舌癌について。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
お年のせいか味覚があまり感じられなくなり
食べるものの期待値は次第に薄くなっています。
みこちゃんは胃も弱く舌の両脇によく、ぷつっと腫瘍ができることがあります。
でもあまり気にはかけていません。
生老病死は常ともいえます。
この苦難坂、やはり支える大きな力は家族なのかと思います。
家族のためにと目標値を持つことで
耐え難い靴ウオモ乗り越える起爆剤にもなろうかというもの。 病はどなたのもとにも
、訪れると自覚したいもの!
堀ちえみオフィシャルブログでご自分の現状を
公表されておられます。
それによりますと 手術も無事終了し
集中治療室からも解放され、術後の経過も
順調で歩行も開始され家族に包まれながらの生活の支えも予後を後押ししているようで
す。
中日よりの引用。
堀ちえみさん公表の舌がん “口内炎”続いたら受診を(2月26日)
タレントの堀ちえみさん(52)が闘病中と公表した舌がん。堀さんは自身のブログ
で、最初は小さな口内炎と思っていたが、実は口腔(こうくう)がんの一種である「舌
がん」だったと明かした。口内炎と思ったものが1カ月以上治らない場合はがんの可能
性もあり、専門医を受診したい。
国立がん研究センター中央病院(東京)頭頸部(とうけいぶ)外科長の吉本世一(せ
いいち)さん(54)によると、舌がんの発症率は十万人に二、三人で、希少がんと言
えるが、口腔がんの中では患者が最も多い。堀さんの公表以後、「自分もがんでは」と
いった問い合わせが増えているという。
口内炎と舌がんをどう見分ければいいのか=上図参照。口内炎は通常一~二週間以内
で治り、一カ月以上続くことはまれ。これに対し、舌がんは月単位で少しずつ悪くなる
。「一カ月以上症状が続くようなら変だと思った方がいい」という。
また、口内炎の多くは痛みが出るが、早期(ステージ1、2)の舌がんは痛みがない
こともある。小さくても深いところまで浸潤している場合は痛む可能性がある。生検で
採った組織を顕微鏡で見てもはっきり分からないものもあり、「口内炎では」などと症
状に気づいてから一~二週間での診断は難しいケースも少なくない。
見た目で比較的分かるケースもある。舌の先端や中央部分にはめったにできず、舌の
両脇にできやすい=下図参照。舌の表面が赤く、または白くなったり、舌にいぼ状ので
きものや表面が盛り上がったりする。いずれも、がんが表面にとどまり、組織の奥まで
広がっていないことが多い。
「一番怖いのは、潰瘍のように食い込んでいくタイプ」。表面上は分かりにくく、診
断がつきにくい。目を閉じ、痛いところや気になるところを自分の指で触ってみて、何
か硬いしこりのようなものに触れる時は要注意という。
がんが四ミリほどの深さに浸潤すると転移しやすい。気になった場合は「耳鼻咽喉科
や、歯科医師の領域である口腔外科の専門医を受診してほしい」と話す。
◆喫煙などの刺激が原因 切除した舌は再建可能
がんの多くは組織の粘膜が何らかの原因で刺激され、慢性炎症を起こすことから発症
する。舌がんの場合、リスク要因は喫煙、飲酒、口腔内の不衛生のほか、欠けてとがっ
た歯や歯並びが悪くて内側に倒れた歯が舌を刺激することなど。六十~七十代の発症が
多いが、二十代でも起こり得る。
一方、手術でがんや、がんが転移したリンパ節をしっかり取り除き、放射線や抗がん
剤で再発を予防すれば、複数のリンパ節に転移するなどした進行がんでも完治も期待で
きる。ステージ4と診断され、五年後に生存している確率は、治療実績の多い大阪国際
がんセンター(大阪市)が二〇一四年に発表したデータで約60%という。
舌は半分程度なら切除しても、別の部位の皮膚や皮下脂肪などを使った再建術によっ
て、会話や食事など日常生活で大きな支障が出ることは少ない。半分以上切ると、のみ
込みが難しく、聞き取りづらいこもった声になるなどの後遺症が出る。
口腔がんは舌以外にも、ほおの裏の粘膜や上あご、歯茎などにもできる。歯槽膿漏(
のうろう)や歯肉炎のほか、異物を埋め込むインプラントや合わない入れ歯による刺激
もリスク要因になり得る。吉本さんは「定期的に歯科を受診し、口腔ケアを続けること
が予防になる」と話している。
(砂本紅年)
?
男性の体験談。
ある日ろれつが回らなくなり歯医者に行って調べてもらっても良くならず,
たまたま自分で人差し指を口の中に入れたらちょっとしこりがあり,インターネットで
調べたら,ちょうど舌癌の症状と全く同じだったので,すぐに会社の近くのOS病院の
耳鼻科に行きました。
あっさりと「舌癌です」と告知されて,「初期なので簡単なオペで終わりますよ
」と言う事でしたが,やはりショックでした。早期発見はインターネットで調べると,
80%治るとあったので少しは安心しながらオペをしました。部分切除だったのでオペ
も早く終わって入院も2週間ぐらいで退院しました。1ヶ月もしたら体もほぼ元通りに
戻って,がんですよと告知をされた時のショックや色々な事を考えた事も忘れてしまっ
ていました。2ヶ月もしたら,あっという間に元の生活に戻ってお酒,タバコ,夜更か
し,暴飲暴食,が始まっていきました。また検査も頻繁にやっていたので,まあ大丈夫
だろうと油断ではないのですが,自分の中では余裕だなと。がんは今は治る時代だし,
死なないだろうなと普段も元気でやっていたので再発するなんて夢にも思っていなくて
,無謀な生活を送っていました。
丁度4年目に入り,病院の担当医も頻繁に変わるので病院に対する不信もあり,
また家からも離れていたので変わろうかなと思っていた矢先に,PET検査を受けて検
査結果を聞きに行くと,また担当医が変わっており,担当医も初めて画像を見て思わず
「再発ですか?」と画面につぶやく(PET診断:再発していると記載してあり)。そ
の後生検し,1週間後生検の検査結果を聞きに行くと,「生検でうまく取れなかったので
再度取らせてください」とのことで,あまりにも不手際が多いので,当方もブチ切れて
,担当医に「もし再発してもこの病院では治療はしたくない,家から通える有名な病院
を紹介してほしい」と申し入れた。担当医よりその場でK大学病院の紹介状と診察予約
を入れてもらった。
ニュース等で病院の不手際は色々聞いてはいたが,自分自身が体験する事に驚き
ました。この時点で病院に対して初めて不信感が生まれました。これが自分で病院に対
して意思表示をしたのが,初めてで,こういう事を言わないと言われるままに治療を続
けていたのかなと。これが自分にとってはいいきっかけになったのかと思います。
K大学病院を紹介してもらって,この病院で治療を受けることにしました。後日
談ですがOS病院では耳鼻科だったのですが,最初のカルテでは部分切除ですが,「細
胞診も残存がある可能性がある」と出ていましたので,再発するべくして再発したのか
なと。振り返って考えると,担当医も「再発したらオペになるよ」と言われたようなこ
とを思い出しました。
再発初診のステージはⅣでした。リンパ節転移があったとの所見,オペの内容は
亜全摘手術で頸部リンパ節郭清。
亜全摘手術とは,舌の半分以上を切除することになるので,教授より「通常の日
常会話が難しくなります。仕事が営業なら出来なくなると思いますから,内勤部署とか
ありますか?」と軽い感じで言われました。ただその時は何となくそうなるのかぁ程度
の理解であった。入院は一か月後に決まる。入院するまでの間にネットを通じて,術後
どうなるのかはある程度想像できたが,やはり想像を絶するものがありました。
オペ日の前日に入院するのですが,入院当日に教授回診があり頭頸部の術後の患
者が集まってきて,その姿をみると顔がパンパンに張っていて少し怖くなり,その夜は
恐怖で眠れませんでした。当日オペは15時間,ICUは3日間入りました。
眠れない,喋れない,動けない等のストレスで一週間経つと気持ちのコントロー
ルが出来なくなってくるのです。精神的・情緒的に不安定になってきているのを覚えて
います。今あの時の一週間を体験するとなったら,絶対にやらないと思います。究極の
選択を迫られても多分やりたくないほどしんどい思いをしました。この時に再発をして
「がん」と言う病気の怖さや,自分の体に通常あるものが無くなってしまった時に,自
分自身の考え方が大分変っていったのが,今でも鮮明に覚えています。
オペ後一か月経った段階で大分落ち着いてきて,オペの時にとった細胞診の結果
が2~3週間後に出るのですが,結果では「残存がまだある」と出まして,大変ショッ
クでした。ただ残存がどこにあるのか病院側もわからないということで,可能性のある
と思われる場所をもう一度部分切除して,さらに放射線70Gと抗がん剤3クールの治
療が追加となりました。
やはり副作用が出てきて,まず放射線を行うにあたって,虫歯やこれから虫歯に
なる可能性のある歯は抜くこととなり,抜いたのですが,抜いた場所に放射線をあてる
ので骨髄炎を併発しました。口腔外科では「自然治癒でないと治すことができない」と
言われて,耳鼻科の主治医に相談すると高酸素治療を薦められた。(高酸素治療とはア
スリートが利用している酸素カプセルの何倍も強い酸素を身体の中に取り入れて細胞の
活性をあげて治療する方法がある)。やってみる価値はあるのではと思いトライしまし
た。すると3回目ぐらいで壊死した顎の骨がボンと外れて小指ぐらいの骨が突然とれて
穴がふさがり治りました。
抗がん剤と放射線の治療によって体重が80Kg近くあったのが50Kgぐらい
まで落ちてフラフラになりました。
手術と放射線の影響か開口障害で口が指1本ぐらいしか開かない,リンパ液の流
れが悪い為顎がむくんだり硬くなったりしました。その当時は全然会話も出来る状態で
はなかったが,少しでも早く喋りたい思いがあったので,発声のリハビリをしてくれる
ところへも行きました。しかし今はリンパのむくんだ部分を治さないと発声のリハビリ
をしても無駄だと言われた為,並行して約1年間リハビリをST(言語聴覚士)さんの
指が筋肉痛になるほどリンパマッサージをしてもらいました。おかげ様で大分顎が開く
ようになって,発音する内容も大分変わっていきました。
退院から半年ほど経つと,徐々に社会復帰,会社に戻らなければという思いが強
くなり,徐々に会社に出る様にしました。やはりそこには厳しい現実が待っていました
。会話能力や対人とのコミュニケーションが出来るレベルではありませんでした。自分
が伝えたいことが上手に伝えられなかったし,もっとうまく喋れないと社会復帰はでき
ないと感じました。
その後自分なりに調べた時に,行き着いたのがこの患者会のホームページでした
。同病の人たちが実際退院した後にどのような生活をしているのか興味があったし,ど
のような形で現実を乗り越えているのかというところを聞いてみたいと思い,Mさん宛
に相談メールを送ったら,病状や状態など詳しい内容は一切伝えていないのに,Mさん
からピンポイントで「あなたの症状はこうでしょう」と返ってきて,発声や発音に関す
る資料をメールで送ってもらいました。
それはまさに自分が知りたいポイントや自分が不安に思っている内容であったの
で,一度参加してみようと思ったのが,患者会とのきっかけでした。
さらに参加した時にMさんからPAP(舌接触補助床)を教えていただきました
。早々にO大学歯学部顎口腔機能治療部へ行きましたが,発音が悪かったせいか案内さ
れたのは咀嚼補綴科(そしゃくほてつか)で,現実問題である意思疎通がとれないとい
う事を痛感しました。
結果はPAP(舌接触補助床)を作成し,幾度か修正を繰り返し,今の自分の会
話レベルに落ち着くまで約1年かかりました。PAPのお蔭で他人とのコミュニケーシ
ョン能力もだいぶ向上し,電話での営業も可能になりました。自分自身のQOL(生活
の質)も向上し,社会に出てもやっていけるかなと自信にも繋がり,Mさんや患者会の
存在にとても感謝しています。
会社復帰をするのですが,現実は組織として従来通りの能力を求められるし,周
囲の自分に対する気遣いなどが苦しくなって,この状態で続けて行く事は無理と思い,
会社復帰後半年で退職しました。退院後,病院・家族・知り合い・会社仲間で自分の状
況を知る環境内でのコミュニケーションの領域で問題はありませんでした。
しかし退職後は今までの環境から変わるため,それなりに厳しい現実を想像して
いたが,やはり想像していた以上に厳しい現実でした。まず,どこに行っても「障害者
ですか?」水を飲むのに詰まったり,食事中もこぼしたりすると「大丈夫ですか?」「
何を言っているのかわかりません,ろうあ(難聴者)の人ですか?」等々同情やあわれ
みやらで自分が健常者なのか障害者なのか分からなくなりました。
現在,日本の社会では,いまだに障害者=弱者という見方もされるし,差別とい
うのが絶対あると思うし,自分自身もそれを感じました。しかし退職という決断をした
以上家庭もあるし,立ち止まる訳にはいかないので,あえて気合と根性で社会とのコミ
ュニケーションをとるように頑張っています。