何気ない風景。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
ヒューヒューと、耳をつんざくような4月の強風!
それは土ぼこりまで巻き上げ、まるで狂ったかのような4月の風。
埼玉では夏日の25度越え
温暖化が警告を鳴らし続けているこの警告を受け入れたいもの…
産経でシリーズのように取り上げられている(ノンフィクション作家・久田恵)
みこちゃんはこの文章に触れなぜか心がほっこりさせられる。
それはわが地区の田舎の何気ない風景そのもの…
瞼を閉じれば幼馴染とそれぞれの自作の弁当と出納を抱え
九十九折の坂道を「はーはー」あえぎながら上り詰めたその先から
見下ろす、まったいらな田園風景
小学生の遠足のお決まりコース「田頭山」が
上り詰めた私たちを
優しいそよ風とともに静かに迎えてくれる。
太陽の元、ただの梅干し弁当の味は、今なお鮮明である!
竹馬の友は、どのような年を重ねようと
「重ちゃん、美恵ちゃん、英子ちゃん」の小学生の笑顔が
年を重ねた今の私をそっとそっと包み込んでくれる!!
でも、この友も二人までもあの世になぜか急ぐかのように旅立ってしまった。
産経寄りの引用
【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(589)10歳の私と戯れて (2019年0
4月05日)
芽吹きの季節を迎え、目下、風景が日々生まれ変わっていくようで楽しい。牧草地は
緑に染まってくるし、木々に小さな丸い芽が一斉に吹き出して、雑木林全体が柔らかな
パステル色になっていく。
桜のつぼみもふっくらとして、もうはじけそう。こちらの気分も、いや応もなく高揚
している。
しかも、冬タイヤを夏用に交換して車がぐっと軽くなった。おかげで、ひとりでドラ
イブするのがもう楽しくてしかたがない。
思えば、20代で職場から教習所に通うよう命じられて免許を取得した私は、運転が
好きだったことなど一度もなかった。
下手だ、下手だと言われ続けて、母が倒れ、病院通いが必要になったときに初めて運
転免許のありがたみを知った。
以後、両親以外は荷物しか載せない運転を続け、「もうやめた!」になったはずの運
転を、ここ那須の過疎地に来て再開したのだった。
今、人生で初めて「車を運転するのって楽しい!」を実感している。
というのも、ここの国道は、これって高速道路なの?と思えるほどのスピードでトラ
ックが走っている。その国道を通らない方法がないものか、と思っていたら、あったの
だ。脇道、回り道をのんびり、ゆっくり走るのが、実は地元スタイル。そこを行けば、
対向車はほとんどなく、トラクターがのどかに走っていたりする。
道を探して、山道を上がっていくと、急に視界が開けて「私の絶景ポイント」が見つ
かったり、どこまでも続く緑のトンネルを走り続けられる「メルヘンの道」と遭遇した
りもする。
思えば、子供の頃から道草が好きだった。学校が山を越えたところにあったので、毎
日が遠足のような日々。あっちの道、こっちの道、時には道なき道を踏み分けして、自
分の世界を自力でじわじわと広げながら成長していったものだ。
今、あの時と同じことをしている気分が、私を幸福な心持ちにさせている。
そう、70歳の私が、10歳の私と戯れているような心境になる日がくるなんて、想
像もしていなかった。老いは何かを失っていくことではなく、年齢の数ほどの自分を次
々と重ねて、豊かになっていくことなのねえ、なんて思いにもかられる。
というわけで、どの道がどこへ続くのか、体が覚え始めたら、自分がこの地に受け入
られたようである。
れられたという安らかさを覚えるようになった私なのである。
ノンフィクション作家ー久田恵
わが心のエッセンス
人と比較をして劣っているといっても、
決して恥ずることではない。
けれども、
去年の自分と今年の自分とを比較して、
もしも今年が劣っているとしたら、
それこそ恥ずべきことである。
どんなに悔いても過去は変わらない。
どれほど心配したところで
未来もどうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすことである。
- 松下幸之助 -