取材を通じて知った小泉氏に対する印象は、人を思いやる優しさを持った、実

に真面目な政治家ということだ。真面目というより「生真面目」と表現したほうがよい

かもしれない。つまり好感度は高いのだが、隙を見せず、どこか堅いのだ。ただ、その

ことは自身でも分かっているのだなと、首相官邸のエントランスで7日に行った滝川さ

んとの「ぶら下がり」での発言を聞いて思った。

 「政治の世界って戦場なんですよ。いつ命を落とすか分からないですね。常にどこか

こわばって、緊張感を持って、警戒心を解かず、鎧(よろい)を着たまま寝るというか

…。でも彼女といると、この場所は鎧を脱いでいいんだな、武器を置いていいんだな、

無防備でいいんだ。そういう風に思えた。理屈を超えた」

 ごちそうさまです。末永くお幸せになられることをお祈り申し上げます。

(政治部 坂井広志)