「手術痕は私の勲章」と語りきる愛和ちゃん♪
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
大家族って素晴らしい
日本のお手本です。
食卓のワイワイガヤガヤ、楽しい風景が飛び込んできそうです。
そのようなさなか4女の愛和ちゃんがリンパ小児がんとして
大人でも辛抱しずらい6クールもの抗がん剤治療に耐え家族と離れ
戦い、回復した姿はまるで金星そのもの!
「手術痕が私の勲章」なんって言ってのけれるほど
頑張りぬいたんだろうと思います。
明るく楽しい大家族にエールそのものです。
また家族全員のバックアップも全員参加型とは素晴らしいの一言。
そしてまた8人目の家族が増えたなんて…♪
いわずとにんげんりょくまでたくましく育成されようというもの!!
アサヒコム寄り。手術痕は「私の勲章」 小児がん治療、家族と頑張った
「ホウレンソウを食べてマッチョになりたーい」。広島市内の戸建て住宅で1月、坂
井家の四女、愛和(あいな)ちゃん(3)がそう言うと、食卓のみんなが笑った。次女
の慧和(けいな)さん(9)も、母の摩耶さん(41)の隣で笑いながら、ご飯をかき
こんだ。
がんとともに ネクストリボン
坂井家では当たり前の、家族そろっての夕飯。だが、2015年の年末、慧和さんが
悪性リンパ腫で広島大学病院に入院したときは、当たり前ではなくなった。摩耶さんと
、夫で歯科医の宣之(のりゆき)さん(37)が交代で付き添いをした。
女4人、男1人の5人きょうだいは、それぞれ頑張った。長女の愛音(かのん)さん
(10)は下の子の世話や家事、三女の萌愛(もあな)さん(6)は一人でバス通園に
。愛和ちゃんは母乳から粉ミルクへ切り替え、慈音(しょおん)君(5)も寂しさに耐
えた。摩耶さんの妹や両親、ママ友らの全面支援も受けた。
感染予防のため、乳幼児や小学生はきょうだいでも面会制限があり、小児病棟に入れ
ない。慧和さんの体調が良い時、一家は病院の屋上で一緒に遊んだ。誰もが外泊の日を
心待ちにした。「特別な場所に行かなくても、一緒ならすごく楽しいね」と言い合った
。
慧和さんは6クールの抗がん剤治療を乗り越え、5カ月で退院。定期検査が必要で、
腎機能に後遺症はあるが、今は大好きな「ジャザサイズ」のダンスをビートに乗って踊
れるほどだ。おなかの手術痕が見える上下に分かれたダンスウェアも着る。「だって勲
章だから」
小学1年生の6月から通えるようになった学校で手術痕をからかわれたとき、教室で
皆に訴えた。「私は生きるために必死で闘った。元気になったけど当たり前じゃない。
亡くなった子もいる。私の勲章を笑わないで」
16年に五女の愛晴(まなは)ちゃん(2)も生まれ、一段とにぎやかになった食卓
に、今日も8人の笑顔がそろう。(上野創、写真は池田良)
わが心のエッセンス。
家庭は温室であるか火消し道具であるかである。
息子は暗い家庭のランプだ。
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである
。
兄弟の多い家族に育った者は、子供のうちから「何でも自分の思った通りにはならない
ものだ」という悟りを得るようになる。まわりで否応なしにそういう躾をしてくれる。
楽しい笑いは家の中の太陽である。